2010年7月アーカイブ

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1.放浪芸をめぐる旅 インド~アルメニア~日本(8月3日) アサヒビールの「すみだ川アートプロジェクト連携プログラム」の一環としてミニライブセット。よろず風物ライター&DJ&和光大学ぱいでいあ講師のサラーム海上さんと私(市川捷護)とのトークショー(1部)。そしてインド大道芸楽団「ラジャスタン・ルーツ」のライブ(2部)。開場までのあいだはDVD「小沢昭一の新日本の放浪芸~訪ねて韓国・インドまで」の一部を上映。以下その要旨。
『放浪芸をめぐる旅 インド アルメニア 日本』
日本の放浪芸と、その源流にあるといわれるインド、アルメニアの芸能の関係にスポットをあてたトーク。8/4、ロビーコンサートに出演するラジャスタン・ルーツのデモンストレーションも贅沢に交えておくる特別プログラム。
8月3日(火)18時00分「小沢昭一の日本の放浪芸:訪ねて韓国インドまで」他より、抜粋映像を上映 19時00分 トーク&デモンストレーション スタート会場:アサヒ・アートスクエア(東京都墨田区吾妻橋1-23-1 スーパードライホール4階)料金 無料(1drinkオーダー制)
ナビゲーター サラーム海上(よろずエキゾ風物ライター/DJ/和光大学ぱいでいあ講師)ゲスト 市川捷護(音楽・映像プロデューサー)アーティスト ラジャスタン・ルーツ(インド・ジャイプルを拠点とする音楽者集団)
お問合せ:アサヒ・アートスクエア
2.小沢昭一が語る、夢のすみだ川(1部)&ラジャスタンルーツ・ライブ(8月4日)
小沢昭一さんの絶妙の話芸とインドタール沙漠からやってきた超絶技巧の大道芸集団のライブ。カルベリアダンサーも出演。
以上これらの詳細はhttp://www.asahibeer.co.jp/csr/soc/activity.html  を参照。
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 カナダ、モントリオールの英字紙<ガゼット>2010年5月7日付け。
トニー・ガトリフ監督の最新作「自由(原題:Korkoro/仏語題:Liberte)」は野心作である。アルジェリア出身でフランスを拠点に活動するガトリフ監督は、仕事の大半を世界のジプシーたちの文化や歴史を描くことに捧げてきた。この意味で最も有名な作品は1993年の「ラッチョ・ドローム」である。最新作である本作では、彼らの歴史の最も暗い部分を描こうとしている。
 この美しくも感動的な作品の最後に流れるテロップで、ガトリフ監督は風化してしまいがちな悲劇を観客に突きつける。第二次世界大戦中ヨーロッパにいたおよそ二百万のジプシーのうち25万から50万人がナチスによって強制収容所で虐殺された、という事実である。この数字が物語る惨事こそが監督を奮い立たせた。暗澹たる状況を単に重苦しさだけではなく映画にすることはたやすいことではない。この作品が成功しているのは、ガトリフ監督が暗闇のなかに喜び、躍動感に満ちた物語を作り出そうとした点だ。そしてこれが映画の最後で、それでもへこたれないコミュニティへの賛辞となっている。
 ガトリフ監督が、フランスのヴィシー政権がゲシュタポのロマ、ジプシー一斉検挙に協力していた事実を正面から取り上げている点も見逃せない。ジプシーを積極的に助けようとするフランス人の男女二人が主役だが、映画は同時に多くのフランス人憲兵がドイツ人のために汚れ仕事するのをいとわなかったことも描いている。これは力強い映画であり、去年のモントリオール世界映画祭で観客賞、エキュメニカル審査員特別表彰と併せて、最優秀作品賞を獲得したのもうなずける。
