2013年5月アーカイブ

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    バルカン半島のロマの間では、この時期、それまで屋内で過ごしてきた寒い季節が終わり、野外に出ることのできる暖かい季節の訪れを祝う風習がある。冬を乗り越え、新しい季節の始まりを祝うこの祭りはバルカン諸国やトルコをはじめ世界の各地でヘルデリェズ(Herdeljez)と呼ばれ、老若男女歌や踊りに興じ、食事を楽しむ。
    ブルガリア、マケドニア、セルビアにおいては聖ゲオルギウスの日として祝われるこの祭りは、ロマの間ではエデルレズィ(Ederlezi)と呼ばれ、5月6日(春分の日からおよそ40日後)に行われる。ヘルデリェズやエデルレズィという呼び名は、同じ日に祝うトルコの春祭りフドゥレッレズ(Hidrellez/トルコ語での綴りはiの点がつかない文字)に由来する。
     このニュースに関連して、この5月4日(土)にはアメリカ・カリフォルニア州オークランドで、カリフォルニア・ヘルデリェズ祭りが行われた。非営利団体Voice of Romaが主催するもので、今年で17回目となる。マケドニアのブラスバンド、コチャニ・オーケスターをはじめ、サンフランシスコで活動するガルベノ・バンド、インスペクター・ガジェがライブを行ったほか、オレゴン大学の文化人類学教授キャロル・シルバーマンが参加しての「ロマ音楽のグローバリゼーション」と題したパネルディスカッションやダンス・ワークショップ、コソボ・ロマをテーマにした写真展も開催され、ハンガリー生まれのロマで、サンフランシスコでレストランを経営していた女性がロマの伝統料理を振る舞った。
     (訳者コメント)ロマの間で伝承されていた「エデルレズィ」という歌があり、エミール・クストリッツァ監督の映画「ジプシーのとき」(1989年/日本公開は1991年)で音楽監督のゴラン・ブレゴヴィッチのアレンジによりテーマ音楽に採用されていることを、今回のニュースの背景を調べていて初めて知った。岩波ホールで映画を観たときには、まったく気に留めることはなかったのだが、当時の映画パンフレットを改めて見てみると、サラエヴォ出身で日本で活躍する歌手ヤドランカさんが「ジプシーの祭りエデレジ」という題で、映画との関わりや思いを綴っている。この祭りや歌とロマの人々との深いつながりが伝わってくる。
    (市橋雄二/2013.5.26)
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    ノルウェーの女性作家カリン・フォッスムが1996年に発表した「湖のほとりで」は北欧5カ国を対象に、その年のもっとも優れたミステリに授与される<ガラスの鍵賞を>受賞している。日本では初のノルウェー・ミステリの登場であるが、カリン・フォッスムは ノルウェー人なら誰もが知っている"犯罪小説の女王" とのことだが、その評価を裏付ける本格派の本邦デビューである。先般、イタリア映画「湖のほとりで」が評判になったが、その原作である。
    ノルウェーのある小さな村の湖のほとりで女性が死体で発見される。その女性は村の誰もがよく知る、聡明、快活で申し分ないほど評判の良い少女アニーだった。死体には争ったような痕跡もなく、丁寧な配慮すら払われたかのような様子がより事件の謎を深めた。犯人は村人の誰かか、それとも行きずりの人間による犯行か。
    地元警察の初老のセーフル警部と若い相棒のスッカレのコンビが捜査に乗り出す。その方法はあくまでオーソドックスであり、地道に村人に聞いて回ること。そのなかから、運動神経抜群で美しいアニーがある時点から性格が変わり、明るさがなくなり、寡黙になったという証言が浮かび上がってくる。
    こうしたアニーの変化がこの犯行に深くそ関係していると判断したセーブルはアニーにまつわるさまざまな接点をもつ村人に尋問を繰り返す。アニーのボーイフレンド、ハルヴォールはアニーとは不釣合いに見える男子だが、彼の背景にも深い謎めいた闇のようなものが覆っている。さらに子供好きのアニーは村の子供たちの面倒を良く見る側面も持っていて、村人たちにも歓迎されていた。さらにダウン症の障害を抱えるライモンという男も気になる存在だ。そのほかにもさまざまな困難を抱えている村人が登場する。それぞれが貧困・暴力・病・夫婦関係などが複雑に絡み合う問題のようだ。
    なんといってもセーヘル警部の人物像が魅力的だ。冷静沈着で、ユーモアもあり、弱者に対する目配りが身についている。妻を亡くした喪失感を感じながらの捜索活動から読者はこの警部に次第に共感と信頼感を感じるようになっていく。そして北欧の小村の各家庭・家族が抱えている諸問題があぶりだされ、それらが誰にも普遍的で切実な問題となって迫るのだ。
    なかでもアニーのボーイフレンド、ハルヴォールが過ごしてきた過酷な幼年時代は胸に残るし、彼の苛烈な運命にも深い思いにとらわれる。そして読者はアニーとハルヴォールの関係にも新たな視点を要求されるようになる。ふたりはどうして惹かれあったのか。
    捜査過程で明かされるアニーにまつわる衝撃的事実はこの犯罪に関係しているのか。
    などなど読み進めていくなかで北欧の風土に潜む人間の結びつきが解かれていく。全体的にミステリーによる謎解きというより、ある村の人生・人間模様を綴った良質な小説を読んだ印象が強い。作者カリン・フォッスムの人間への洞察の視座が広く、深い。 アニーとハルヴォールの哀切な生に思いが残り、叙情的な気分にしばし浸るのである。
  • 映画「愛、アムール」

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    引退して悠々自適の老後を送っていた音楽家の夫婦の人生の最後を描いた作品で、第65回カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞し、第85回アカデミー賞の外国語映画賞も受賞を果たした。
    見ていてあまり愉快にはなれない、つらい種類の映画であるが、映画的完成度の高さに舌を巻きながら、見入っている自分を発見する。
    私にとっては主演の俳優二人に引かれてというのが、この映画を見た理由だ。
    ジャン=ルイ・トランティニャンはフランス映画の全盛期を活躍した男優でアラン・ドロンなどの2枚目全盛時代に異色の芸風を漂わせ独自の地位を保ってきた。
    そしてなんといってもエマニュエル・リヴァなのである。アラン・レネエが1959年に発表した「二十四時間の情事」の主演女優であり、岡田英次とのシーンなど忘れがたく、日本人には特別な響きを持った女優なのである。
    そうした彼らが半世紀を経て、老いた姿をさらして、人生の終末期を演じてくれたのである。ともにかれらの演技は人間のあらゆる感情を表現しつくして余りある余韻を漂わすのである。俳優という存在の不思議さに粛然とする。
    そして演出は冷静沈着で、感情におぼれることなく、カメラワークはハネケ監督の意思を体現して、抑制を効かせる。カット数が少なく、画面がだれる寸前までねばる。音楽は登場人物が弾き、CDを聞くピアノのわずかな音だけ。いわゆる劇伴音楽はいっさいなく、炊事場の水音や食事の食べる音などが耳に残る。
    裕福な老夫婦と設定することにより、貧困による諸問題などを省き、純粋に人間の終末に焦点を絞り、見つめつくした映画である。 ミヒャエル・ハネケ監督作品。
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