2014年9月アーカイブ

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    希代の名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが経てきた豊かにして苦悩に満ちた人生の記憶・歴史が三女のステファニーによって映像化されたドキュメンタリーである。
    他のどのような実力派監督が撮っても、決して入り込めないアルゲリッチの心のひだにするっと入り込んだ、貴重な証言の数々が興味深い。我が子であるからこそ心を許して思いを吐露するアルゲリッチとカメラを通して母親と会話するステファニーとのやりとりが新鮮で胸を打つ。アルゲリッチの顔のクローズアップを多用するのも娘なりの特権かもしれない。
    アルゲリッチのCDではラフマニノフの三番のコンチェルトが好きで、繰り返し聞いていたが、内面からほとばしり出る、押さえようもない感情の爆発がラフマニノフの体質に合うような気がしたものである。そして彼女を単なるクラシック音楽家以上の存在にしているのが彼女自身の持つ並外れたオーラ、自由奔放(に見られる)な言動などだが、、今回のドキュメンタリーが興味深いのはそうしたアルゲリッチの実像が或る程度解明されているからだろう。
    演奏会の開演間際に必ず見せる再三の、心の動揺、悪態などは、彼女も普通の人だと思わせ、子供のような振る舞いが、ステファニーをして自分が母親で、アルゲリッチが子供だと言わしめる。
    そしてこの映画の根本は、父母(親)と子供たちとの関係という永遠のテーマに対する強烈なネッセージ性にある。
    アルゲリッチには3人の娘がおり、すべて父親が異なり、長女のリダは中国人指揮者ロバート・チェン、次女アニーはフランス人指揮者シャルル・デュトワ、本編の監督、三女のステファニーはアメリカ人ピアニストのコヴァセヴィッチがそれぞれの父親である。国籍もそれぞれで、 世の中の常識、慣習、倫理などにとらわれずに自分の価値観で生きてきた、その自由自在さがまぶしいほど革新的だ。
    一つの文化にのみ寄り添うのではなく多様な文化を知り、その価値観を認めることが、結局ナショナルなものを真に尊ぶことに通じることをアルゲリッチと三人の娘たちの関係性は証明している。
    マルタ・アルゲリッチはアルゼンチンの出身であり、彼女の母親の系譜にはユダヤ系ウクライナの血も混じるようで、推測だがインディオ、スペインなどの血も入っているのかと思うほど、彼女の紡ぎだす音楽の色彩が多彩で、強烈な訴求力に富んでいるのだ。
    長女リダとは生後直ぐ離れざるを得ない事情が起こり、ステファニーがリダに会うのは17年後だったり、母親との葛藤があったりと、波乱の多い人生は豊かさと苦悩に満ちたものだったろう。これらの体験がすべて彼女のピアノに込められていると思えば、彼女の突出した表現力、特にデモーニッシュなまでのテンポの揺れ、不動のテクニックなどがアルゲリッチの血と涙の産物なのだと納得する。
    美しく心を揺さぶるシーンが多い。ステファニーと実父コヴァセヴィッチとの数日間の生活ぶり、アルゲリッチとコヴァセヴィッチのツーショットなどには余韻が漂い、滋味深い。そして3人の娘たちと、芝に座りながらの何気ない会話のシーンには安らぎが満ちていた。 孫に子守唄を奏でる安らぎのシーンがラストに用意されている。
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    浪曲タイフーンvol.5と称する浪花節の会を見た。玉川奈々福が企画し、春野恵子とシリーズで開催してきたイベントだ。
    春野恵子は「電波少年」のケイコ先生などを経て2003年以降浪曲師の道に入った。最近はテレビなどのドキュメントでアメリカ公演の模様などは知っていたが、生の舞台を見たのは初めてだ。
      玉川奈々福は彼女が筑摩の編集者時代に縁があり、浪花節をやっていたのは知っていたが、舞台を見る機会がなかった。
    異色の経歴の二人が、面倒な理屈を飛び越えて、浪花節に心酔している様子が気持ちよく伝わる会であり、これほど華やいだ空気に包まれた浪花節が存在することに正直びっくり。
    二人とも華があり、舞台映えがするのが強い。一部のバラエティでは浪曲漫才風な掛け合い。奈々福の三味線が効果的に客を盛り上げる。明晰さとユーモアに富んだやり取りは楽しく、テンポ良い疾走感が心地よい。
    2部はそれぞれ持ちネタを20数分ずつ演じた。春野の明るい芸風、奈々福の節回し、身振りの決まる心地よさなどなどフシの魅力に時間を忘れたのである。特に玉川奈々福の充実ぶり、芸人としての存在感、三味線の腕前が強い印象に残った。そして奈々福の曲師・沢村豊子の練達の三味線、特に音色の美しさにも聞き惚れた。
    フシの魅力とは、人の感情に直に訴えてくる力で、理屈を越えて心に届く。そこに身を委ねる快感が浪花節の醍醐味だ。
    いつからか浪曲が芸能史上の過去の遺物扱いされだして、マスメディアに乗りづらくなっているが、フシと啖呵と三味線で物語を紡いでいく浪花節は日本芸能史・語り芸のメインストリームから外せないばかりでなく、現在のお笑いテレビ芸、演歌歌謡曲などに多大な影響を与えてきた語り芸で、日本人の意識の襞に今なお脈々として流れている血液みたいなものである。
    こうした浪花節の魅力を知らしめんと励んでいる彼女たち、浪曲師を心から支持する。これからも見続けていきたい。2014年9月20日亀戸カメリアホールにて。
