2013年7月アーカイブ

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    注目のアイスランドのミステリ作家アーナデュル・インドリダソン のエーレンデュル・シリーズの邦訳第2作である。邦訳第1作の「湿地」は昨年夏に刊行され、瞬く間に様々なミステリの人気ランクの上位を獲得したのも記憶に新しい。極北アイスランドの自然の中で苛酷な背景を背負いながら生きてきた人間模様を哀切感と切迫感溢れる北欧ミステリに仕立て上げる筆力はただものではない。
    住宅建設地で発見された、人間の肋骨の一部を巡って殺人事件の匂いを嗅ぎ付けた警察官エーレンデュルを中心に三人の捜査官が、骨になった人物を特定すべく捜査が始まる。首府レイキャヴィクの郊外にサマーハウスが建ち始めた地区は大戦中はイギリス軍やアメリカ軍のバラックが建っていたという。そして地道な近隣への聞き込みにより数十年間、封印されてきた暗黒の謎が現れてくる。
    物語は三つの方向から語られる。一つは骨の主の正体を追うエーレンデュルたち三名の捜査陣。二つは娘の危機を契機に明かされていくエーレンデュルの過去。そして三つ目はある家族のドメスティック・バイオレンスである。
    北欧ミステリの魅力は主人公の警察官像の造形の妙にある。エリートではない、家庭や己の中に問題を抱えながら仕事をする、叩き上げの不器用な人間が多いのだ。等身大の人間が苦闘しながら、犯罪の闇に迫り、押し返される。決して才能豊かに鮮やかに難問を解決して読者の溜飲を下げるというヒーローではなく、泥臭く、地をはうような捜査を積み重ねていく普通の人間である。
    捜査官エーレンデュルは妻と離婚し、二人の子供とも久しく会っていない。そして長女は麻薬などを常用しており、妊娠中らしいのに極道たちの世界に沈殿しているようだ。ある日、 妊娠中の 長女から「助けて。お願い」という電話が入り、父エーレンデュルは懸命に探し出すが、娘は死産で重篤な状態で寝たきりになってしまう。意識を失った長女の回復に望みを託す手段で、時間を見つけては集中治療室の娘に物語などを語りかけながら、捜査活動を続ける。寒々しい妻との別離、長女の父への激しい反発や侮蔑など、苛酷な私生活の環境で黙々と捜査を続けていくエーレンデュルが捜査する人々も同じように宿命的な闇を抱えた人々なのである。
    そして様々な証言により、現場付近のスグリの木の茂みのあった一家の数十年前の苛酷な歴史が明かされていく。暴力を振う夫と、耐える妻、ただ見守るしかない子供たちの魂の受ける傷・・人間の奥深く巣食う闇の深さに言葉を失う。
    特に重い障害を持つ長女のミッケリーナの描写は生命力を徐々に取り戻す過程が救いのない状況下で希望を感じさせる巧みな筆運びとともに心に残る。全編通じてほとんど話をしないミッケリーナだが、その存在感は強烈で、ラスト近くになり覚醒したミッケリーナの容姿と発する言葉は感動的だ。
    結末は半ば予想通りだが、この物語の骨子は単なる犯人探しではなく、むしろ犯行を裁かずに、エーレンデュルとミッケリーナの二つの家族の哀切な物語を描きながらアイスランドの、北欧の、そして地球上の家族が抱える巨大な闇を提示することにあるのではないかと思われるのである。
    インドリダソンは訳者柳沢由美子氏のインタビュウーでこう答えている。
    「私は殺人事件が起きる背景に焦点を当てたい。なぜその人が殺されたのか。日常的な風景、平和な暮らしの営みとそこに生きる人間を描き、その中で殺人事件が起きることの意味を考えたいのです。殺すに至るまでの過程を理解したいのです。殺すにはそれ相当の理由があり、殺された人間のほうが犯人よりも悪人であることもあり得る。自分の作品では犯人逮捕で終わったのはいまのところ一作しかありません。」
    CWAゴールドダガー賞(英国推理作家協会賞)/ガラスの鍵賞(北欧ミステリ大賞)、同時受賞。訳者、柳沢由美子はヘニング・マンケルの著作の訳者でもあり、明快な文章である。 東京創元社刊。
  • 映画「三姉妹〜雲南の子」雑感

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    この映画については、2013年6月7日付けで本サイトにアップされている市川捷護さんによる映画評に詳しく述べられているので、そちらをご覧いただくとして、ここではある一つのシーンについて、若干の感想を述べることにしたい。
     幼い三姉妹、特に長女の日常が坦々とスクリーンに映し出されて2時間以上が経過し、主題歌もBGMもないこの映画の中で初めて節を持った旋律が劇場内に響いた。父親が畑仕事に行き、子守りの女と子供たちは川に洗濯に行くシーンで、次女のチェンチェンが突然歌を口ずさみだしたのだ。
     スクリーンには「世界で一番ステキなのは私のママ」という歌詞の翻訳字幕がついていたかと思うが、これは「妈妈好(または世上只有妈妈好)」*という中国人なら誰でも知っている歌で、乳飲み子をあやすときにもよく歌われる。オリジナルは1960年公開の香港映画『苦児流浪記』の挿入歌で、その後1988年に台湾で公開され母と子の愛情を描く感動作としてヒットした映画『妈妈再爱我一次』の劇中に歌われ、中国においてもテレビで何度となく再放送されたことから、わかりやすい歌詞と印象的なメロディーも相まって国土の隅々まで広まった。
    『妈妈再爱我一次』では、幼稚園の先生が子供たちにこの歌を教える場面がある。その日は母の日で「今日はお家に帰ったらお母さんにこの歌をプレゼントするんですよ」と。
     母親の愛情を知らずに育った次女が、この歌をどういう気持ちで歌ったのか。三姉妹の中でもやんちゃ娘の次女はこの歌を口ずさんでいる時もなにやらふざけている。まだ歌詞の意味もわからず、周りでよく耳にする歌として覚えたのかも知れないが、何とも切ない気分にさせられる。おそらくこの次女は歌い出ししか覚えていないのだろうが、この歌の2番は「母親がいないということは何という苦しみか」と続くのだ。