 1943年、フランスの田舎での実際の生活をもとに描かれる本作は、村にジプシーの一団が到着するところから始まる。村長と獣医のテオドア、そして町からきた学校教師マドモワゼル・ルンディは一生懸命この新参の訪問者を助けようとする。警察に捕まらないために必要な手続きをしたり、ルンディの場合は子供たちが学校に通えるようにしたりした。孤児のクラウドは、新参者の風変わりな風俗習慣に魅せられ、ジプシーの家族の一員になりたがる。中でもまぬけでいかれたバイオリン弾きのタローシェと仲良しになる。しばらくの間、ジプシーの一家はテオドアとマドモワゼル・ルンディのお陰でこの危うい状況の中でも生き延びることができた。しかし、フランスとドイツの当局は引き締めを強化し、もうこれ以上ジプシー一家が平和に暮らすのを手伝うわけにはいかないことは誰の目にも明らかだった。
 この映画は一人の主役によるのではなく三人の秀逸な役者によるアンサンブルキャストになっている。ガトリフの映画にはつきものの陽気なジプシー音楽が全編にあふれ、日常生活の細部やニュアンスを巧みに描き出している。
ただ、映画祭で賞をも獲得したこの映画がただの一館でしか上映されないのは悲しむべきことだ。英語字幕版さえ作られていない。
さて、本作は、IMDB(Internet Movie Database)で調べると、カナダ、フランス、スイス以外ではオーストラリア、トルコの映画祭でしか上映されていない。日本ではどうだろうか。上映が叶うことを願うばかりだが、一方で今日厳しさを増す独立系の外国映画の配給事情を考慮すれば、無責任な期待論だけを述べるわけにはいかない。(市橋雄二)
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日本列島に日々繰り返されている重く逃れられない現実に思いをめぐらさざるを得ない映画であり、小林政広監督の熟した人間観察眼が際立つ傑作である。
かつてニシン漁でわいた北海道の増毛もいまやその面影もない。老漁師,忠男(仲代達也)と孫娘、春(徳永えり)と2人きりでのつましい生活をしてきた。春は地元の小学校の給食係りで足の悪い忠男を支えてきたが、廃校で失職。行き詰まった2人。そこで孫娘を都会で自立させるには老漁師は己の身の処し方を決めねばならない。
普段、縁遠くなっている兄弟たちを訪ねて自分を引き取ってくれないかと頼み込む旅に出る。これはロードムービーには違いないが、旅に出る爽快感、疾走感、自由への思いといったものはかけらもない。あるのはどんよりとした重い列島の風景であり、身にまとわりつくような疲労感である。普通にある自然や街を切り取るカメラ(高間賢治)の視野は広く深く、日本列島の今の風景に日本人の心象を痛切に投影した。
気仙沼に住む兄夫婦(大滝秀治、菅井きん)、服役中の弟の内縁の妻(田中裕子)、鳴子で温泉旅館のおかみをする姉(淡島千影)、仙台で不動産業に行き詰った弟(柄本明)とその妻(美保純)・・・・らを次々と訪ね、援助を請うが現実の厳しさが2人に重くのしかかるつらい旅である。
訪ね行く先々で交わされる兄弟同士の会話がこの映画の骨子である。そこには、これまで歩んできた各人の人生を垣間見せる瞬間がたびたびあり、内には互いを思いやる心を宿しながら、相手に寄り添えない現実に懊悩している姿が鮮明に浮かび上がる。セリフの裏側を伝える練達の俳優たちの成果だろう。血も涙もある市井の人の真実を演じ切って見事である。
祖父と兄弟たちとの再会の場に立ち会い続けた春は長く離別していた父親(香川照之)に会いに行く。北海道の静内で牧場をする父との再会とそこで後妻(戸田菜穂)からかけられる意外なことばに忠男は泣く。そしてラストへ。
全編、出口がない現実に翻弄される老人と孫娘の物語のなかで唯一の希望は孫娘,春の存在だ。旅を重ねるなかで、徐々にわがままな老人にたいして主導権をにぎりだし、毅然と振る舞うようになる。徳永えりの強い意志のあらわれたまなざしがいい。仲代達也は堂々とした風体、大きな目、声が普通の日本人からは離れているので、最初は気になったが、見ているうちにやや大げささが逆に滑稽味と感じられ、次第に老漁師に感情移入している自分に気づくほどだった。仲代達也が俳優として築き上げてきたものの大きさにふれた思いであった。

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