2011年7月アーカイブ

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現代スペイン社会の実相を、広い視座で浮かび上がらせた秀作だ。主人公ウスバルは末期の前立腺がんで余命2ヶ月の中年男。精神のバランスを失った妻とは別居中であり、2人の子供もある。不法滞在のアフリカ人や中国人労働者の手配師をやりながら、一方で死者の声を聞くシャーマンみたいなこともしつつ苦しい生活のなかで、懸命に生きている。
この映画を見ながら、余命2ヶ月という主人公の設定から、すぐ連想したのは黒沢明の「生きる」だった。市役所の1課長が死期を悟り、決意したのは戦後間もないころまだ少なかった児童公園を建設することで、そこから官僚社会の壁にぶち当たりながら、目的を達成するまでを、死後の通夜からの回想という絶妙の作劇術で映像化したものである。
一方、ウスバルは残していく子供たちへの愛情、病む妻への愛憎、そして不法滞在する中国人労働者たちやアフリカからの不法移民セネガル人たちとの接触を通じて呼び起こされる波打つ感情などに身もだえしながら、余命を懸命に生きる。。
ここにはスペインのバルセロナに生きる等身大の庶民の実相と、近年ヨーロッパ社会を覆う移民問題が重層的に絡み合い、解決を見つけがたい重いテーマが横たわっている。 移民による民族の多様性が生み出す社会的緊張感はヨーロッパ各国が共通に抱える苦悩だ。。
ガウディ・ピカソ・ダリのイメージがある華やかなバルセロナでも、一歩裏通りへ入れば貧困と闇社会が広がっている。そして中国人労働者が地球上に膨張する存在感に驚くのである。。
監督イニャリトゥはある種、距離間を保ちながらも、控えめな共感をたたえつつ人間像の造型に成功した。登場する人物は皆、憎めない善良さを内に秘めながらも多様な個性を秘めた人間として際立っており、絶望にまみれた現実のなかでの救いとなっている。法に触れるような危ない仕事をする人々にもそれなりの真実があるという、下手をすると安手の人生模様になりがちだが、人物描写には破綻がなく、視座が広い。。
ウスバルが絶望して、踊り子バーのようなところで酩酊するシーンは、そのまま「生きる」の志村喬が踊り子たちに嬌声をあげるあのシーンに直結する。あとで監督イニャリトゥは19歳のときに「生きる」を見ていたことを知るが、一種の黒沢へのオマージュかもしれない。。
アフリカ人、中国人問題までも視座に納めながらも、この映画の根本はウスバル本人の分厚い人物造型が見事な成功を収めていることだろう。人間的な弱さを抱えながら、最後には己の父親像への憧憬を獲得し、父性そのものを子供に伝えるというささやかながら、人生の要諦を貫徹したウスバルへの賛歌になっている。。
ウスバルを映じるバビエル・バルデルは今、世界で一番輝いている俳優だ。俳優の栄光について考える。。
蛇足。主人公が持っているシャーマン的資質、日本のイタコのような霊の呼び戻しの能力がウスバルにはあるようだが、若干説明不足か。。
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 六つのロマの部族がダラスに集まっておこなわれた祭礼時の騒動の様子が、1951年にすでにダラス・モーニング・ニュース紙に報じられている。グリーン一族に属する15歳の少年がエバンス一族のメンバーによって銃撃されたとする事件がもとでグループ間抗争に発展するのではないかとの記事だ。
東欧の共産主義国家の崩壊以来多発する民族ナショナリズムや人種問題にからむ暴力事件のせいで、多くのロマがアメリカに移り住んできたが、依然としてネイティブ・アメリカンと並んで差別の多い民族集団である。
「役所での手続きを見ればわかりますよ。不条理な書類上の人種差別です。」カリフォルニアに拠点を置く非営利団体<ヴォイス・オブ・ロマ>の代表であるサニ・リファティ氏は言う。この団体は、ロマの文化芸術や伝統を広く世界に広め、ロマとしてのアイデンティティと文化の保護と啓蒙に寄与すべく設立された。「自由民主主義者は寛容を説きますが、それは言葉の上のことに過ぎません。ヨーロッパでは人種差別が公然と語られています。」
