2015年7月アーカイブ

  • トップページへ
    視野が柔軟で、懐が深い小説で日本にはなかなか現れない類いのスケール感を湛えた傑作だ
    台湾を中心として中国本土から日本までを含めた現代東アジア史を俯瞰しながら台湾に生きる一家の歴史を描きつつ、主人公(葉秋生)の愛と青春の日々を鮮やかに浮かび上がらせた。
    中国大陸での国共合作や共産党政権の成立、台湾へ移った蒋介石〜そうした激動の時代に生きた中国人、台湾人の生活史を含めた日常がこれほど鮮やかに描かれたことはあまり無いのではないか。
    名作「非情城市」(監督 候孝賢1989年)をなぜか思い起こしたが、全編を貫いている哀調と湿度感が似ているような気がする。
    主人公(葉秋生)の祖父、葉尊麟は国民党に味方し、共産党軍を多数殺戮する破天荒な生き方をしてきた型破りな個性を持った男で、彼の一族を中心にして葉秋生の視点から物語は進む。ある日、祖父が何者かに殺され,その謎解きも伏線としながら、葉秋生の初恋、受験、学生生活、父親、母親、叔父、叔母などがそれぞれ印象的なエピソードを交えながら語られ、そこには笑いあり、涙あり、スリルありの日々が活写されていく。これら以外にも幼なじみの不良連中、町のチンピラやくざなども欠かせない登場人物だ。これらの人物が皆魅力的で、血の通った憎めない人々ばかり。どうしようもない不良との忘れがたき熱き人間関係やそれぞれの歴史を背負った人々の姿が、懐かしい既視感とともに眼前に迫ってくる。日本の道や街角でも頻繁に見かけた光景である。
     主人公(葉秋生)の子ども時代に
    「ランニングシャツを着た祖父は手に碗を持ち、青い朝靄のなかにいる豆花売りを呼び止める。ふたりは朝の挨拶を交わす。豆花売りは碗に熱々の 豆花をたっぷりよそいながら、またお孫さんにかい、と尋ねる。祖父は、やっぱりあんたの 豆花がいちばん美味いからね、とかえす。・・・」夜も明けないうちに起き出した祖父が、この豆花を買ってきては食べさせてくれる回想シーンは美しい。
    こうした台湾の庶民群像をヴィヴィッドに浮かび上がらせながら、この小説が単なる青春小説の枠を超えているのは、その背景を流れる中国、台湾の現代史を、生きた等身大の人々の思いとともに描いたからだ。
    登場する人物の奔放な日常会話が小気味よく、いつしか哀切で、アジア的台湾的抒情に満ちた味わいが懐旧の情を呼び起こす。
    印象に強く残った一節がある。 主人公(葉秋生)が初めて祖先の地、山東省に入って間もなく抱く感慨みたいなものだ。
    「中国の地を踏んでまだ間もないが、私は理解しはじめていた。この国は、大きいものはとてつもなく大きく、小さいものはあきれるくらい卑小なのだと。ちっぽけな台湾や日本のような平均化を拒絶する、図太いうねりのようなものを感じた。」
    この思いは中国への数えきれないほどの旅をしてきた私にとっても、十分に納得できる感慨であり、中国という存在を理解する鍵の一つではないかと思っている。          」
  • トップページへ
    日本SF界の三巨人、小松左京、筒井康隆、星新一それぞれの個性を生かしたレコードを制作したいという思いで、日本テレワークの野田昌宏氏の協力を得て実現したサウンド・ノヴェルとも称するシリーズ企画をプロデュースした。 AMAZING3をシリーズタイトルとして1978年にビクターから発売された。当時、筒井康隆さんのご自宅を訪ねて、相談したり、小松左京さんには大阪での記者発表会やパーティーで親しくさせていただいたことなど忘れがたい思い出だ。そしてこれらが6月に初CDとして復刻された。
    CCF20150725.jpgCCF20150725_2.jpg
    ●この企画のために書き下ろされたスペースロマン。演出・構成など自ら手がけた「宇宙に逝く」はSFの枠を超えたヒューマンな傑作となっている。ジョー・タカハシ中尉を演じる日下武史が素晴らしい。スタジオ ヌエが描いた宇宙母艦も忘れがたい。解説パンフに小松左京自筆の構成台本の写しやSFに寄せる思いを綴った文章、川又千秋氏の解説文がある。イラストは加藤直之(スタジオぬえ)、マークデザインは山藤章二+長友啓典。
