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真情溢れる恋愛小説〜又吉直樹「劇場」

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    日本芸能史をふりかえれば、その時代の花形芸能に才能が集結してくるというのは様々な事例が証明している。浪花節全盛時代には広沢虎造、天津羽衣などの人気が他を圧倒し、歌謡曲が主流になると美空ひばりを筆頭に多くの才能が開花した。お笑い、漫才がテレビの主流を締める現在はユニークな才能を持つ若者がここに集まってくる。
    又吉直樹の才能もこうした文脈で捉えると興味深く、その作品の底流に流れるのは芸能者としての表現行為への突き詰めた思いであろう。デビュー作の「火花」には漫才師として葛藤する姿がビビッドに描かれ、安定感ある文体と透徹した自己洞察力には、作家としての将来性を期待させるものがあった。
    「劇場」はさらに文体に硬質性・抒情性・静謐性を増し、全体に抑制が程よく効き、熟練度が上がったと思われる。主人公は演劇を志す若者で、複雑に屈折した心情に己も悩まされつつ、演劇には正面から立ち向かっている青年である。
    彼が目指す演劇とは、「・・・感情が様式をなぎ倒すような強靭なものを作りい。・・」「・・人間の根本的なものと向き合うものを書いてみよう。幾日か洗髪していない人間の頭皮の生々しい匂いや、かさぶたを剥がし血がにじんだ時の痛みを書こう。」
    というような方向性を持ちながら、創作する動機としては
    「表現者の自己救済だけではなく 、その根幹に遊戯として楽しもうとする大衆性が備わっていることが」理想だと思っているらしい。
    全編を通じて永田という男が己の才能に悩みつつ、周囲の演劇仲間たちとの間に交わされるそねみ・妬みから生じる感情的摩擦などを超えて演劇への真摯さを保持し続ける日常を丁寧に表現している。題材からすると、「火花」以前にある程度、書き進められていたもののようだ。
    とはいえこの小説は明快に恋愛小説であり、永田の少々いじけた風な心にヘキヘキしながらもなぜか引き込まれてしまうのは、永田の恋人である沙希の存在と二人の間に交わされる会話の絶妙な面白さに負うところが大きい。これは又吉の独壇場で、お笑い芸人として習熟し、獲得してきた才能という宝である。
    これらの魅力的な会話・対話から、沙希という女性の姿・声・匂いまで具体的に立ち上がり、実在感に溢れる女性・沙希が眼前に現れる。不器用で、屈折した永田にとっては救いを求めるマリアみたいなものだろう。
    印象的なシーンは多いが、例えば、散歩が趣味みたいな永田が商店街を何がなく歩いている時、酔っ払い中年男女にあった際、向こうから「夕焼けを背負った自転車を押す母親と、そのそばを歩く赤いほほが印象的な少年がやってきた。」この少年が空手の型をくりかえしながら、前に進むと酔っ払い中年男女も「お兄ちゃん、かっこいいね」道を譲りながら、声をかけた。この時、永田の目に入った、母親の恥ずかしそうな表情、夕暮れの光、複雑に交差する電線の隙間からのぞく空、かすかに聴こえる電車の音・・・これらの完成された風景を見て、永田はこんな風景を作りたいと思うシーンの描写は胸を打つ。日常的な風景が突然、とても貴重な存在として、突然再認識される美しい文章だ。
    そして永田(又吉)がこの世に価値あるものとする真情が好ましく、信頼感が湧くシーンでもあった。
    全体の流れは永田が演劇のあり方や、表現することへの尽きぬ思いや才能を持つものへ抱いてしまう妬みの感情に悩む己への嫌悪感など、繰り返し屈折した永田の感情の彷徨が語られるのであり、そうした意味では芸能者として誰もが持つに違いない鬱屈した感情が痛々しいほどである。さらに己の才能に対する絶え間ない問いかけが息苦しいほどだが、これらのすべての感情を一気に浄化してくれる存在が沙希という女性なのであろう。永田の沙希に対する気持ちだけは確固・不動なものとして信じられるものであるという点で純粋な恋愛小説として十分な成功を収めたといえよう。また、何気ない日常風景への描写が滋味深い洞察に満ちており、作品の奥行きを深くしている。
