2018年5月アーカイブ

三船敏郎の栄光〜映画「 MIHUNE the LAST SAMURAI」

 
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    黒澤映画を黒澤映画たらしめている唯一無二の存在が俳優・三船敏郎である。彼がいなければ黒澤明の数々の名作はありえなかったのであり、彼、三船敏郎こそが日本人像のある種の典型を具現した映画スターであり、その影響力は世界に及び、海外の人々は黒澤映画の三船敏郎から日本という国の姿や歴史を学び、日本人についてある種の考えを構築していったのである。
    もちろん黒澤映画には「生きる」の志村喬の畢生の名演があり、「乱」「影武者」の仲代達矢の存在感が際立っているが、黒澤ー三船コンビ作品の主なものを上げていくと「酔どれ天使」「野良犬」「羅生門」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「天国と地獄」「赤ひげ」と目がくらむような巨峰が輝き、圧倒的な達成と世界に与えた多大な影響力に脱帽するのみであり、やはりミフネあってのクロサワワールドなのだ。
    三船敏郎が逝って、20年。
    このドキュメンタリー「MIHUNE theLAST SAMURAI」は三船敏郎の俳優としての仕事を数々のインタビューと映像から構成し、改めてミフネの達成したものに敬意を捧げるオマージュになっている。
    「七人の侍」をはじめとして名作の数々にシーンが断片的に出てくるが、その映像の圧倒的な強烈さに引き込まれ、改めて黒澤映画の力の源泉に圧倒される。その意味では構成的には「このまま映像を見ていたいという」観客の欲求に抗してインタビューを織り込んでいくのはなかなか難しい作業だったろう。強いて言えば、「酔いどれ天使」の資料映像がかけていたのが、残念。これは三船の強烈な個性が黒澤の予期に反して、主役の志村喬を超えてしまうというほど、三船の内包するエネルギーの凄まじさを示す作品だったからだ。
    インタビューはスティーブン・スピルバーグ、マーティン・スコセッシ、香川京子、司葉子、土屋嘉男、加藤武、二木てるみ、役所広司、野上照代などなど。この中で面白かったのは圧倒的に 土屋嘉男の話であった。
    土屋には 黒澤明に対する心情があふれんばかりに満ちた好著「クロサワさーん!黒澤明との素晴らしき日々(1999年新潮社)」があり、黒澤明との深い付き合いの中でのエピソードが興味深かった。そして、加藤武の話も説得力があり、クロサワ映画の絶対性を偲ばせた。二木てるみの、「赤ひげ」の三船のあるシーンについての話も当事者しか感じられない真実を語っていた。生い立ちから、俳優になるまでの歴史を振り返りつつ、そこから几帳面な性格ぶりやアルコールによる武勇伝まで示されるが、そうした彼の実像と彼が俳優として達成した躍動感、肉体感みなぎる人間像とのあまりの隔たりこそミフネの存在証明であり虚実皮膜を演じる芸能者としての勲章だろう。
    三船敏郎亡き後、日本映画会には、まだ誰もあのダイナミズム、躍動美、野生美に並ぶ俳優は出現していないし、今後も出ないと思われる。何故ならば、日本の敗戦、黒澤明との出会いなど歴史の奇跡により生み出されたのがミフネだったから。 監督・編集  スティーブン・オカザキ。
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    ロシア音楽界の巨頭であるのみならず現代世界でも注目の的であり続ける作曲家ショスタコーヴィチ の生涯を丹念にたどりながら、現代ロシア史の中で、今なお激しい毀誉褒貶にさらされ続ける稀有の才能の苦難に満ちた内面に生々しく迫り、思わず引き込まれてしまう体験を与えてくれる力作である。
     個人的な思い出も重なり、作曲家ショスタコーヴィチ は私にとっても特別な存在であった。入社後に音楽ソフト部門に配属された私が担当したのが、当時のソビエト専門レーベル(メロデイア)で日本でのレーベル名は新世界レコードといった。結局5年間担当したが、その間、編成したのが本著でも特に重要なオペラ作品とされる「カテリーナ・イズマイロワ (ムツェンスク郡のマクベス夫人)」の本邦初発売や弦楽四重奏曲全集などなどショスタコーヴィチ 作品が多くの比重を占めていた。当時の日本の楽界ではショスタコーヴィチは不動の位置を占めてはいたが、レコードのセールス的には厳しい状況だった。
    その中でも、弦楽四重奏曲第8番を聴いた時に受けた異様な感動は今でもありありと思い出だせる。類例を見ない音の配列が生み出す究極の情感溢れる旋律に震えた。抒情に満ちた悲劇性。このことだけでショスタコーヴィチの凄さが身にしみたのだった。
    本著はショスタコーヴィチが生涯にわたって苦悩し続けたスターリンなどの政治権力と芸術家の関わり合いの詳細に触れつつ、膨大なショスタコーヴィチの作品に丁寧に分け入り、それぞれの作品の音楽的成果と時代の評価のギャップを論じる。その上に、当時のソビエト社会の揺れ動く様相を浮かび上がらせることにも成功している。音楽の専門家でない著者が楽譜にまで検証の手を伸ばす尋常でない労苦を経ての結果である。
    著者の執筆動機は
    『政治的抑圧が文学や芸術をいかに「変形」していくか、なおかつその不条理な抑圧の中で文学や芸術はいかにその生命力を発揮できるのか、それらの問いに対する究極の答えがショスタコーヴィチ音楽にあった。』ということで、様々な作品を発表するごとに政治権力から示される批判、非難が丹念に歴史的に辿られている。
    ショスタコーヴィチと権力側との駆け引きは、著者が「2枚舌」と称するように
    「猫とネズミのかけひきのごとき権力とのぎりぎりの心理戦が展開され」ており、結果的には見方によれば、スターリンをはじめとする権力者たちがショスタコーヴィチの超天才、才能に振り回されている構図が逆照射されてくるとも思える。
    彼がソビエト社会での象徴的な存在であることは誰も認めていたが、
    「ところが彼自身は、もっとも象徴的な存在でありながら、なおもっとも非象徴的な存在であることに内心の支えをみていた作曲家である」
    彼の代表作でもある交響曲第五番の著者の解釈は
    「社会主義リアリズムの音楽、あるいは勝利の音楽ではなく、スターリン権力そのもののもつ悲劇性を、肯定と否定に揺れうごくおのれのアンビバレンツのなかで体現した音楽、あるいはスターリン権力をめぐる一種のメタ音楽であった。逆説を恐れずにいうなら、そのアンビバレンツこそが、この音楽のドラマを最高の明晰さに変えたものの正体である。」
    権力と個人との相克という構図を超えて、ショスタコーヴィチというとんでもない天才の複雑な内面にナイーブな心根としたたかな信条が同居しているさまは万華鏡を見ているようなめまいを覚えるほどだ。今後の文化と権力との問題やロシア現代史などにとっての必携の文献になる本著の誕生を喜びたい。
    岩波書店刊。
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