2019年1月アーカイブ

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    沖縄の1952年から1972年の20年にわたる起伏に満ちた時代、それは終戦直後に始まる米軍統治時代から日本復帰までの激動の沖縄の現代史だ。沖縄の青年、男女が生き抜いてきた、あまりにも苛酷で、痛切な思いに満ちた青春群像叙事詩である。
    遠くから聞こえてくるエイサーの音色とともに島の英雄であり、戦果アギャーと呼ばれるオンちゃん、グスク、レイそしてヤマコの物語は始まる。
     沖縄・コザにはアメリカ軍の施設から食料・衣類・薬などを盗み出す「戦果アギャー」と呼ばれる者がいた。中でも「オンちゃん」(20歳)は、凄腕の戦果アギャーとして盗んできたものを貧しい人々に与え、英雄として慕われていた。1952年の夏に彼らの計画は嘉手納空軍基地への侵入だったが、帰り道にアメリカ兵に見つかり容赦ない銃弾を浴びる。そこでオンちゃんは行方不明になり、恋人ヤマコたちのオンちゃん探しが始まる。
     沖縄の言葉で語られる文章はときには意味不明であったり、戸惑ったりするが、徐々に物語の中に招き入れられ、同化されていく。話は荒唐無稽のようでいながら、戦後の沖縄で実際に起きた事件・史実を中心軸に据えて進行する。戦後沖縄の歴史を大筋では理解しているつもりのものでも、当時の沖縄の若者が己の頭と肉体で現実に体当たりしながら、味わってきた体験の重さには言葉を失う。
    著者は沖縄の人ではなく、内地の人である。著者、真藤順丈は沖縄を知れば知るほど、そのテーマの手強さにたじろいだに違いないが、あえて沖縄の言葉で書き上げるというとてつもない試みを覚悟した時点で、思いは達成されていたように思えてならない。全体を流れるとてつもない良質な通俗性は、沖縄の歴史が抱える悲劇性をあっけらかんとした青春群像劇に織り込みつつ、血も涙も滴る軽やかな現代史を書き上げるという至難の技を成功させたのである。著者は本著の中で言っている。
     「・・・・狭い島のなかで島民たちはさまよい、惑い、離散しあって故郷を逐われた亡命者のように魂の放浪をつづけている。だからグスクやレイやヤマコをとりまく逸話が、この世代の最たる悲劇というわけでもない。もっと悪らつな魔物(マムジン)にとらわれた島民はいるし、嘘のような奇聞や秘話を抱えた年寄りもまだまだ存命だ。だけどこの島のたくさんのとても重要なものと同様に、彼らが彼らの英雄を亡くして、それでもその面影(ウムカジ)を追いつづけた顛末は、島自体の運命と深く結びついたウチナーの叙事詩と信じられている(だからこそこうして語ってきたんだ、すべての語り部、ユンターたちは時間を往き来して、風の集積となってー現在を生きる島民たちに、先立った祖霊たちにも向けて、語りから出来事を再現する試みを続けているのさ)。(本文354ページより)
    全編をとうしてウチナーの人々が育んできた神話性と魂のうちに宿る歌謡性が流れているのがなんとも言えない魅力だ。
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    リヒテル、オイストラフ、ビルギット・二ルソンなどなど世界的なアーチストの生のステージに接したときに強く脳裏に刻まれたのは、観衆の熱狂の渦の中、ステージ上で拍手を浴びながら優雅な返礼を繰り返す姿に、芸術家の栄光の瞬間がここにあるということだった。この瞬間を迎えるために芸術家・芸能者は生きているのだ。
     「私は、マリア・カラス」は様々な映像資料とカラスの書簡をモンタージュして53年間のマリア・カラスの生涯を浮き彫りにしている。彼女へのインタビューも多く、それらからカラスの多彩、率直、聡明な個性が浮かび上がり、それはそれで魅力的ですらある。数々の浮名やバッシングを受けるカラスを見ても、彼女の至芸をもたらす由縁としてみなされる。平々凡々からは天才は生まれないと。その意味では監督の努力の末の新事実もあるが、それらはあまり意味を持たないのがカラスの真実である。
     この映画の要諦はあくまでカラスのオペラ歌手としての圧倒的な実力と類い稀な存在感だろう。彼女の歌唱はただ単に苛酷なトレーニングを重ねた末のものではなく、修練という次元・位相を無化する高みにあると思う。理屈を超えた存在。資料映像の彼女の歌唱映像は音響的には不十分でも、いやそれだからなお、凄まじい訴求力がある。彼女の血潮・肉体・内面が噴出せざるを得なくなって、歌唱となって表現されるが、抑制すべきところは抑制しながら、溢れる激情へと転換する驚異的な振幅の大きさ・深さがカラスの魅力だろう。
     そして際立つ目鼻立ち、立ち姿の美しさが放つ存在感は類を見ない。彼女の最初の出演映画はギリシャ悲劇「王女メディア」だが、歌うシーンはなく、セリフもほとんどないメディア役に彼女、マリア・カラスを起用したのは鬼才ピエル・パオロ・パゾリーニだ。カラスの並外れた存在感に着目したのは慧眼だろう。