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    中世というと思い浮かべるイメージは武士の時代、能・狂言や茶の湯など伝統芸能が生まれた時代であり、禅・仏教やわび・さびなども思い浮かべる。著者はこうした概念に加えて「乱れる中世」という視点を提案する。そのことを体現するものが、戦乱の時代の大流行した「乱舞」(らんぶ・みだれまい)である。
    それは、白拍子・乱拍子と呼ばれるリズミカルな芸能の登場であった。伴奏楽器は鼓が中心で、鼓がない場合は笏(しゃく)や手ではやしたらしい。
     白拍子とは静御前などの女性芸能者の芸能として完成されていき、稚児などにもその芸を継承させながら、プロの芸能として愛好されるようになる。
    一方の乱拍子は乱舞の代名詞ともなり、即興性と勇壮な足拍子を特徴としながら、僧兵のような下級僧侶たちの延年の芸能として花開いていく。
    本著は、現代ではもはや滅びた芸能である白拍子・乱拍子という芸能が、能の根源とも言える<翁>の成立に深く関わっていたとの思いから、白拍子・乱拍子の身体性、乱舞の身体性がいかにして能の身体性として内在化され、昇華されていったかを芸能史的に解明している。
     観阿弥・世阿弥父子によって能が大成される遥か200年前から、<翁>という猿楽のルーツとでもいうべき芸能は猿楽の看板芸だった。平安後期11世紀半ばの、宮廷芸能の中心は雅楽( オーケストラ)だったが、これに対してその他の芸能一般は猿楽・散楽と呼ばれていた。
    猿楽には大陸由来の曲芸や幻術、各種滑稽芸が含まれ、弾き語り・祝福芸・ものまね・寸劇・人形劇などが活況を呈していた。その後、歌う帝王、後白河院時代の今様(宮廷歌謡歌詞集「梁塵秘抄」が有名)の流行をへて、あらゆる階層の人々が乱舞に興じるようになる。中でも衆徒と呼ばれる下層僧侶の得意芸として乱舞は多様な芸へと展開していった。
     日本芸能史の中で能という芸能の占める位置は独自・独特のものがある。
    現在は幽玄・わび・さびというベールに包まれた高尚な芸能になっている能のルーツが中世時代から列島の芸能熱・あらゆる貴賎の人々の身体を乱舞させるように、流行していた白拍子・乱拍子に深く根ざしているという本著の指摘には、能が持つ芸能としての懐の深さを感じさせるものがある。能には揺るぎない身体性(身体表現の奥義)が連綿と内在化されてきた歴史があるようだ。
     宮廷の場で様々に行われる諸芸能の数々は昭和時代にまでその痕跡をうかがわせるものが多々あった。放浪諸芸を訪ねてきた身には本筋から外れて記述されている、細々とした雑芸(話芸・寸劇・なになにつくし・しりとり芸など )にも興味が湧く。宮廷の場を離れて、放浪諸芸の漂泊人、流芸の輩になり、列島各地を闊歩した姿が眼前に浮かぶ。彼らの流した汗と涙と血は、芸能の水脈となり、列島に染み込み、後に続く芸能者への道しるべともなっていったのだ。
    著者の研究の深さを十分伺える労作であろう。(吉川弘文館)
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     ついにと言うべきか、やっとと言うべきか、記念すべき労作が出た。常に我々日本人の精神的な土壌は何なのか、どこから来るのか、日本人の美意識・宗教観・倫理観・死生観などはどうして今のようなものになってきたのだろうか。
    俳句を嗜み、茶道に親しむ、花見は年々盛んになる。一方、日本人はどうして洗浄トイレのようなものを作ってしまうのか・どうして異常なまでの清潔志向なのか・新幹線や電車などのダイヤはあれほど秒単位までに正確に運営してしまうのか、それほどまでの正確さは必要なのか、このようなキチキチした社会はストレスを生むのではないか、などなど日頃、日本の不思議なまでの特殊さーはどこから来るのか。日本に似ている国は地球上にあまりない。日本だけが特殊だと言うことに、多くの日本人は気がつかない。
    これらの現象も突き詰めていけば、日本人のメンタリティーに起因するのだろう。これらの疑問を考えていくには日本人の精神がどのようにして形成されてきたかを、歴史的に丁寧に遡って考えるしか方法はないのはなんとなくわかっていたが、考えるだけ、気が遠くなる作業が待っている気がして、恐ろしくなって、思考停止してしまうのである。
