2009年10月アーカイブ

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アメリカ産の音楽ドキュメンタリーの傑作としては「真夏の夜のジャズ」、「エルビス・オン・ステージ」そして近年の「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」などがすぐ浮かぶが、「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」はアメリカンポップカルチャーの到達点として記録されるべき作品だろう。
なによりもMJの豊かな才能に驚く。私はMJに特別の関心をもつものではないが、このドキュメンタリーで彼の卓越した才能が非常に分かりやすい形で提供され、虚飾に彩られてきたMJのアーチストとしての実像があきらかになったことは喜ばしい。不幸な最期がなければ、おそらくオープンにならなかったリハーサル映像であるがゆえに、明かされたMJの真実は胸を打つ。
ロンドン公演に向けて、練り上げられていくステージ。何日にもわたり撮影されたひとつの楽曲がMJの適確で詳細な指示・修正を加えられて完成していく。そうした細かい描写の積み重ねがMJの湧き出すかのような豊かな感性を実感させる。醒めた冷静さから瞬時に熱狂へと転換するギヤ・チェンジの鮮やかさがカタルシスを生みだす。
もちろんそこには、迫真性と革新性にあふれたダンスの身体運動が中心となり、分厚いダンサーたちの力量とステージシンガー、バックミュージシャンたちが一体感を醸成する。
アメリカのポップカルチャーを支える層のとてつもない厚さを納得させられるドキュメンタリーである。

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この映画はジャームッシュを知らないものにとっては茫然自失、入場料返して・・という類の映画かもしれない。それほど徹底的な説明不足、劇的クライマックス皆無等々およそ普通の映画つくりの常識的文法を無視した映画つくりである。
ところが、ジャームッシュの過去の映画に慣れ親しんできたものにとっては、ジャームッシュ健在なりを確信させた作品だろう。
"孤独な男"というコードネームの殺し屋が、ある任務を遂行するためにスペイン中をさまよう。その任務とは「自分こそ偉大だと思う男を葬れ」というもの。そんな彼の前にさまざまな仲間たちが現れて、一様に謎めいた言葉を残していく。そして任務は実行される。その間、登場人物や背景への一切の説明はなく、奇妙な静けさを伴った緊迫感が漂う。こうした味わいがジャームッシュの独自性だろう。
通常の批評をしてもあまり意味がないと思われるので、以下、箇条書き風に気がついたことを連ねよう。
① 小津安二郎の映画にある反復性と非ドラマ性(とにかく盛り上がらない)。ジャームッシュは小津映画に親しんできたらしいから、画面から受けるリズミックな反復性は興味深い。起床後の太極拳風なもの、眠りに入る行為、カフェで注文する2杯のコーヒー等々反復の日常。
② 小津映画にはない暗示性・イメージの飛躍がある。
③ 映画全体が寓話とも解釈可能。
④ 質感たっぷりな自然描写―スペイン独特の乾いた風土・薄汚れた街並みが素晴らしい ⑤ この映画のもうひとつの見せ場とも言える撮影監督クリストファー・ドイルの起用。ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼」「恋する惑星」「花様年華」などでドイルの映像に接してきたものにとってはジャームッシュとのコラボは最高の贈り物だろう。結果はドイルの融通無碍な才能を証明するものだ。
⑥ フラメンコを上手く使っている。全編、無表情の主人公が一瞬、表情がゆるむのがこのシーンだけというのがおもしろい。画面に湿気が漂う唯一のシーン。
⑦ そして日本の異色ロックバンド BORISが参加していることも注目。
「リミッツ・オブ・コントロール」の 公式サイト