     こうして、映画は最後に来てこの三姉妹が母親不在のままこの先を生きていかねばならないという、貧困とは別のもう一つの現実を改めて観客に想起させることに期せずして成功している。このシーンの持つそういった意味合いがもっとも伝わるのは中国の観客のはずだが、この映画は中国政府の許可を得ずに制作されており、上映されることはないだろう。万が一その機会があったとしても、この種の映画に経済発展に沸き立つ今の中国の一般大衆が関心を寄せることはないと思われる。何とも皮肉な現実がここにある。
    ワン・ビン監督はただ自分が撮りたいと思う対象に真摯に向き合っているだけだと言うかも知れないが、中国にこのような社会矛盾が続く限り、それを創作エネルギーにかえて秀作を生み出す映画人が生まれ続けることだろう。
    (市橋雄二/2013.7.2)
    *)この曲は、夏川りみがアルバム『歌さがし〜アジアの風』(2010、ビクターエンタテインメント)の中で日本語と中国語で歌っている。日本語タイトルは「ママ大好き」。
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    正確には、そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリアという副題がつく。ソマリランドはアフリカ大陸東端のソマリア半島(アフリカの角)に位置する共和制国家。アフリカの地図を思い浮かべてその詳細を理解できるひとは少ない。日本から遠方にあり、マスコミなどの報道もエギプトの蜂起やリビアの内戦などが断片的にされるだけで、その内実は分からない。内戦や飢饉などが報道の中心課題で、アフリカに対する図式的なイメージ形成に寄与するのみだ。そこにこの著が出た訳で、その内容に注目が集まっている。
    ソマリランド共和国はソマリア共和国内の北部にある。ソマリアは断片的な報道では多くの武装勢力が林立して無政府状態が続き「崩壊国家」だという。「リアル北斗の拳」とも呼ばれる。
    ところがソマリランド共和国は国際的には全く国として認められていないにもかかわらず、十数年にもわたって平和を維持している独立国家だという。イラクやアフガニスタンのように建前上は国家として認められているのに、国内はほとんどめちゃくちゃという例はあるが、その逆というのは珍しい。しかしながら、情報がないので、実態がよくわからない。そこで 高野秀行が何でも見てやろう精神で、出かけていったルポルタージュである。500ページを超える長篇ルポだが、とにかく面白い。
    全編通じてのキーワードは①氏族制度と②覚醒植物カートについてである。
    ①アフリカについての報道では部族社会という言葉が使われるが、著者によれば部族tribeは差別的であり、定義が曖昧で、最近は同じ言語と同じ文化を共有する人々をethnic group(エスニック・グループ)と呼ぶ。日本語では民族。
    一方、そうした民族の中に、さらに明確なグループが存在するときがあり、文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ先祖を共有する血縁集団」と定義されている。ほとんどのアフリカ諸国では一つの国に複数の民族が同居しており、内紛の原因を作るが、旧ソマリアはアフリカでは珍しく、同国の95%以上が同じ言語と文化を共有するソマリ民族だった。ソマリア人が戦闘を行うのも、話し合いで奇跡の和平をしたのも氏族の単位による行為なのである。他のアフリカ諸国との決定的な違いである。
    著者の説によれば、氏族とは日本の源氏や平氏、北条氏や武田氏のようなものだという。この氏族という概念がソマリランドという奇跡の独立国を理解する鍵だという。
    ②カートとはニシキギ科の植物で、サザンカ、ツバキに似た常緑樹で、このカートを噛み、食べるという習慣で、意識の覚醒感と明晰さを持続することができるという。多幸感や人恋しさが増幅し、著者もほとんど中毒状態になる。カート宴会なるものが盛んで、彼らの本音を探る習俗の場として欠かせない。
      ときたま氏族制について複雑な説明に傾斜しすぎることがあるが、そこは適当に読み飛ばして先に進む。まずなによりもソマリランド人の描写が秀逸だ。日本人のメンタリティの真逆にソマリランド人のそれを規定する。離れすぎて,ついには背中同士がくっつく,同根異種ではないかと思うくらいだ。日本人のメンタリティのほうが、地球規模で計れば特殊で、ソマリランドのひとびとのそれはアジア人の中では中国、韓国人により近い。
    様々な困難や試練に囲まれているにもかかわらず、彼らの日常は生の実感に満ちている。さまざまな風習や習俗も興味深いし、著者の不屈の精神も小気味よい。ソマリ人を見つめる視線はバランス感覚に優れ、信頼すべき公平さと理解力に満ちている。このあたりは探検部出身で地球上の辺境地帯を体験してきた体験がものをいっている。
    海賊国家プントランドと戦国南部ソマリアでも取材するが、ソマリランドのように一人で自由には歩けなく、厳重な警備を雇わなければならない。しかし、そうした状況下でも現地の人々がそれぞれの日常を生きていることに触れる余裕と公平さがある。
    こうしたソマリアの混沌と不可思議な達成(ソマリランド)の内実を詳細に解明するのは、未だ誰もできないほど、現状は動いているようだ。この著は一人のジャーナリストが己の肉体をさらして、ソマリア人に肉薄した希有のルポルタージュで、今後、組織的、国際的な解明調査分析作業が行われるときには第一に参照されるべき文献になるだろう。 本の雑誌社刊。
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