2012年8月アーカイブ

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在日朝鮮人2世で日本語教師をしているリエ、朝鮮総連幹部の父、そして母の3人家族のもとに、25年ぶりに兄ソンホが北朝鮮から戻ってきた。脳腫瘍の治療のため3ヶ月の許可をもらっての帰国である。北からの監視員が常に身の回りに張り付く。
映画の視点は妹リエの兄への憧憬をたたえたまなざしが中心的であり、リエの存在が安藤サクラの実存感あふれる演技で、閉塞感漂う物語に伸びやかさを与えている。
多くを語らないソンホにそれぞれの思いといたわりを抱く家族、友人たちとのぎこちない会話や「白いブランコ」を歌うときに染み出す懐旧の情などを通じて浮かび上がってくるのはソンホを覆う見えない壁の不条理であろう。ソンホはまた「その不条理が支配する」あの国へ戻るのである。
北を理想の祖国と考え、在日コリアンの北への「帰国事業」が始まったのは1959年(1984年まで続く)。 北は「地上の楽園」と思われていたし、日本での在日への差別はいま以上に強かったから「帰国」を選ぶ者は多かった。父親が帰国事業を推進する総連の幹部だけに自分の息子を北に行かせない選択肢はなかったのだろう。私も中学、高校時代にクラスから数名の友人たちが帰国するのを経験している。
病院で脳腫瘍の治療をすることもかなわず、急に本国からの指令で帰国することになり、さまざまな人々の思いは以前複雑なまま時間は過ぎていく。
不条理な国家間の軋轢や歴史的問題に翻弄される人々を描くことはどうしてもある種のパターン化された描写になりがちだ。たとえば、監督は北朝鮮を描くとき「自由のない不条理の国」「食うにも困る不幸な国民たち」という固定観念から離れられない多くの日本人の観客層を相手に制作するという難しさに直面する。
しかし、監視員役にヤン・イクチュンを起用したことが、監督も予想できないほどの衝撃を日本人観客に与えたのは間違いない。
この映画の最大にして、稀有の成功は監視員役の設定である。ヤン同士を演じるヤン・イクチュンの全身から漂う不可思議な雰囲気とふと垣間見せる人懐こさと戸惑いは北からの監視員という既成の概念を打破する。セリフも短いものが多く、少ない。ただ「自分は北で死ぬまで生きていく」という意味のセリフは、抑制が効き、万感がこもっているように聞こえた。あの国に生きる人々の呼吸までヴィヴィッドに伝え、「不幸な国民」という固定観念で思考停止する我々の貧しい想像力に、監視員のまなざしが突き刺さるのだ。
ヤン・イクチュン監督・主演の「息もできない」では、瞬発力と爆発的な表現力に脱帽したが、今回はほとんど演技と言えないほど抑制され、動きが少なく、かすかな表情の変化や微妙なまなざしだけで観客の視線を集中させてしまうのだ。とにかく実在感が凄い。
国家間の不条理の地平を切り開くのは人間の日々の営為でしかないという手ごたえを日本人の観客が感じたとすればこの監視員の人物像の造型が寄与したことは間違いない。ヤン・ヨンヒ監督の光栄ある代表作になるだろう。
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日本の芸能史をたどれば、歌舞伎・能・狂言・文楽をはじめとする古典芸能そして浪曲・万歳などから派生した民間芸能のほとんどは差別される側の人々によって生み出され、生きていくために、金に換える芸能として演じられてきた歴史である。
本著は、こうした芸能者に関わる部分のみならず、河原ノ者、非人の発生・歴史的変遷や賎視される人々の職業にまで視野を拡大して、現近代においても存在する差別構造の実体を資料を読み取りつつ、中世にまで遡及するのである。
日本中世史の偉大な先駆者は多いが、近年では網野善彦の業績が圧倒的に印象に残っている。「無縁・公界・楽―-日本中世の自由と平和」や「異形の王権」(いずれも平凡社)を読んだときの衝撃は今でも鮮やかに蘇る。
農業民以外の非定住民として中世の職人や芸能者などの漂泊民に焦点をあてて、それまでの農耕民中心の均質的な日本列島のあり方に安住してきた日本歴史界に深刻な反省を迫る問題提起を行った。学者の文章をかくも興奮を感じながら読み終えたことはなかった。学術的な論文といえども、うちに宿るパッションは一般読者に届くことを証明した。
服部英雄の「河原ノ者・非人・秀吉」も問題意識の設定や魅力的な各項目などに期待を持たせる内容が満載である。まず、タイトルが刺激的で、河原ノ者・非人という文字と秀吉の名前を結びつけたところがうまい。内容は歴史学の専門家を相手にした資料の読み込みを中心にしたものが多く、一般のものには若干煩雑で、読みにくいのは仕方ないか。
しかしながら、第1章の「犬追物を演出した河原ノ者たち―――犬の馬場の背景」は興味深く、刺激的な内容に満ちている。中世武士の武芸、鍛錬のための犬追い競技には河原ノ者が参加し、欠かすことができない重要な存在だったという。犬の捕獲、操作、扱いに熟練した河原ノ者の存在なくしては犬追物はありえなかった。詳細に歴史的資料を探り、丹念に読み解いていく過程は説得力をもちながら、当時の河原ノ者のエネルギーと実力を伺わせる。
その他、救ライ施設である非田院や非人宿の実体にも迫り、当時の凄惨な状況と不条理な世界の有り様明らかにしていく。
またサンカという山の民の資料にも迫り、特に三角寛によるサンカ像の捏造批判など興味深い。三角が経営していた池袋人生座で働く人を被写体としてロケ地で撮影したサンカの写真記録は当時ほとんどの人々が真実だと思い込んだという驚きの記述もある。サンカだったひとびとを池袋人生座に雇っていたようだが、「再現写真」だったのだ。
代2部の豊臣秀吉は少年期の賎の環境に注目して資料を読み込み、推論も交えて秀吉像を立ち上げている、当時の乞食村の存在や秀吉の義兄が鷹匠の飼育係りや鷹場保全係りに従事していたことを示す。鷹匠は賎視されないが、その周辺には賎の環境があったという。
少年時代の生活ぶりから、路上生活者としてしか生きられなかった環境から猿まね芸で大道芸人として生きたことなど、史料からきわめて興味深い推論を展開する。
服部英雄は歴史的j事象の判断においては、自分の立場を明白にする態度で一貫するのは分かりやすくて好感が持てる。たとえば、中世の遊女である白拍子への差別が存在したのかどうかという問題については、網野善彦は14世紀以前には白拍子への差別、賎視感はなかったと主張しているが、服部は網野の見解に疑問符をつけている。
今尚、日本の社会構造の深層に宿る賎視感、差別意識は、一見、商業マスコミ、ジャーナリズムの世界からは隠されたものとして、見えにくいものになっているが、このような歴史家により執拗に検討が加えられていることは、なんとなくほっとしたものを感じずにはいられない。(山川出版社)

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