2012年4月アーカイブ

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移民問題を専門とするドイツのオンライン雑誌が、ブラジルのロマ社会を代表する二人にインタビューをおこなった。一人はジプシー文化支援研究センターの代表マルシア・ヤスカラ・ゲルパ氏、もう一人はNPO団体ブラジル・ジプシー大使館<フラリペン・ロマニ>の代表ニコラス・ラマヌーシュである。
(編集部)ブラジルにあるロマの三つのコミュニティ、すなわちロム(旧ユーゴスラビア、セルビア及び東欧諸国出身)、カロン(スペイン、ポルトガル出身)、スィンティ(ドイツ、イタリア、フランス出身)について、共通点、相違点は何ですか。
(ゲルパ)ロマ社会の構成員は同質ではなく、言語、生業、文化、社会の面で違いがあります。インターネット上にはロマに関する情報が数え切れないほど上がっていますが、すべてが真実ではありません。多くは様々に説明しようと試みているのですが、根拠に乏しく、ロマに関するイメージは15世紀以降ステレオタイプや民間伝承の形で定着しました。あるときは情緒的な、あるときは注意を喚起するような語り口で、現実と空想が入り混じっています。
(ラマヌーシュ)ロム、カロン、スンティは一様に<ロマ>を自称します。一方で、これらのコミュニティに属する個人は、それぞれ自分たちこそが本当のロマだと言います。他のコミュニティがロマであることを認めないのです。このことはロムであっても、カロンであっても、スィンティであっても、個人レベルではコミュニティの中でロマとしての意識を持っていることを物語っています。違いは様々で、ロマニ語の方言の違い、インドを出たあとに住みついた場所で後から身につけた文化的価値観の違い、インドを出る以前から有していたそれぞれのコミュニティの文化的特性の違いなどです。それではこれらの違いをひとつずつ見てみましょう。
・ 方言の違いが大きくロマニ語はいまだ標準化されていません。(ただし、1978年の国際会議でその必要性が議決されて以来、標準化の作業が続けられています。)
・ 定住地で獲得された文化的価値観は大きな違いを生みました。宗教を例にとれば、トルコのロマは多くがイスラム教に改宗しました。ギリシアに住みついた人々はカトリックやギリシア正教に、そしてアメリカ大陸に到達した人々はプロテスタントに、という具合です。ユダヤ人ならユダヤ教を信仰するというのとは異なり、コミュニティ毎に信仰する宗教が決まっているわけではありません。
・ インド時代に元来有していたコミュニティ独自の文化要素は、インド社会を身分階層に分けるカースト制から発しています。たとえば、結婚や葬送、寡婦の儀礼があります。主にカロンのコミュニティでは千年前のインドのカースト内でおこなわれていたものとほぼ同じ習慣がみられます。結婚は相互の両親の間で契約として取り交わされる、葬儀では故人の持ち物はすべて燃やされる、寡婦は生涯喪に服さなければならない、などです。
(編集部)ブラジルに住むようになって以来、ロマの人々は彼らのコミュニティ間においてさえ差別されてきました。言葉も差別の要素のひとつです。ロマとスィンティはロマニ語を話す一方で、カロンはシブ・カレというロマニ語にスペイン語とポルトガル語が混ざった言葉を話しているといわれますが。
(ゲルパ)ロマニ語はロマのオリジナルな言語ですが、インド起源の言語であると同時にペルシア語、トルコ語、ギリシア語、アルメニア語、クルド語などロマが通過した国の語彙がたくさんロマニ語に加えられていることを知る必要があります。その証拠に、ヨーロッパだけでもおよそ60の方言が話されていると言われています。私は、ブラジルでは、ロム・コミュニティのロマだけがいわゆるロマニ語を話しているとみています。その他のコミュニティの多くはカロを話しています。イベリア半島で話されている方言です。しかし、北部や北東部のカロは、ブラジルの南部や東南部で話されているものとは大きく異なります。ブラジルではロマニ語の語彙は保たれているが、会話ベースでは様々な変化が見られるということです。言語が失われつつあるということは残念なことです。