    著者、長谷川宏はアカデミズムを離れ、学習塾を開くかたわらヘーゲル研究家として高く評価され在野の哲学者として活躍してきた。
    膨大な労力と知的集中力・持続力を要求される作業に構想20年、10数年の執筆期間を経て、完成したのが本著である。上下巻で千ページに及ぶ大著だ。
    日本の美術・思想・文学を列島に生きた人々の心の軌跡〜歴史として丹念に辿り、平明な文体で描き切ったことは驚くべき業績だ。三内丸山の縄文遺跡から始まり、江戸時代末期の「東海道四谷怪談」に至る数千年に及ぶ長大な思索の旅である。
    主な項目をあげると、上巻は土偶・銅鐸・古墳そして仏教の受容、「古事記」、「万葉集」、鑑真和上像、最澄と空海、「源氏物語」、運慶、法然と親鸞、などの本質をつかみ出し、下巻では「新古今和歌集」、「平家物語」、「一遍聖絵」、「徒然草」、能と狂言、茶の湯、宗達と光琳、伊藤仁斎と荻生徂徠、西鶴・芭蕉・近松、蕪村、浮世絵に及ぶ。
    そして特筆すべきは、これらの著述が極めて平明簡潔な日本語で記されており、学者用語、学術用語などがあまり使われていないこと。そして原文そのままの引用ではなく、ほとんどが著者の訳した現代文で書き起こされていることである。そのため、読み人は引用原文を読みこなす苦労なしに、すんなりとこなれた平明な文体に置き換えられた原典の世界に入り込めるのである。これは、すべての原典の本質的な理解がなければ、不可能な作業であり、この著の最大功績である。
    それぞれの項目について、著者は単なる分析だけではなく、己の心の奥底にどのように響いたかや著者の魂の揺らぎまで類推し、当時の著者や人物の心の襞まで掘り起こす作業をしている。そしてその記述は、冷たい分析的なものではなく、温もりに溢れている。
    個人的に引き込まれたのは、万葉集、空海への言及、親鸞への愛着、「平家物語」の抒情、西鶴、近松の記述などであったが、これは読む人々のこれまでの背景が影響するので、人それぞれが己の個人史を辿る旅でもあるのだ。
    「自分の相手としている精神の豊かさとは日本という一国や一地域の精神を超えた、普遍的な精神であるとの思いが育まれた」という著者のあとがきに記された思いが、全変にあふれているところが、この著を稀代の傑作足らしめるだろう。(講談社刊)
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    1962年(昭和37年)〜63年9月の『中央公論』に」連載。1964年中央公論社刊。
    関白太政大臣豊臣秀吉と、その茶道の指南役、茶頭として仕えながらも、秀吉の政治顧問的な存在でもあった千利休という二人の緊張に満ちた人間関係を中心に当時の京都、堺などに生きた大名、茶人、能役者などとりわけ古渓、石田三成、秀吉の弟、秀長、などなど実在の人物から架空の人物まで登場させ、縦横無尽に桃山時代の空気そして日本人の心性を描写し尽くした歴史小説である。
    秀吉と利休の虚々実々の心理的な緊迫度は読むものの胸を締め付けるような切迫感があり、ついには利休の切腹という悲劇的結末を迎えるのである。描かれた時代は天正16年(  1588)晩春から19年2月まで、利休晩年の3年間に焦点を絞り、作者の歴史観、哲学、美意識の全てを投入した野上文学の頂上に位置する傑作である。
    利休は1522年に堺の魚問屋の長男として出生。少年時代から茶道に精進し、16歳でひとかどの茶人となり、やがて宗易と号し、また利休の居士号を得る。信長が堺を制圧すると、利休は信長の茶頭になり、本能寺で信長が横死した後、天下を掌握した秀吉の茶頭として仕えた。
    二人の間柄は、君臣であると同時に師弟であったが、秀吉の利休に対する信任と傾倒は篤く、政治の分野までも、秀吉の相談に乗り、奉仕した。それが、天正19年2月28日、秀吉の命によって利休は自刃し、一条戻橋のたもとで獄門にかけられる。
     たまに見るNHKの大河ドラマ「真田丸」に秀吉と利休が出ていたが、秀吉の描き方は少なくとも野上の描いた秀吉像が出発点だったと分かるのだ。それほど秀吉の人となりは感情の起伏の激しさ、生まれに対する負い目とひがみ、利休に対する憧れと反発など、野上の秀吉像の影響度の大きさを実感する。