ハンコック氏によれば、ロマと他のアメリカ人がお互いに交わらない原因は両方にあるという。ロマは生活のためにはガジェ(ロマでない人)と関わろうとするが、ロマでない人との接触がロマ社会の伝統的な価値観である<穢れ>にあたることを恐れて自身を社会の周辺に置こうとする。今もおこなわれている文化的伝統はほかにも、ヴラフの人々によってフォートワースやヒューストンで年に数回開かれている<クリス>と呼ばれるロマ社会独自の裁判システムがある。
リファティ氏は言う。「ロマがロマでない人々と距離を置こうとするのにはそれなりの理由があります。つまり、一種の自己防衛なのです。世界中のロマ以外の社会では、ロマに対して好意的ではありません。アーミッシュのように近代的価値観によらずに暮らす人々もいますが、これも他の集団から自己を守る手段の一形態でしょう。正統派ユダヤ教徒にも同じことが言えます。」
一方でハンコック氏は、自分たちの生活様式やアイデンティティが多数派の人々に受け入れられるようロマ系アメリカ人の側も努力することが重要だという。さもなければやがて民族性を失い、独自文化も長続きしないだろうと心配する。
 アメリカ国内に住むロマは<the hidden Americans/まぎれて暮らすアメリカ人>とも呼ばれる。他の民族集団と見分けのつきにくい存在であるためだ。黒髪に浅黒い肌はよくヒスパニックや南ヨーロッパ系あるいはアメリカ・インディアンと間違われる。
 周辺部に暮らすことを好む多くのロマ系アメリカ人の生活様式と民族差別が、「ハリウッド映画が描く<ジプシー>のステレオタイプにとらわれて実際のロマを理解しないことによって」(ハンコック氏)ますます助長される。同様の意見を持つヴォイス・オブ・ロマもキャラバン、精霊、王、女王といったおとぎ話的なイメージの払拭に努めている。
 コソヴォ出身のサニ・リファティ氏は1993年にアメリカに来て気付いたという。この国は個人の上に成り立っていてコミュニティの関与が薄い、と。「本当はアメリカ人はロマについて無知なだけなのです。」  「アメリカでは誰でもジプシーの専門家になれますよ。」と氏は続ける。「私の代わりに発言することは自由ですが、最初は私にやらせてください。ダンスをする前に対話をしましょう。それがアメリカでもう一つやらなければならないことです。ジプシーの芸術が単にサーカスとしてではなく正しく認められるように闘っていきます。」
 ロマを避けようとする風潮は教育の世界にまで及んでいる。テキサスを含むアメリカ各地のロマの一部は子供たちが思春期に達すると学校から引き上げてしまう。アメリカ系ロマの若い世代の多くはロマ語ではなく英語を話す。テキサスやカリフォルニアなどの州ではスペイン語を話す者もいる。
 「偏見があるために、ロマは既存の教育制度になじまないのです。」とリファティ氏は言う。「アメリカのネイティブ・アメリカンの状況とよく似ています。」若年の、教育を受けていないロマ系アメリカ人は外側の世界との関係をもたず自殺率が高い。
「私はかつて教室にジプシーを受け入れることを嫌がったセルビアの支配層と闘わなければなりませんでした。」とリファティと振り返る。「私自身良い成績を取るために他のセルビア人の生徒より5倍も努力をする必要がありました。」
 ロマ出身の活動家、世界的なスポークスマン、そして学者としての顔を持つイアン・ハンコック氏は世界中の1500万人のロマを代表する国連とUNICEFの大使でもある。ロンドンの伝統的なロマの家庭に育ち、差別を受けたこともある。疎外感を味わったことも、同じコミュニティのおきてに苦しめられたこともあるが、当時のハロルド・ウィルソン首相による差別撤廃措置により、ロンドン大学の博士課程で勉強する機会を得ることができた。ハンコック氏は、テキサス大学オースティン校に初めてロマ研究講座を開設した。同校はのちにロマの歴史、言語、文化の研究におけるアメリカにおける拠点となった。ハンコック氏はさらに<ロマ・アーカイブおよび記録センター(RADOC)>を設立。今や世界のロマに関する資料の最大のコレクションを誇り、1万を超える書籍、論文、印刷物、写真、書類を所蔵する。
