2016年7月アーカイブ

映画『ラサへの歩き方』を観て

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     本作は、今のチベットを舞台に実際の村びとたちの五体投地による巡礼の旅を描いたロードムービーで、チベットを扱いながら政治や宗教の匂いを消し去って生身の人間と自然の描写に特化したとても美しい映画である。
     中国第6世代の監督チャン・ヤン(張楊)による新作で、プロフィールによると根っからのチベット好きらしい。チベットに陸路で入るには、道路整備の進んだ青海省からまっすぐ南下するルートや四川省からほぼ真西に進むルートが一般的であるが、チャン監督はこの映画のロケハンのために、雲南省の大理から北上し、シャングリラ(香格里拉)、デチェン(徳欽)を経由して四川省に入り、パタン(巴瑭)から西に峻険な山岳地帯を超えてマルカム(芒康)に入るという雲蔵公路(雲南チベット道路)を選んでいる。割とマニアックな行き方である。映画はそのマルカムという町から始まるのだが、このあたりに監督のチベットへのこだわりが感じられる。
     実は、巡礼の一団が通った雲蔵公路のニンティ(林芝)からラサ(拉薩)に至るルートは、ちょうど20年前、筆者もこの地域に暮らす少数民族メンパ族の民間芸能のビデオ撮影の際に通ったルートで、当時目にした風景を思い出しながら巡礼の旅を共にたどることができた。当時はなかった幅の広い舗装道路や送電線など時間が経過したことを感じさせる一方で、圧倒的な自然の景観は変わることはない。また、この地域はチベットから大きく湾曲してインドに流れ込む大河ヤルツァンポ(インド領内ではブラマプトラ川)の流域で、冒険作家角幡唯介氏のノンフィクション『空白の五マイル』の舞台に近いエリアでもある。
     映画では行く手を阻む増水、落石、交通事故などさまざまな困難に直面するシーンが描かれる。一団にはテント運搬用のトラクターが同行していて「ここはトラクターに乗ってもいいんじゃないの」などと心の中でつぶやいていると、村びとたちはどんな場合でも、迷うことなくただひたすら五体投地を続けるのである。思わず自分が恥ずかしくなる。彼らの巡礼の旅は、目的地に急いで行くこと、すなわち効率的であることに意味はない。五体投地というもっとも敬虔な気持ちを表す礼拝方法、すなわちもっとも非効率な方法で、楽をせずに仏様のもとに参じることが目的なのだということを改めて映像から思い知らされる。
     この映画はあまねく現代人に対するメッセージたりえることは言うまでもないが、もう一つ、今の中国人が置かれている状況の反映としての見方もできる。映画の冒頭、制作会社のロゴが始まる前に中国の監督官庁(国家新聞出版広電総局)が発行した認定書が映し出されることからわかる通り、敏感な問題をはらむチベットを舞台にしている映画でありながら、これは政府公認の映画である。監督も中国国内での公開を望んでいるという。このような現象は、冒頭にも書いた通り、政治的な、あるいは宗教的な関心とはまったく別の文脈で、「心の拠り所としてのチベット」という意識が国民(人口の約9割を漢民族が占める)の間に芽生えていることの証左と捉えることもできるだろう。急激な経済成長の中で住居や家電製品、高級食品など物質的に豊かな生活を手に入れ、極端なことを言えば、お金で買えるものは全て買ってしまった富裕層の人々の関心のひとつが、実は自分の国内にあった理想郷としての辺境地域なのである。ラストシーン、カイラスに吸い込まれていくような一団の超ロングショットの幻想的な構図は、そうした人々の心のうちを写しているようでもある。
    (市橋雄二/2016.7.30)
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    2014年66歳で急逝した伝説的ギタリストのドキュメンタリー。パコ・デ・ルシアはフラメンコ界に革命を起こし、その枠を遥かに超えて様々なジャンルの音楽世界のリジェンドたちと交流を通して新たな地平を切り開いたギタリスト。
    超絶的な早弾きとテクニックの持ち主でありながら、絶えず己の生み出す音楽に対して厳しい内省を繰り返し、その音楽探求の姿勢は求道者のようだった。このドキュメンタリーの監督、脚本、製作を長男のクーロ・サンチェスがを務めこともあり、飾らないアーチストの肉声が聞ける貴重な記録であり、これだけ、本音を語り尽くせたのも、長男、クーロの存在が大きかったのだろう。
    マルタ・アルゲリッチの記録ドキュメンタリー 「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」が娘の監督によって初めて彼女の内面が明かされた場合に共通している。
    パコへのインタビューは2010〜2014年に行われ、冒頭及び終幕のシーンはマジョルカ島の自宅で撮影されたという。映画の流れはパコへのインタビューへの応答とパコの独白めいた呟きのようなもので構成され、その合間に過去の様々な印象的な映像でモンタージュされ、単純ながら映像の持つ歴史的な価値に魅了され続ける90分だった。
    とにかく全編、パコの裂帛の気合いと超絶的なギターが流れる中、夢中になって音楽について語り続けるパコの言葉に聞き入るのみだった。まるで、パコの指先に宇宙が宿るような瞬間に立ち会った気分だった。
    特に印象に残ったのは1967年に出会い、共演したフラメンコの歌い手、カンタオールのカマロン・デ・ラ・イスラとのシーンだった。ともにシャイな性格で、無口な二人が互いの才能を認め合い実現した競演は新たな化学反応のようなセッションで、滅多に見られない音楽的な達成だった。ヒターノ(ロマ・ジプシー)でもあるカマロンの地を這うような歌唱は、パコには衝撃だったのではないか。
    パコが活動を共にした、カルロス・サンタナ、ジョン・マクラフリン、チック・コリア、サビーカスなどが証言者として出てくるが、それだけパコの世界が広く、深いということだろう。
    パコの音楽性の価値はフラメンコを完全に肉体化したうえで、自在に他ジャンルの領域で飛雄しながらも、終生にわたり、フラメンコの香りを放ち続けたことかもしれない。このドキュメンタリーを見ながら、(歴史的イヴェントやフラメンコの知識があろうがなかろうが、)ただ、ひたすらにパコのギターの音色に委ねていれば、やがて心の中に満ちあふれてくる感情こそがフラメンコの真髄である。
  • 追悼 永六輔さん