    利休の心理面に対する洞察と推理はその深さ、幅の大きさにおいて驚きの認識力を示し、茶道とその周辺の描写は一点の狂いも見せず、すべての叙述が利休の人物像の内面に深く届く美的感性に満ちている。
    加えるに、庭の四季に応じたみずみずしい木々の描写、山々の姿、小鳥の声、物売りの声、堺の街に流れる商人たちの体臭までが細密画のように、周到に全編に散りばめられる。
    『‥・・宇野千代も円地文子も瀬戸内寂聴も、この人の慎ましさにはまったく頭が上がらなかった。上がらなかっただけでなく、慎ましいにもかかわらず、その教養の深さと広さと速さの相手をつとめる者なんて、もう誰もいなかった。たとえば能や謡曲については、白州正子ですらお孫さんのような者だった。・・・』(『松岡正剛の千夜千冊』)
    古今、幾多の学者たちが、利休研究の最大のテーマの死因にかなり迫りながらも、学問としての史料探索の限界などから生じる、真相を覆う深い霧を払拭できない歯がゆさを、この小説は虚構ゆえに生み出す強靭な説得力と明晰な知性で歴史的真実に限りなく近づき得たのではないか。それほど、この小説を読んでいる最中は、利休は実在し、秀吉も実在していたのである。
    新潮文庫版の解説者の水尾比呂志がこの小説について作者に直に話を聞いたところ、最も苦心したことは、当時の生活風俗の具体的な細部の描写だったという。確かに膨大で周到な資料調査がなされ、さらに虚実皮膜の撒餌が散りばめられて、初めて成立した歴史小説であり、日本文学が到達した至高の峰であろう。
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    本ブログでは開沼 博の著書は「フクシマ論 原子力村はなぜ生まれたのか」「はじめての福島学」の2冊を取り上げてきた。前者は原発のある地域の人々の心の中の本音やひだを丁寧に探りだした画期的なフィールドワークの労作で、後者はそれらの知見を積み上げ、一切の予断や常識的な判断を排し、過度の楽観主義や悲観主義からも解き放たれたフクシマ論だった。
    本著「福島第一原発 廃炉図鑑」は開沼が繰り返し主張してきたように、原発にまつわる固定化したイメージを見つめ直すことのきっかけを模索する好著である。何よりの特徴は図鑑形式であることで、長々とした大論文は載せていない。そしてどこから読み出したり、写真からはいってもよし、漫画からはいってもよしの面白図鑑風な造りが出色だ。編集工学的にも優れた編集だ。
    執筆陣は社会学者の開沼博、廃炉現場で働いた体験を漫画「いちえふ~福島第一原子力発電所労働記」にした竜田一人、元東電社員で復興支援に取り組むAWF代表の吉川彰治の3名。
    序文に開沼がこの著の基本的精神を「批評の本」と定めており、社会の健全なダイナミズムは批評の言葉や批評的な態度から生まれ、それらがなくなるのではないかという危機感が開沼の問題意識だ。ステレオタイプなものの見方から脱する作業は「周縁にあるとされているものを中心に位置づけ直す作業」だとも換言する。一段下のものと思われていたりするようなものにこそ価値があることを示し、新たな、創造的な側面を提示する。この指摘は鋭い。
    以下の各論は4章に分かれ、
     第1章・福島第一原発、最大の問題は何か
    「結局、トラブル続きでALPSは動いていない」と思っている人は一定数存在するが、実際は汚染水の浄化処理は計画的に進められてきて、現状では大きな山を越え、一段落しているというのが「廃炉の現場」の現実だという。「汚染水は増え続け、海に大量の放射能物質が流出し続けている」などの「固定化したイメージ」と「事実」は必ずしも一致しまいという。メディアが何か異常なことが起きた時、センセーショナルな論調で報じるが、その後の後追い報道は殆どない。こうした点を事例、グラフなどで説明している。
     第2章・廃炉とは何か
    ここでもグラフ・イラスト・漫画などを駆使しながら廃炉作業の段取り、問題点などをわかりやすく説明する。特に汚染水対策とその方法などはイラストによる説明で素人にもわかりやすい。また、燃料デブリについても様々な角度から分析する。問題のデブリ取り出しは「冠水工法」「気中工法」のどちらかでという問題が進行中とのこと。