(ラマヌーシュ)言語に違いがあり偏見が生まれるということは自然なことで、人間が本来持っているものと言っていいでしょう。たとえば、その人口が2億に達するブラジルのような国では、方言の違い(北東方言と南部方言)が偏見を生み出します。南部で話されるポルトガル語は北東部で話されているより正確なポルトガル語である、というような言い方がそれです。実際の会話は文法で評価することはできないのですが、その事実を知らないことが人々を偏見へと向かわせるのです。
私の父親はフランス南部のサント・マリー・ド・ラ・メールで生まれました。父は第一次世界大戦の際の難民としてブラジルにやってきました。教養のある人でしたが、読み書きができませんでした。実際は四つの言語を話すことができたのですが、自分の名前のサインの仕方だけしか知りませんでした。しかし、私は父のことを教養のある人だと思っています。なぜなら、読み書きはできませんでしたが、自分の属するヴァルシュティケというスィンティの習慣や価値観を私に伝える術を知っていたからです。父にとっては伝統を伝えることこそが大事なことでした。
ゆりかごのなかで身につけた伝統が、<ジプシー大使館>を設立する動機となりました。団体の定款で最大の目的はわれわれの伝統的価値観の支援、維持、普及であることを謳っています。そして、ブラジル政府のサポートがなくとも、社会の底辺に生き、なかなか差別から抜け出せないカロンのコミュニティに対する社会福祉サービスを提供してきました。※次号へつづく。
(市橋雄二/2012.4.22)
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「エリックを探して」で中年男の哀歓をコメディタッチも交えつつで鮮やかに描いたイギリス映画界の名匠ケン・ローチ監督がイラク戦争に対して痛烈な内省と批判を込めた作品を提示した。これまでも一貫して社会の底辺に生きる人間に共鳴し、テーマとしてきた制作姿勢はここではさらに深化し、より熟成を増したように感じられる。商業主義に左右される映画界にありながら、終始一貫,低い視線から人間を見つめ続ける姿勢を貫く精神に脱帽。
ルート・アイリッシュとは、イラクのバクダッド空港と市内の米軍管理区域(グリーンゾーン)を結ぶ12キロの道路で米軍によるイラク侵攻以降、米軍や政府の要人を襲撃するテロが頻発したことから「世界一危険な道路」と呼ばれる道路である。
主人公ファーガスは多額の報酬にひかれて民間警備兵として親友のフランキーを誘ってイラクにやってくるが、ファーガスの帰国中にルート・アイリッシュで親友のフランキーが無残な死を遂げる。その死因について当局の発表に納得がいかずに真相究明に乗り出す。
  その過程からイラク戦争の実態である戦争請負業の存在があぶりだされてくる。それは軍から委託された民間軍事会社、「民間兵(コントラクター)」をはじめて描いた映画としても興味深い。この軍事会社は戦後の復興事業による特需までも視野にいれるハイエナ的企業である。軍需産業とともに現代国家が抱える深い闇だろう。
イラクに派遣された民間兵がテロの恐怖に過度におびえ、ふとしたことから民間イラク人を次々と殺戮していくアリ地獄のような世界を当時の生々しい実写を交えながら、戦争の不条理を浮かび上がらせる。現在と回想を鮮やかに交えながら、ケン・ローチ監督は無二の親友を失った喪失感に苦しむファーガスの内面も描くことを忘れない。ファーガスの切迫感にあふれた表情と野卑な言葉使いが一層、彼の内面の焦燥感を際立たせる。演出の冴えとこれが映画初出演のテレビ俳優マーク・ウォーマックの好演が光る。
戦争の暗黒と人間の内面を分かちがたく描きつつ、映像表現は誠実でてらいがない。そこではイラクの人々への視座も届いている。サスペンス風な展開から現実世界の闇に切り込み、悲劇的な結末に至る展開には現実世界の揺るがない暗黒に抗するケン・ローチ監督の痛切な思いが宿る。
同じくイラクの戦闘を描いたアメリカ映画「ハートロッカー」がイラク(人)をただの背景大道具のように「処理」したのに比してケン・ローチのまなざしのなんと苦悩に満ちたものであることよ。

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