2011年2月アーカイブ

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EU(欧州連合)が、ロマの人々の社会参画を促し差別解消に向けた取り組みを行っていることは折に触れ取り上げてきたが、その活動の一環としてロマに関する知識を社会で共有する試みがなされている。
+RESPECTというプロジェクトがネット上で公開している展示はその一例である。展示されている絵の中にはルノワールやピカソ、モディリニアーニら巨匠らの作品が含まれているが、ジプシーはヨーロッパ中世、近代の画家たちが好んで取り上げたテーマ(対象)だった。
今回集められている23点の絵は書かれた年代も場所も異なるが、エキゾチシズム、エロチシズムそして写真がない時代の記録性といったものが創作のモチベーションであったことが窺える。また、人物とともに描かれた楽器や衣装、背景がロマの文化や当時の社会の様子をよく伝えている。
以下のリンクから、洗練されたページデザインと音楽とともに絵を鑑賞することができる。再生時間は約4分。(再生画面右下のフルスクリーンボタンをクリックして大きな画面にしてご覧になることをお勧めします。)
(リンク)http://www.morespect.eu/en2/2011/01/watch-the-respect-video-roma-people-in-the-history-of-painting-a-journey-across-cultures-and-style/
(作品リスト)
「ジプシーの少女」モザイク トルコ、ガジアンテップ出土
(Gypsy girl mosaic/from Zeugma, Turkey)
「ジプシーの少女」ルノワール、1879年
(Gypsy girl/Pierre Auguste Renoir, 1879)
「ジプシーの少女」(別名「夏」)ルノワール、1868年
(The Gypsy girl aka Summer/Pierre Auguste Renoir, 1868)
「ジプシーの女」フランス・ハルス、1628年
(Zigeuner/Frans Hals, 1628)
「ジプシーの聖母」ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、1510年
(Madonna degli zingari/Tiziano Vecellio, 1510)
「ジプシーのキャンプ」アントニオ・コラッツァ、1961年
(Accampmento di Zingari/Antonio Corazza, 1961)
「ジプシーの少女」ジョージ・エルガー・ヒックス(イギリス)、1850年
(A Gypsy girl/George Elger Hicks, 1850)
「ジプシーの群れ」ヤン・ブリューゲル(父)、1602年
(Gathering of Gypsies/Jan Brueghel the Elder, 1602)
「スペインのロマ人」イェグラフ・セメノヴィッチ・ソローキン、1853年
(Spanish roman people/Yevgraf Semenovic Sorokin, 1853)
「ジプシー」アンダース・ゾーン(スウェーデン)、1918年
(Zigeuner/Anders Zorn, 1918)
「ジプシーの少女」ボッカチオ・ボッカチーノ、1516年
(Giovane Zingara/Boccaccio Boccaccino, 1516)
「バスクの太鼓を持つジプシーの少女」ウィリアム・アドルフ・ブグロー、1867年
(Gypsy Girl with a Basque Drum/William Adolphe Bouguereau, 1867)
「マンドリンを持つジプシーの少女」ジャン・バプティスト・カミーユ・コロー、1874年
(Gypsy Girl with a Mandolim/Jean Baptiste Camille Corot, 1874)
「セビリアのジプシー姉妹」ジョン・フィリップ、1854年
(Gypsy Sisters of Seville/John Phillip, 1854)
「ジプシーの少女」ウィリアム・A・ブレイクスピア、1903年
(The Gypsy girl/William A. Breakspeare, 1903)
「タバコを吸うジプシー」エドゥアール・マネ、1862年
(Gypsy with Cigarette/Edouard Manet, 1862)
「ミュスカのジプシー」パブロ・ピカソ、1900年
(Gipsy on Musca/Pablo Picaso, 1900)
「子供を抱くジプシー娘」アメデオ・モディリアーニ、1919年
(Donna zingara con bambino/Amedeo Modigliani, 1919)
「ベルン郊外に到着したジプシー」ディーボルト・シリング(従兄)、1485年
(Arrival of Gypsies outside the city of Bern/Diebold Schilling der Altere, 1485)
「懇願するジプシーのスペイン追放」エドウィン・ロングスデン・ロング、1872年
(Expulsion from Spain Gypsy supplicants/Edwin Longsden Long, 1872)
「ジプシーの占い師」ジョン・スミス、1732年
(The Gypsy Fortune Teller/John Smith, 1732)
「ジプシー」トーマス・クチュール、1867年
(Gypsy/Thomas Couture, 1867)
「キャラバン隊、アルル近郊のジプシーキャンプ」ゴッホ、1888年
(Caravans, Gypsy Camp near Arles/Vincent Van Gogh, 1888)
(市橋雄二 2011.2.12)
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相撲については2010.6.23のブログにて述べたことに付け加えるものはないのだが、現在進行中の見当はずれの相撲八百長報道を見ていると、テレビ界、マスコミ界の劣化は深刻だといわざるを得ない。
少しでも日本の歴史をたどれば、相撲の本質は「芸能」そのものだということが分かるはずなのに、八百長はけしからん、「国技」を汚したなどと合唱している。この点では石原慎太郎東京都知事の醒めた見方「歌舞伎の大見えを堪能して見るみたいに、だまされて見て楽しんでればいいんじゃないか。そういうものだ、相撲ってものは」・・が一番的をえている。
相撲は国技ではないし、神事でもない。相撲人(すまいびと)というものは賭博や呪師(のろんじ)などと並んでは由緒正しい職能民だったので、古代以来、天皇家に連なる貴族社会などの庇護のもとにその体制に奉仕する「芸能」であり、基本的な構造は天皇家で亀甲、双六などによる占いなどを司った博徒や巫女などと同じである。
相撲界の体質の中に八百長相撲を必然とする構造が存在し、それは歴史的に賭博・博徒の系譜と密接に連なっているのである。相撲と賭博は不即不離の関係にあり、悪所がもつ暗黒をともに内臓する。そこには常識の通用しない裏社会が成立して、それなりの妖しい魅力を発しているからこそ存在価値があり、そこからの臭気に敏感な一般人が惹かれてくるのである。歌舞伎などもおなじ構造である。
そこに民主主義的な制度やスポーツの明快さを求めるなら、アマチュア相撲を見ればいいのだ。相撲部屋制度、親方の存在、理不尽な幕下以下の身分制度、これらは皆、前時代的で、封建的なものである。だからこそ価値あるものなのである。これらをなくして相撲は成り立たない。
「天皇家、貴族社会と一体化してきた相撲世界と博打・賭博世界は歴史的な土壌を一にするものであり、それらの因習と習俗を含めた全体が良し悪しを越えて存在してきたのである。相撲の魅力はそうした全体がかもし出す微妙なものなのである。一般社会からうかがい知れない暗いものがチラッと垣間見える社会なのである。」(2010.6.23のブログ)
無菌思想、異常清潔志向が蔓延する日本列島の病弊を痛打する悪所としての日本相撲を賭博場併設の「国立ニホン大相撲」として無形文化遺産に申請したいほどだ。

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