    以下、第3章は1F周辺地域はどうなっているのか、第4章は廃炉をどう語るのか?となり、周辺の宿事情から福島浜通りのサーフィン事情まで触れている。また糸井重里と小泉進次郎へのインタビューなどもある。
    とにかく、メディアが断片的に報道していることの誤謬の連鎖は深刻な問題で、いかに事実を知らされていないかを実感するのみだ。現在進んでいる状況を客観的に、科学的に、冷静に知ることから全て始まる。楽観主義、悲観主義を乗り越えて事実を見つめ直すことからしか未来は生まれない。原発に賛成する人も、反対する人も、迷っている人もこの図鑑をざっとでもいいから読んだり、見たり、眺めたりして、ある程度、同じ理解レベルを共有することから論争でも喧嘩でもすることである。 この図鑑を編纂する莫大な労力と柔軟な思考に敬意を表する。
    発行:株式会社太田出版
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    北ヨーロッパのアイスランドのミステリ作家アーナルデュル・インドリタソンの本邦訳3作目である。「湿地」「緑衣の女」はいずれも好評で日本でも北欧ミステリ愛好家が増えているようだし、両作品共、思わず読んでしまうという力を持った作品だった。
    北欧ミステリの魅力はなんといっても、現代社会に巣食う深い闇を、北欧のメリハリのある自然の中で描き出しながら、人生の普遍的で根元的なテーマに肉薄する真摯な態度だ。
     クリスマスシーズンで賑わうホテルの地下室でホテルのドアマンが無残な殺され方で発見される。地味で孤独に見えたドアマンの驚くべき過去が次第に明かされていく。ドアマンの秘められた過去の栄光、悲劇、転落が明かされ、家族たちとの闇が次第に透けて見えてくる。
     この犯罪を解明していくのが主人公のレイキャヴィク警察麻薬犯罪捜査官エーレンデュル。 エーレンデュルはスウェーデンの作家、ヘニング・マイケルの主人公クルト・ヴァランダーに通底する要素が多い。中年で人生に疲れているが、捜査官としての腕は凄い。家族の崩壊に悩み、娘との深刻な葛藤など共通点が多い。さらに弟を山の遭難で失い、トラウマになっている。
    クリスマス前後の数日間のホテルを中心にして展開するストーリーは、ホテルに勤務する人々、ドアマンの家族たち、警察官たちのそれぞれの個性などを的確に描写していく。登場する人物たちがそれぞれ個人的に抱える悩み、問題点などを丁寧に描くことから、血のかよった人間としての息遣いが聞こえてくるのが好ましい。殺されたドアマンの数奇な運命と深い孤独感が胸に迫る。
    単なるミステリとしての謎解きの面白さとは、趣を異にする作風が北欧ミステリの特徴であり、魅力か。 ヘニング・マンケル亡き後、アーナルデュル・インドリタソンがこれからも作品を生み出してくれることを望むのみである。
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    本ブログ2014年12月13日の書評欄に『「ミレニアム」以来の衝撃』という表現で「その女アレックス」を取り上げたが、「天国でまた会おう」は、その作者ピエール・ルメートルがフランス最高の文学賞、ゴンクール賞を受賞した傑作である。
    「死のドレスを花嫁に」も面白かったが、意外性を内包したミステリという魅力を極限まで表現し、最後までぐいぐい引っ張りこむ力を持った作家である。
    「天国でまた会おう」はミステリではなく、現代史の一面の実相を鮮やかに描写した堂々たる現代史小説である。ミステリ的な要素はなくはないものの、凄惨な第一次大戦を生きたフランスの人々の群像劇として胸を打ち、人間の運命について考えざるをえない示唆に溢れている。
    主な中心人物はアルベールとエドゥアールという二人の兵士であり、その周辺の家族たちである。アルベールはもと銀行の経理係で、平凡で、優柔不断、意気地なし。
    エドゥアールは裕福な実業家の家に生まれ、天才的な画才に恵まれた男で、反骨精神の持ち主。
    二人に加えて、戦場での上官、ブラデル中尉は二人にとっての悪夢のような人物だが、適役としては申し分ないキャラクターの持ち主だ。
    顔面に致命的な負傷を負ったエドゥアールと彼を支え続けるアルベールの思いと破天荒な行動が中心となり、戦争後の特需にうごめく政財界の人々、貴族社会の人間たちの様々な行動が確かな筆力で活写される。