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     永六輔さんに初めてお会いしたのは、昭和40年台の半ば以降、1970年代前半だったと思う。小沢昭一さんと放浪芸探索の旅の最中の京都でのことだった。
    どこかのホールか、会館の楽屋で永さんを見かけた小沢さんが「永さん、今、僕のレコードを作ってくれている市川さん、、」と紹介されたのが最初の出会いだった。今改めて思い起こすと、小沢さんが人を紹介するようなことは、めったにないことで、永さんも少しかしこまっていたような記憶がある。
    当時の永六輔さんは30代の後半、放送界の寵児で、作詞家としても大ヒット連発で、まばゆいほどの存在だったが、そうしたところにいるのがどこか居心地悪く感じていたようだ。虚構の世界に生きることの虚しさ、手ごたえのなさを克服しようとしていたようだった。
    この頃1年間東京を離れて、大阪か京都で下宿生活のように過ごしたという。関西芸能の世界に沈殿して、市井の人々、職人の世界にも目配りする日々を過ごしたのも、今後の己の進む道を模索したのだろう。こうして体に入れた大阪関西の芸能の匂い、市井の人々の感性を終生、大事にした人だった。そして日本全国に足を伸ばし、芸人、普通の人、ちょっと面白い人などを発掘しながら、ラジオを通じて紹介し続けたのだった。それは、永さんが心から尊敬していた歩く民俗学者、宮本常一の姿に重なってくるほどの列島行脚ぶりだった。
    とにかく、東京を中央としての、上から目線を排して、つねに地方、辺境からの視線にこだわり続けた人だった。テレビ創世記の時代のメインストリームを驀進しながらも、テレビの欺瞞性を喝破して、ラジオの世界で己の魂の安息を得たのだった。
    小沢さんとの旅の途中で、宿の食事後などに、何回聞いてもお腹の皮がよじれるほど笑わされる永さんの話がある。
    ある晩、永さんが就寝中、疲れていたのか、大きなあくびをしたという。そしたら、あごが外れてしまった。面長な顔がさらに長くなった。こりゃー大変だというので起き上がり、医者に行くことにした。愛妻家の永さんは伸びきった顔を見せると、奥さんもびっくりすると思いやり、新聞紙にマジックで「あごがはずれた。医者へ行く」って書いて、それで顔を隠して、奥さんを起こした。さすが愛妻家。それで急いで近所のお医者さんを訪ねたが、それからが大変で、外れたあごをはめるのには、さらに強い力であごを引っ張り伸ばして、反動でえいっとはめるのだという。戻った顔を見たお医者さんは「ああ、永六輔さんだ」という話だが、これらを小沢さんは1時間かけて、丁寧に語り下すのだ。この話は小沢さんの裏ネタだが、旅先で天気待ちなどの時に、こちらからの注文に応じて、たまにやってくれるのだった。抱腹絶倒とはこのことで、宿の部屋の畳の上を腹を抱えて転げ回ったのだった。 この話は「随談 小沢昭一」(2005年)として新宿末広亭を満員札止めにした「奇跡の10日間」の第3夜で語られている。
    永六輔さんも小沢さんと同じく83歳で逝かれた。合掌。
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