ヨーロッパのロマは学歴がないと思われているが、サニ・リファティ氏は教育上の優遇措置が認められていた旧ユーゴスラビア時代に育ち、化学の修士号を持つ。しかし、仕事を見つけることはやはり難しい。リファティ氏はアメリカに移ってきたとき、自分自身の文化についてまるで無知だった。しかし、ハンコック氏との出会いによって自分の文化を今まで以上に理解するようになっただけでなく愛着を感じるまでになった。ヴォイス・オブ・ロマは2011年を旧ユーゴスラビアからのロマ難民の保護のための基金を集めるためのフェスティバル開催の年と決めている。リファティ氏は言う。「フランス、ドイツ、イタリアの国外追放政策に反対するため意見表明も出したところです。われわれはロマの文化を保護する以外にも多くの活動に取り組んでいるのです。」(市橋雄二/2011.7.17)
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アフリカ最古の独立国であり、1974年の王政廃止クーデター後、社会主義エチオピアを目指しながらも、軍人政治による恐怖政治、粛正の嵐を体験したエチオピアの知識人の視点から近現代史を捉えたエチオピア映画である。が、この映画にはアフリカ映画独自の香りが凡百の政治映画の枠を超え、神話的余韻をたたえた異色作となっている。
監督はハイレ・ゲリマ。1976年に製作した代表作「三千年の収穫」(ロカルノ国際映画祭 銀豹賞)で、アフリカを代表する映画作家として知られるようになる。
  主人公(アンベルブル)は1970年代医者を目指し、故国エチオピアを離れ、ドイツに留学するが、そこで受ける人種差別などから、己の存在理由を確認するためにも故国への思いを強くしていく。母国の変革を目指して運動に参画し、やがて1974年の革命にいたる。期待を胸に帰国したものの、軍人政治による恐怖政治が横行した現実に絶望するアンベルブル。ヨーロッパにおいては異邦人として、己の居場所を模索し、母国においては知識人としての振る舞いに迷う。救いのない現実に押しつぶされそうになるアンベルブルの暗い表情が印象的である。
前半は寓話的な話からはじまり、次第に過去と現在のめまぐるしい交錯するイメージからアルベルブルの苛酷な体験が浮かび上がってくる。それは中国の文化大革命をテーマの幾多の映画で描かれ、ポーランドやグルジア映画でも繰り返し描かれた革命期に生きる知識人の悲劇的な人生模様である。あくまで絶望的で、暗く長いトンネルを進む物語だ。
こうした絶望のふちにあって、アンベルブルの母親と謎の女アザヌが唯一、肯定的なイメージに包まれ、画面に希望を灯してくれる存在として描かれている。女性が象徴化しているともいえよう。
故郷の貧しい村の描写は大地から匂いが漂うようでもあり、荒涼とした風土は神話的でもある。村人たちは因習的でありながらも、どこか素朴、童話的な存在に見えてくるのである。寓話的な村の様子とアンベルブルが体験する苛烈な一種の文化大革命的な波が並立するアフリカの現実をどう捉えれえばいいのかを見るものに迫る。
単なる政治的現実に翻弄された知識人の悲劇という図式化されたものではなく、アフリカの大地に根付く風土と精神文化の有り様が独特のニュアンスを生んでおり、この複雑性、多様性がこの映画の魅力といわねばならない。政治的な人間といえども、このアフリカ的風土からは離れなれないはずだという監督の思いを感じたのだった。
テザの意味は朝露と幼少期の二つの意味があるという。
本作品はヴェネチア国際映画祭2008のコンペティション部門に出品され、審査員特別賞・金のオゼッラ賞(脚本賞)・SIGNIS賞をトリプル受賞している。

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