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■アウシュビッツを生き延びたロマの少女が大人になって誰に教わるでもなく絵を描き始めた。足を高く蹴り上げて踊る男とロングスカートの女、画面いっぱいのひまわり、雪の中の幌馬車、そしてアウシュビッツで辱めを受ける全裸の女性たち・・・。絵には明るくて力強く、どこか暖かみのある、あらゆる人を包み込むような優しさが漂っているサンフランシスコの北部にあるソノマ州立大学の図書館で9月17日から一ヶ月間、ロマの画家による絵画展が開催されるというニュースを見て、大学のホームページにアクセスしてみた。ホームページ では、数点の絵が画集のページをめくる様に見られるようになっていて、居ながらにして絵画展(あくまでも一部だが)を楽しむことができる。そして、初めて目にした数点の絵にとても心を動かされたのだった。ツェイヤ・ストイカさんは1933年オーストリア生まれの76才。ナチ時代に多くのロマが虐殺の犠牲になったことがほとんど知られていないとの思いから、1988年には自らの体験をつづった手記も出版している。今回の絵画展は、ソノマ州立大学のドイツ語教授グロッベルさんが、3年前にマイノリティーに関するセミナーでウィーンを訪れた際に、ストイカさんに初めて出会い、ストイカさんのアパートに招かれてたくさんの絵のストックを見たときの「衝撃的な体験」から始まったという。今年2009年の春にオレゴンのパシフィック大学、そしてソノマ大学のあとはヴァーモント州ストウのギャラリーに巡回することになっている。ストイカさんの絵が海を渡るのは初めてだそうで、自分の絵がアメリカで公開されることを涙を流して喜んだという。1999年にはストイカさんのドキュメンタリー映画も作られていて、展覧会に合わせて上映されるそうだ。 前述の電子画集はホームページに載っている男女の踊りの絵をクリックすると見ることができる。もっとも心を打たれる絵はやはり、アウシュビッツの女たちを描いた一枚だ。絵の横にはストイカさんによるコメントが次のように付されている。「彼女たちはとても恥ずかしいのです。しかし、手は二本しかありませんので、恥部を隠すか両目を覆うか、どちらかになってしまいます。だから、彼女たちの顔には目がないか、あってもとても薄いのです。この絵は「アウュヴィッツの美人たち」といいます。オーストリアでは美しい女性についていろんなことが言われますが、これこそが本物、本当の美人です。」(市橋雄二)

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ちあきなおみとビリー・ホリデイ

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以前から、歌手ちあきなみはうたの表現力において唯一、美空ひばりに比肩しうる歌手だと確信していたが、最近10枚組のCD全集を集中してきいてみて、あらためて、彼女の凄さを再確認した。1992年、夫との死別後、卒然と姿を消して17年。久しぶりに「紅い花」「紅とんぼ」などをきき、20年前の今や伝説のステージになっている「LADY DAY」を見たときの驚きに似た感動を思い出す。

「LADY DAY」は不世出のジャズ・シンガー、ビリー・ホリデイの壮絶な生涯を演じた1人芝居ミュージカルで、1989年赤坂の小さな小屋で行われた。100人前後のキャパのミニシアターだったこともあり、ナマで見た人は少ない(はずである)。顔を黒く塗りビリー・ホリデイに扮したちあきなおみのうたと演技は、ややもすれば陥りがちな汗をかいての熱演型ではなく、栄光と恥辱にまみれた壮絶な人生をおくった歌姫の人物像を鮮やかに立ち上げたものだった。そこにはうたの上手さとか演技力を超えて伝わってくる何かがあった。それは芸能者としての花としかいえないものだった。

ビリー・ホリデイは生涯を通して人種差別と麻薬・アルコール依存症に苦しんだ。それ故にビリー・ホリデイのうたには深い情感が漂い、聞くものの感情のひだにまでしみわたるものがあった。リンチされ木にぶら下がる黒人の死体の情景をうたった「奇妙な果実」をはじめ、魂に迫ってくる唱法が後世に与えた影響力は大きい。

当時のちあきなおみは42才。44才で逝ったビリー・ホリデイに近い年齢だった。4才でタップダンスを踊り、5才からアメリカ軍キャンプでうたっていたというただならない経歴は芸能者のものとして誇るべきものだし、ちあきなおみがビリー・ホリディに特別な関心を抱いていたのは間違いあるまい。

 CD10枚を聞いて、最も印象に残ったうたは引退直前に入れた「紅い花」であった。(詞: 松原史明、曲: 杉本眞人)このうたの歌唱は絶唱というにふさわしい。うまいのは当然で、そういうレベルとは違う位相で、芸能とは何か、うたうとはどういうことかという原理的な問題について考察したくなるほどの歌唱である。時折、大衆芝居のすえた通俗的な匂いをうかがわせながら、人間の感情の振幅、人生の真実の瞬間をきっちり謳いあげる力量には感嘆する。「紅い花」とならび絶唱とされる「紅とんぼ」の作曲者,船村徹は「おたまじゃくしの裏側をうたえる人」と表現する。

 現在の歌謡界の貧困を思うとき、ちあきなおみの大きさがしみじみと伝わってくるのである。

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