2016年11月アーカイブ

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    第2次世界大戦中、軍港として栄えた広島呉市が舞台。戦艦「大和」の母港でもある。
    18歳のすずさんに縁談がもちあがり、1944年、広島市から呉に嫁ぎ、海軍勤務の北条周作の妻になる。のんびりでおっとりした性格のすずさんは絵を描くのが好きで、工夫を凝らして食卓を飾り、衣服を作り直したり、徐々に暮らしぶりが不自由になる家を守りながら健気に毎日を積み重ねていく。
    こうの史代の同名コミックを片渕須直監督がアニメ映画化した。原作は第13回メディア芸術祭マンガ部門優秀賞他各メディアのランキングでも第1位を獲得している。
    物語は起承転結があるわけではなく、戦時下での一般庶民の些細な日常を丁寧に、淡々と、積み重ねていきながら、すずさんをはじめとして登場する人々の思いに寄り添うように展開する。
    夫の両親は優しく、義姉やその娘の晴美も同居している。遊女リンや水兵になった水原との出会いはすずさんの心を微妙に揺らす。呉に対する空襲は激しさを摩し、すずさん自身や、その周りにも深刻な影響が及び出す。そして、あの昭和20年の夏がやってくる。
    全編にみずみずしさが満ち溢れ、庶民が営んできた日常の些細な出来事がいかに儚く崩れさるものであるかを知らしめ、されど日常の生活の歴史の積み重ねが、いかに尊く、美しく、貴重なものかを、改めて静かに語りかけている。強いメッセージ性が透けて見えないほど、沈潜しているが、それだけにすずさんの愛らしさ、健気さが胸を打つ。
    すず役を演じるのん(本名 能年玲奈)が圧倒的に素晴らしい。テレビで見た「あまちゃん」の快演以来、女優としての潜在力の高さを期待していたものとしては、納得。セリフ、言葉で表現する以上に、不可思議なニュアンスがまとわりつくのがこの女優の魅力であり、大竹しのぶ的な匂いがある。
    後半、広島の8月6日のあの日が近づくにつれ、胸苦しい切迫感が溢れ出すが、このあたりの描写も抑制がかなり効いているだけ、説得力がある。廃墟になった広島に入ったすずさんは戦災孤児になった少女を連れて呉に戻る。ささやかな救いが染み入る。
    「君の名は。」を見た後での最初の印象は、その圧倒的な風景美と比較してしまうが、水彩画の味わいとさりげなさがあり、当時の普通の日本人の群像や失われいく原風景が暖かく浮かび上がる。
    広島や戦時下の日本庶民の原像に迫った作品として、今村昌平の「黒い雨」と並んで忘れられない映画となった。なお、この映画はクラウドファンディングで3374人のサポーターから39,121,920円の制作資金が集まり、「この映画が見たい」という声に支えられ完成した。2016年は「君の名は。」と「この世界の片隅に」という稀なアニメーション傑作を生んだ年として記憶されるだろう。
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    この映画は特別で、新鮮な驚きを我々に与える稀に見る異色作だ。それは近代文明に浸っている我々に根源的な問いを突きつける衝撃度を秘めた映画である。グローバリズム、近代合理主義、シャーマニズム、アニミズム、神話、口承伝承などなどの概念が頭の中を駆け巡らずにはいかない2時間だった。
    20世紀の初頭と中盤にアマゾンに入った二人の白人学者の民族誌や手記に触発され、映画化したのがコロンビアのシーロ・ゲーラ監督。88回のアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされたようだ。
    先住民カラマカテを訪ねてきたのは病に犯されたドイツ人民族学者。幻の聖花ヤクルナを求めて二人はアマゾン深くカヌーを漕ぐ。数十年後、記憶を失っているカラマカテはアメリカ人植物学者と出会い、再びアマゾンを彷徨う。様々な体験に遭遇しながら、時空を超えて、二人の間を行き交う対話がスリリングだ。ストーリーはわかりにくく、丁寧には展開しないが、アマゾンの自然に圧倒されながら、先住民のまばゆい世界観をただ聞き入るばかりである。
    モノクローム撮影が効果的でアマゾンを漕ぐカヌーが美しく、ジャングル・森の表情が多様、多彩に変貌する様子に魅入ってしまう。
    二人の白人学者とカラマカテとのふれあい、つまり、近代文明の合理性の真っ只中にいる白人とアマゾンの精霊との対話と民族の記憶に生きるインディオとの対話を通して、先住民の感性の鋭敏さ、視座の低さがより説得力を持ってくる。先住民の精霊との付き合い方、未来への予測の明確さが浮き上がってくるのだ。近代文明の成果である科学力に対するアニミズム=精霊信仰の素朴で力強い生への信仰がこの作品の通奏低音で奏される。
    監督が現地、地元で見い出した二人のカラマカテ役の素人俳優の存在感が並外れている。崇高で、野性的、そして何より品性がある。この起用がなければこの映画の成功はなかったろう。俳優としての訓練などよりも、民族の伝統として、口承伝承(文字ではなく、言い伝え)で生きててきた彼らは優れた聞き手なのだ。饒舌な俳優ではないのだ。饒舌は何も語り得ないということを、 カラマカテが体現している。
    モノクロ画面の一方の主役はアマゾンそのものの自然だろう。怒涛のように流れる豊穣な水量がのたうつ様は人間の犯す全ての罪を飲み込み、浄化してくれるかのような圧倒的な包容力に満ちている。豊穣な森・ジャングルには無数の精霊が行き交っている
    監督が言っているように、安易な西洋文明や植民地主義への批判ではなく、失われたものへの痛切な喪失感を抱きながらも、アマゾン的なものと近代との架け橋を希求したという言葉を信じたい。こういう映画を見ると、何かとんでもない見落としたものが地球上にはあるのではないかと思えてくる。あまりに一方的な歴史が描かれすぎてきたような気がする。
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