    ●A面は短編「バブリング創世記」をレコード化した異色・意欲作で山下洋輔、小山彰太、坂田明らが音楽はもちろん声でも参加している。B面は筒井がこのレコードのために書き下ろした作品で自作朗読である。筒井康隆は俳優としても独特の存在感を持っており、人間が眠る方法を微細に語り、抱腹絶倒の世界を現出している。解説パンフには山下洋輔氏の貴重で、詳細な分析が素晴らしい。とにかく筒井康隆も山下洋輔も生きた伝説だ。イラストレーター:山藤章二、フォトグラファー:芝崎俊雄、デザイナー:長友啓典  野村高志+K2
    CCF20150725_3.jpg
    ●星新一のショート・ショートは底流において江戸落語、小咄に繋がるものがあるとされる。そこで落語との接点に焦点を当てて、寄席のかたちをとりながら星の世界を覗くというのが狙いである。古今亭志ん朝、柳家小三治という最高の噺家が競演するのも興味津々。解説パンフは関容子さんによる『「星寄席」の誕生まで』の裏話が面白く、今や懐かしい。関さんは後に勘三郎に関する優れた業績を残したのも嬉しいこと。寄席文字:橘 右近  イラスト/デザイン:和田誠
    以上の3点はジャケットなどのアートワーク、解説パンフの復刻などの点から見ても、復刻作品の見本となるような丁寧で、きちんとした仕事ぶりが嬉しい。それにしても凄い豪華メンバーぞろいのアートワークだ。 参照:  AMAZING3
  • トップページへ
      「欧州連合(EU)へのロマ移民の数が他と比べて多いという証拠はない。」欧州評議会の人権担当委員ニルス・ムイズニクス氏は、最近発表になった人権に関する談話の中で、「ヨーロッパにおけるロマ移民に関する偏見と先入観を覆すときである。」と述べた。
     ロマに関する政治やメディアにおける議論はヨーロッパ諸国で盛んになっている。2004年と2007年のEUの東欧への拡大、そして2014年多くの加盟国がルーマニア人とブルガリア人の就労制限を強化したことなどが原因で、ロマ移民の脅威というムイズニクス氏が言う「根拠がなく煽動的な」言説が飛び交っている。英国、ドイツ、スイス、イタリアなどの国々のメディアは、しばしばロマ移民の実数について根拠のない数字を掲げている。」
    しかし、ブルガリアやルーマニアからのロマ移民の「侵入」は就労制限以降発生していないという。 
    「たとえば、フランスではロマ移民の数は2000年代初め以降1万5千から2万人と言われているが、去年私がストラスブール(フランス)のロマ居住区を訪れた際、そこでのロマの数はここ数年400人前後から変わっていないと教えられた。」とムイズニクス氏は言う。
     「政治家そしてメディアはそろそろ移民増を煽ってロマに汚名を着せることをやめ、客観的な人口統計あるいは経済に関するデータを使うべきで、人種差別的なレトリックは厳しく戒め、道義的なジャーナリズムを推し進めるべきだ。もうひとつ、ロマ移民は社会保障制度を乱用し、主流社会に溶け込むことを拒んでいるという誤った先入観があるが、こうした見方は事実に基づくものではない。」 
      2013年の調査から、欧州委員会は、EU内の移民(ロマを含む)が受け取る手当以上の納税によって移民受け入れ国に実質的な貢献をしているとの認識を明らかにしている。また、移民たちは母国にいたときよりも失業手当や扶養手当に頼ることが少なくなっている。
    「大事なことは、一口にロマ移民といっても多様な存在であり、多くは就労し、新しい受け入れ国に溶け込んでいるということだ。」 
    以上の記事は、中国の「上海日報」WEB版に掲載された英文ニュースをもとにしている。内容もさることながら、中国メディアが人道的な観点からヨーロッパにおけるロマの問題を取り上げているところが興味深い。これを中国メディアの成熟と見るか、プロパガンダと見るか。和諧社会の実現を標榜し、階層対立の解消に躍起になっている中国としては、少数民族や大量に都市部に流れ込む農村部人口もうまく主流社会と調和して生存しうることの事例として解釈し、自らの国家のあるべき姿とだぶらせたイメージを国際社会にアピールしようということか。そうであれば、やはりこれはプロパガンダということになるのだろう。
    (市橋雄二/2015.7.18)
  • 映画「きみはいい子」〜切実感に満ちる

