2011年4月アーカイブ

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大震災の影響で観光客がめっきり減った奈良へ行って来た。どこに行っても人が少なく、こんな光景ははじめてのことだろう。境内の石塔、石仏群が眼に沁みた。

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人権、民主主義、少数派の社会統合を推進するスウェーデンの政府機関The Living History Forumが、国内外の研究者や専門家を動員し、自国内のロマとスィンティの文化と言語の社会的認知をいかに高めるかについて提言をまとめるべく研究をおこなっている。最終報告は2011年11月に政府に提出されることになっている。
スウェーデンの少数民族政策は、少数民族の保護、権利の拡充、言語の維持を目的としている。1999年の少数民族保護に関する国会決議とヨーロッパ地方言語・少数言語憲章により、ロマはスウェーデンの5つの少数民族のひとつとして認定されている。
北欧におけるロマの歴史はあまり知られていないが、スウェーデンには16世紀以降ロマの人々が住むようになった。ストックホルム瞑想録には、オーライ・ペトリという名の聖職者により1512年ロマの一団が町を訪れたときの様子が描かれている。
スウェーデンに到着した大勢のロマが何世紀にもわたってフィンランドへ強制移住させられた。フィンランドは当時スウェーデン王国の一部だった。スウェーデンでは、他国でもみられたことだが17世紀には世俗の権力と教会権力がロマの国外追放を定めた布告を何回も出している。
18世紀、19世紀になると多くのロマとスィンティが軍隊に召集され、それ以外の者は強制労働や強制収容所に送られた。スウェーデンのロマ入国禁止令は1914年に施行され1954年まで続いた。
世界大戦間には、ジプシー問題は人種差別的な論調の中で大きな議論の的となり、しばしば人種生物学の観点から取り上げられた。ロマとスィンティの共通言語であるロマ語はサンスクリット語と系統が同じで60の方言から成るが、この地域の主要な方言はヴラフ方言である。ヴラフ方言は14世紀から19世紀にかけてヴラフ、モルドヴァ地方に留まったロマの間で形成された。一方、非ヴラフ方言は15世紀かそれ以前にヨーロッパの他の地域への移動を開始したグループの間で形成された。
16世紀以降今日にいたる移住の結果、スウェーデンには言語的、宗教的、文化的に背景の異なる様々なロマの集団が居住する。しかし、このように異なる集団でありながら、ロマは一つの民族集団あるいは国土を持たない(国境を越えた)一つの国であるという意識を持っている。
ロマの人々は言語、同一起源の自覚、類似した価値観や伝統、文化、経験そしてロマ人としてのアイデンティティを共有している。このことによって迫害や同化政策に屈することなく自らの文化を維持することができた。ロマの間にはカトリック、プロテスタント、ギリシア正教、イスラム教ほかの信仰が見られる。
スウェーデンのロマとスィンティには1960年代以降定住化が進められてきた。ほとんどのロマの集団がストックホルム、ゲーテボルグ、マルメなどの都市あるいはその郊外に住んでいる。ロマはスウェーデン社会の中では依然としてとても弱い立場にあり、法律で禁じられているにもかかわらず差別にさらされ続けている。多くのロマが事実上社会のすべての領域で大きな困難に直面している。すなわち教育、雇用、住宅、健康管理であり、多数派の国民と同じ条件でコミュニティに参画する機会である。
(市橋雄二/2011.4.3)

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