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    場内が暗転し漆黒の闇に包まれる。「今晩は、田中泯です。」と田中泯の声がする。今夜のステージは、音楽が付かない無音のステージになると言い、「自然に行きましょう。携帯も切らなくていいでしょう。いや、やはり切りましょう。ぶつぶつ不満や、おならなどはいいですよ。自然にね。では準備しますので・・」と肩が凝らない空気の中で、ダンスが始まった。
    明るくなった舞台に、2メートル余の一本の角材の端を頭で支えている田中がいる。ぼろ切れ風長襦袢をまとい、長い間、角材を支え続ける。不動でありながら、足の指、ふくらはぎは微妙にけいれんのように震えている。シジフォスの神話や大震災・・・が脳裏をよぎる。
    2メートル四方の舞台の上とその周囲、そして打ちっぱなしのコンクリート壁など、ダンスするスペースは限られており、狭い場内のどこからでも田中の呼吸が手に取るように迫ってくる。こうした空間にどのように身体が反応するか、身を委ねているかにみえる。時折、間のように思える瞬間があり、素の田中岷が垣間見える。角材を離れて自在に身体を反応させる田中流のダンスに安堵の空気が漂う。壁に向かい合う身体運動では額が壁にごつんと当たる音が生々しい。
    1時間余で田中自身の「ありがとうございました」という言葉で終了。
    舞台に正座した田中はplan-Bのステージで踊り続けてきた至福の思いを述べ、ダンスすることの喜びを語り、農業する生活を語りながら、その中から生産したお茶や梅酒をうれしそうに紹介した。会場で販売されており、農業者としての顔を覗かせながら、彼のダンスの重要な要素に土、土壌、地面、地球というものが介在していることを確信させた。照明 田中あみ。
    2014年9月18日 会場:plan-B にて。
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    1968年8月、旧ソ連の戦車がプラハの町を蹂躙した1年後、ジョセフ・クーデルカ(チェコ語ではヨセフ・コウデルカ)はロンドンに亡命した。旧ソ連の侵攻を記録したクーデルカの写真は世界中に配信されたが、あまりの衝撃だったために報復の恐れがあり故国に戻ることは危険だった。そこで、クーデルカは世界を代表する写真家集団マグナムに入り、ヨーロッパ各地を放浪しジプシーを撮り続けた。夏になるとほとんどお金を持たずに野宿をしながら旅をし、冬になるとロンドンに戻りフイルムを現像した。こうして1975年に最初の写真集「ジプシーズ」が出版された。
     1938年チェコ東部の町ボスコヴィツェに生まれたクーデルカは、小さい頃から写真に興味を持ち、いちごを収穫してはそれを売って最初のカメラを買った。その後プラハに出て工科大学に進み、写真クラブに入った。
     実はクーデルカは侵攻事件の前から漂泊の民にレンズを向けていた。航空技師として働いていた頃、1967年に写真展を開きジプシーの写真を22枚展示した。2011年のインタビューの中で、孤独を好み今はパリに住むクーデルカは、旅をしながらロマの人々と過ごした日々を懐かしんでこう語っている。
    「ジプシーの連中は私のことを哀れんでさえいたよ。自分たちより貧しいやつだと思ってね。夜になると彼らは幌馬車の中に入り、私は夜空の下で野宿さ。」
    (市橋雄二 / 2014.9.10)
    ※新作、未発表作品を含む最新写真集"Koudelka: Nationality Doubtful"が2014年7月、Art Institute of Chicagoより刊行された。今日世界で最も注目される写真家の一人クーデルカについては、近年日本でも次の写真展が開催されている。「ジョセフ・クーデルカ展」東京国立近代美術館(2013.11.6〜2014.1.13)、「ジョセフ・クーデルカ プラハ1968」東京都写真美術館(2011.5.14〜7.18)。
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    ローマという街と、そこに生きる人々の存在を、万華鏡を見るように、次第に映画の世界に飲み込まれていくような不思議な感覚を味わう稀有の体験だった。
    かつて1作で富を得たローマ在住の初老の作家(トニ・セルビッロ)がパーティに明け暮れる退廃的な生活の中で、初恋の女性の死を知る。そこから人生を見直し、執筆活動を再開しようと決意する。
    特筆すべきはトニ・セルビッロ。脱力系のビル・マーレイを思わせる脱力風で、とぼけた表情としゃれた風情で力みや演技を感じさせない存在感がこの映画の成功の一因だろう。
    絢爛、猥雑、喧噪に満ち、めまぐるしい展開があるが、筋などは無視して映像に身を委ねているうちに、次第に朝、昼、夕闇に刻々と姿を変えていくローマの町並みに目を奪われ、そこにうごめく人間たちの感情が己のもののように身にしみてくる。そしてイタリア人がローマという街に抱く複雑な愛情に気づく。
    いうまでもなくこの映画はフェリーニの「甘い生活」(1960年)や「フェリーニのローマ」(1972年)に影響を受けているが、監督のパオロ・ソレンティーノは現代のローマの息吹を鮮やかに映像化し、そこに生きる人間像を際立たせることに成功している。
    そして何よりも美しい映像に身を委ね、絢爛豪華な映像世界はイタリア・グランド・オペラを見ているようであり、妙なことだが「歌舞伎」的な匂いも感じたのである。大仕掛けの見世物小屋を通り抜けた気分とでも言おうか。
    こうした体験は全く久しぶりのものであり、イタリア映画の伝統を改めて感じた。 86回アカデミー賞最優秀外国映画賞をはじめ多くの賞を授与されてる。
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