    それぞれの人物についてルメートルはその複雑な内面を屈折した精神、希望、絶望感を確かな文体で描き尽くす。そこには多面的な人間心理への深い洞察力が裏付けとなり、人間の運命と現代史との関わりが浮かんでくる。
    通俗的な語り口の様相を呈しながら、物語の展開にいつの間にか吸い寄せられて、一気読みしてしまうのだ。
    大量の戦死者を生んだ大戦とその死体を埋葬する墓場、棺桶をめぐる人間の残酷さ、滑稽さに目を背けたくなる臭気も漂う展開ながら、二人の青年たちの運命とその青春の行くすえに粛然たる思いにとらわれ,叙情が残る。
    エンタテインメント性と文学性が高度に統一された現代小説としてフランスでも深い共感を得たというのも納得である。
    一筋縄ではいかない人間心理への洞察と、それを表現する文体の小気味よさ、切れ味の良さが堪えられない。
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    まずタイトルが秀逸である。思わず本を手に取ってしまうインパクトがある。京都には数えきれないくらい行っているが、なんとなく感じていた謎を少し解明できたような気がする。それは、京都人と接する時に感じていた、薄いヴェール越しの感触みたいなものだ。それはもどかしい感じを伴うもので、最終的に相手が何を言ったのかがわからずじまいという体験の正体がこの本を読むことで分かったような気がする。
    著者、井上章一は嵯峨生まれで、宇治に住んでいる。関東に住む人間からすれば、羨ましいほどの環境に育ったと思う人が殆どではないか。井上は言うまでもなく京都を代表する学者の一人とされ、建築史、意匠論など日本文化についての広い分野にわたる研究者である。
    その井上が学生時代に体験したエピソードが暗示的で、衝撃的だ。学生時代、建築研究のため、著者が由緒ある民家を訪ねた時の会話。
    (家主)「君、どこの子や」
    (著者)「嵯峨からきました」
    (家主)「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)を汲みに来てくれたんや」
    つまり嵯峨を田舎だといけずを言われたのである。嵯峨は京都と違うんやでと念押しされたような気持ちになったようだ。井上氏は「自分は京都人ではない。」と言い、今もって洛中人から格下扱い受けている気がするという。
    京都の洛中と洛外に住む人々の間に存在する微妙な感情のすれ違いは部外者にはほとんど理解不能なものだ。京都以外の人間から見れば、京都人がどこの出身かということは、気にも止めないことだが、洛中の京都人から見れば、洛外の人間は京都とみなされない田舎の人間だとされているらしい。
    行政上、京都市に入っていても洛中の人々からは京都とみなされない地域があり、碁盤の目以外の地域、周辺部(郊外)、洛外の地は京都扱いをされてこなかったのだ。つまり洛中とは平安京の京城内のことで、碁盤の目の中で、かつて都として機能した地域。洛外とは洛中に続く外縁地域を指したのである。
    伏見区や山科区など昭和になって京都市に編入された縁辺地区の住民の間では、今でも「京都に行く」という言い方がごく普通に使われているという。
    人間は居住する地域に関して、他の地域と比較、対照し、その優劣を気にする微妙な感情に支配されがちである。例えば東京周辺でも千葉、埼玉、茨城に対して「ダサいたま」「チバラキ」といった地域差別はある。たいていは笑いを誘う話題としてではあるが。
    こうした様々な差別意識の表れとして、京都の場合は最高に濃縮された形て表れているのではないか。
    京都という日本文化の粋の集積地で、洛中・洛外の人々の心のひだに分け入り、そこから日本人の普遍的な差別意識の深層を引っ張り出そうという試みにも思え、ある種のスリルさえ感じる。
    井上は言う。
    「出生地のずいぶんちっぽけなちがいにこだわるんだなと思われようか。しかし、こういうことで私を自意識の病へおいこむ毒が、京都という街にはある。」
    「精神の自家中毒を余儀なくされる」 さらには人間には「自分が優位にたち、劣位の誰かを見下そうとする情熱がある」とまで表現する。