     マリア・カラスというオペラ歌手としての比類なき実力とオーラ溢れる存在感を明らかにしたこのドキュメンタリはそうした意味で成功作である。
    歌われる歌曲はプッチーニ、ヴェルディ、ベッリーニ、ビゼー、マスカーニ、ジョルダーノなどの名曲が豊富だ。ラスト近くで指揮者の映像が2回くらい出るが、彼はジョルジュ・プレートルである。プッチーニの「トスカ」全曲録音もプレートルとのコンビなのだから、字幕を入れて欲しかった。そして最後の世界コンサートツァーの映像の彼女の側にいたのは、テナーのステファノであることも字幕が欲しかった。
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    2011・3・11の東日本大震災は日本歴史上だけではなく、世界史的・地球規模的にみても、未曾有の災害であった。地震による揺れと津波、そして原子力施設の爆破破壊という自然災害と人災が複雑に入り組んだ複合的で巨大な災害だった。その影響は今だに東北各地の人々、避難を余儀無くされた地方自治体、そこに生活の根拠を持って生きて来た人々の基盤を一挙に剥奪するという冷酷な不条理が支配しているのだ。
    夥しい新聞・テレビなどのマスコミ報道がなされ、7年が経過した現在では一気に静まり返ったかのように沈静化している。
    ここに取り上げた「新復興論」は福島県のいわきに在住して来た39歳の青年、小松理虔が現地で這いずり回りながら、被災地の復興にかける熱い思いを、己れの頭脳と体験から絞り出し、吐き出した血の出るようなルポであり、報告書であり、提言であり、論文集である。 彼の信条である多面的な価値観を含みながら、福島内部だけでなく、福島以外の外部の視点の導入、専門家だけでなく面白半分によってくる野次馬までもを内包化して共同作業していく強靭な咀嚼力が全編を通底している。
    そしてこの著にしなやかな膨らみをもたらしているのが、内外の文化芸術的な企画立案から携わり、その文化芸術的が生み出す思想の力を自分の中に取り込み、そうすることによって日常的に向き合っている現実のリアリティの強い引力の呪縛から一旦離れ死者の声や外部の声に耳を傾け、そこから復興を考える、という態度・視点だ。著者は学者でも評論家でもなく、現地取材の執筆をしながらイベントの運営・地域情報誌の編集・かまぼこ会社にも務め、医療福祉政策の発信もする福島の現場で生きる市井人だ。
    多彩を極める提案に対して、どれにも自分の内なる声に真摯に反応して、えらい先生方などの手垢のついた思考・表現を取らない平明で己れの頭脳が吐き出す言葉で反応・表現する。全て福島いわきの現場から拾い上げた言葉で、物を言うところが新鮮だ。凡百の復興論学術書を超える確かさが凝縮された復興百科エンサイクロペディアでもあろう。
    従来の固定観念に固まった我々にハッとさせる言葉が散りばめられている。
    ●「・・なぜ福島の海の魚の放射線量は年々下がっているのだろうか。片方は簡単だ。汚染された魚が寿命で死んで代替わりしたか、生き残った魚も、体内から放射能物質の排除が進んだからだ・・・」
    ●「本書で書かれることは一言で言ってしまえば《地方の絶望》と呼ぶべきものだ。しかし本当に絶望と受けとめては、ここで生きる価値がなくなってしまう。絶望の土地に生まれ育ち、しかし私はその地元を愛している。その愛と憎の両方を抱えつつ、そのいずれからも少しずつ距離を置き、それ自体を楽しんでしまう。そんな【観光客】の視線こそ、複雑な土地に生きる上での希望だと思う。」
    ●「常磐とは何か。それは常陸と磐城を合わせた地域を表す言葉である。」
    ●作家の古川日出男を常磐に案内した時。「・・・双葉郡は当然見るべきものが多いのだが、あまりにも現実の磁場が強く、想像というものを許してくれない。・・・・本書がここまで意識的にツァーを盛り込んできたのも、観光がもたらす想像力こそ福島の復興に欠かせないものだと考えたからだ。」
    ●古川日出男が「アーティストは真実を伝えるのではなく、真実を翻訳するのだ」という言葉は著者の胸に刻まれた。
    現在の日本が抱えている様々な諸課題に対して様々な提言がなされているが、多くは机上からの空論に溢れているのが現実である。
    しかしながら、本著は災害の現場からの遊離した論文集ではなく、福島いわきで実践者として獲得してきた知見・信念が平明ながら個性的な言葉で語られており、この福島の混沌をくぐり抜けてきた言語表現こそが磁場の強い現実を突破する力として普遍性を持つのではないかという希望を抱かせるのである。
    開沼 博の「フクシマ論 原子力村はなぜ生まれたのか」「はじめての福島学」とともに後世に引き継ぐべき収穫だ。
    第18回 大佛次郎論壇賞受賞作品(朝日新聞社)
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