《ジェレム・ジェレム便り55 》〜 ロマを同胞として支援したインド人W.R.リシ博士の没後15年、生誕100年に寄せて

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     来たる12月1日は、インドにおけるロマ(ジプシー)研究の第一人者で、世界各地のロマの連帯に尽力したW.R.リシ博士(1917-2002)の命日にあたる。文字を持たず自らの歴史を書き記すことのなかったロマの人々の来歴に関する研究は久しく欧米の非ロマの研究者やジャーナリストらによって進められてきた。現在では米テキサス大学のイアン・ハンコック教授に代表されるロマ出身の研究者が積極的に発言するようになってきているが、ロマの故地とされるインドからの発信は意外に少ない。
    そのような状況の中、リシは早くからロマがインド人の同胞であることを訴え、その地位向上に努めた。今年(2017年)はリシの没後15年と同時に生誕100年の記念の年でもあり、この機に半生を振り返ってみたい。
     リシは1917年、かつてロマの祖先が出立したとされるインド北西部のパンジャーブ州に生まれ、苦学の末公務員の仕事に就いた。第二次大戦後のインド独立の激動の時代、語学の才能が認められてロシア語の通訳として外務省に登用され、モスクワ大使館勤務時にはネルー首相のソ連訪問に随行した。ソ連赴任中ロマと出会い、彼らの話す言葉に接して直感的に同胞であることを意識したという。ヒンディー語とロシア語の辞書を作る一方でロマ語の研究にも情熱を注ぎ辞書や著書を多数出版した。これらの言語研究により後年政府からパドマシュリー勲章が贈られている。
     その後、シンガポール、北京を経てロンドン大使館に勤務していた1971年、各国でのロマ連帯の動きの高まりを受けて、同地で第1回世界ロマ会議が開催されることになった。そしてこの会議に50がらみのインド人紳士が現れた時、集まったロマたちはこの人物が何者か知る由もなかった。やがてインディラ・ガンディー、ニキータ・フルシチョフ、フィデル・カストロなど世界の政治指導者の通訳を務めたインド大使館の外交官だと知らされた。しかしなぜインドの外交官がそこにいるのか。この人物が、当時まだ広く認知されていなかったロマとインドとのつながりを熱心に語る姿に、参加者たちはようやくその理由を理解したという。リシにとってロマの人々はパンジャーブからヨーロッパに渡った同郷の移民にすぎなかったのである。
     同会議では「ロマ」を正式な民族呼称とすることや国歌や国旗に相当する歌や旗などが定められた。その際リシは国際的なロマの連帯の動きはインド国旗に使われているチャクラ(法輪)によって象徴されるべきだと訴えた。参加者によっては、長く忘れ去られていた民族の起源を声高に唱える外部の人間が自分たちの新たな象徴を決めることに反対する者もいたというが、結局チャクラのデザインが採用された。ロマの民族旗は青と緑の二本のストライプの中心に赤のチャクラが組み合わされたものだが、青は天、緑は自然との共生を表し、赤のチャクラはロマがたどった移動の歴史とそのルーツがインドにあることを象徴しているという。
     1973年、外交官を引退し、パンジャーブのチャンディーガルにロマ研究所(Institute of Romani Studies)を設立。ロマの文化、言語、生活の研究をおこない、その成果を自らが発行する機関誌「ROMA」に発表した。1990年代には私設のロマ博物館を作るなどする一方、創設メンバーとして関わった国際ロマ連盟(International Romani Union)や世界ロマ会議(World Roma Congress)においても長くロマの国際的連帯に重要な役割を果たした。近年、海外同胞支援を含む国際交流事業を担うインドの政府機関(インド国際協力協議会(Indian Council for International Cooperation))がロマに対する関心を強め、毎年4月8日の<世界ロマの日>にニューデリーで祝賀行事を開催するなどの活動をおこなっているが、インド政府がまだロマの問題に関心を示していなかった2002年の<世界ロマの日>の式典で、ロマのインド出立1000年を祝う開会の挨拶を行なったのはリシであった。
     今後インド国内でロマに関する関心がどのように高まっていくのか、そしてそれが世界に向かってどのように発信されていくのか注目していきたい。ロマが千年の時を超えて独自の言語や文化習俗すなわちアイデンティティーを保ち続け、それが故に国は持たずとも一つの民族集団たりえているのはなぜなのか。ロマのインド起源説につきまとうこの疑問に答えを与えられるのはインド人自身なのかも知れない。
    (市橋雄二/2017.11.21)
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    このページは、gypsy-trailsが2017年11月22日 13:59に書いたブログ記事です。

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