  • トップページへ
    「そこのみにて光輝く」で鮮烈な印象を残した呉美保監督の新作であり、現在最も次回作が見たい映画監督の一人でもある。そしてその作品は、十分期待に応えるものであり、充実感に満ち、問題意識に溢れた作品に仕上がっている。
    現代日本社会に巣食う病巣の数々ー幼児虐待、認知症、いじめ、学級崩壊ーそのどれ一つを取り上げても難問が横たわり、解決困難で深刻なテーマであるが、呉美保監督はこれらを包含した群像劇に仕立て上げるという荒技を駆使しながら見事な人間復活ドラマになっている。
    好人物らしいが、担任のクラスを引率するのに四苦八苦している小学校教師(高良健吾)、我が子に暴力を振るってしまい、悩む母親(尾野真千子)、認知症の兆しを見せる一人暮らしの老婆(喜多道枝)などが同じ町に暮らしながら、それぞれの悩みを抱えながら生きる様を描く。それぞれの様相を的確な演出で掘り下げながら、丹念に悩む人のこころに寄り添うようなカメラが秀逸だ。
    明快な解決法など何もあるはずが無いのは、見る側も分かっているにもかかわらず、思わず 見入ってしまい、一緒になって悩んでしまう気分にさせられるのは物事の本質に視点がフォーカスしているからだろう。抑制の利いたカメラワークが、シーンの緊迫感を生み出し、劇的であり、余韻を生み出す。クローズアップは意識的に使わず、或る一定の距離感を保つという呉美保監督の演出意図が明確である。そして音楽の使い方も上手い。
    秀逸な場面が幾つかあるが、孤独な老婆と障害を抱えた少年との交流は、胸が熱くなるものがあり、少年の奇矯な振る舞いが心地よいものに変貌するかのような気持ちにさせられ、はっとするのである。自閉症役の少年の演技が迫真に満ちている。
    出口が見えないような状況ながら、そのなかから少しずつ希望めいた芽がうごめきだす予兆のようなものを暗示して映画は終わる。「そこのみにて光輝く」のラストシーンは忘れがたいほど美しいものだったが、この映画のラストも唐突ながら余韻が残り印象的だ。
    呉美保監督が素晴らしいのは日本の現代社会を見つめる眼の確かさにある。低い視座から、ひたすら現実を捉え、やたら性急な解決策を提示するという安易さに満ちた作品群とは一線を画しつつ、苦悩し続ける人々に寄り添いながら、浮かび上がってくる希望のようなものを見逃さないで映像化する力がある。そしてその映像は切実感に満ちている。呉美保という監督の存在はますます大きなものになってきた。
  • このアーカイブについて

    このページには、2015年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

    前のアーカイブは2015年6月です。

    次のアーカイブは2015年8月です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

    月別 アーカイブ

    ウェブページ

    Powered by Movable Type 4.261