    さらに日本中世史を遡れば、そこから被差別の意識の流れが列島の地下水となり、現代に至るのである。
    かくいう井上章一先生も、東京と京都という構図に対しては、洛中・洛外を含めての熱烈な京都びいきになるところがご愛嬌である。
    本著には、洛中・洛外以外にも、京都論の中核テーマともいうべき僧侶と舞子、仏教と寺院、江戸と京都の比較、南北朝時代などについても、井上独自の語り口で興味ふかい独特の知見がちりばめられていることも付け加えたい。
    これだけ多様にわたるテーマを平易な言葉で、率直に、表現できるということは素晴らしい。ともすれば学者は専門用語を多用して、小難しく書くのが特権のように錯覚しているケースが多いが、井上先生の場合は、真の学者は難しいことを、優しい言葉で表現できる人という私の定義にも合致しており、それに加えて俗っぽい言葉も駆使する名人芸も垣間見せてくれる筆力に脱帽であった。(朝日新書)  
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    若き日々の青春日記の側面もあり、読みながら己の若き時代を反芻せざるをえない好著である。演劇・演芸評論家、エッセイスト、矢野誠一の近著である「舞台の記憶」(岩波書店)の70年に及ぶ観劇記録の圧倒的なヴォリューム感に驚き、ひれ伏すのみである。
    10代半ばから芝居、寄席に通い出し、以後、途切れることなく演劇、寄席の落語など、東西の映画、海外での体験などが玉手箱のように出てくる。年に200本の観劇生活の中から、特に印象に残ったものを選び、記憶の糸を手繰り寄せ、回想した本著は資料的にも貴重な日本近代芸能史の側面もある。そこから浮かび上がってくるのは高度経済成長時代からひた走る日本社会の風俗・社会史的変遷の記憶であり、矢野誠一の青春時代の悩み・喜びが織り交ぜられ、血肉の通った青春観劇記録になっているところが、類書との違いだろう。
    その守備範囲の無限広大なこと〜新劇、商業演劇、ミュージカル、落語、宝塚、歌舞伎、ポップス等々に及びながら、その筆致にはツボを抑えながら、己の美学の軸をずらすことなく、柔軟に対象に寄り添う暖かさに満ちている。
    1951年、著者が高校生に成り立てに見たジャン・コクトーの「聲」から1997年の「紙屋町さくらホテル」までが収められている。 早熟で、麻布高校の自由な雰囲気で育ち小沢昭一を始めとする仲間たちの影響も受けながら東京で繰り広げられた演劇・芸能の戦後勃興期のただ中にいた矢野誠一が全身で感じ、受け止めた空気感が気持ちよく伝わって、当時の私のことを思い起こしながら、身が熱くなる思いがする。少し遅れきた私のような地方出身者は矢野さんたちの文章を追いかけては東京の空気に染まろうとしていたのかもしれない。
    「舞台の記憶」は、2008年6月より2015年9月まで公益社団法人都民劇場の月報に連載されたもの。
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    刺激に満ちた柳田国男論である。著者は40年前に柳田国男論を雑誌に連載しながら、本にはしなかった。しかし、東日本大震災で多くの死者が出たことで、気持ちに変化が現れたという。
    遊動民(ノマド)には遊動的狩猟採集民と遊牧民に分けられ、2つは根本的に異なるという。柳田は「山人」(狩猟採集民的遊動民)を重視しつつも、遊牧民的、膨張主義的な遊牧性は否定した。
    初期の段階で山人(やまびと)、漂泊民、被差別民などを論じていた柳田国男が後期には、これらを論じることよりも「常民」と呼ぶものを対象とするようになったことが批判的に語られるようになった。
    柄谷行人はこうした見方を否定し、柳田国男が一貫した思想を抱き続けていたことを論証している。著者によれば、柳田が「遠野物語」を書いた頃は、歴史的に先住民が存在し、その末裔が今も山地にいるとと考えていたようだ。そしてその後も、山人が実在するという説を放棄したことはないという。
    柳田が「山人」に関心を抱くようになったのは九州の椎葉村での衝撃が契機だった。そこで見たのは、平地とは異なる「土地に対する思想」、つまり共同所有の観念であり、生産における「協同自助」だった。それらは彼らが焼畑と狩猟に従事するということ、つまり遊動的生活からくるものであった。この体験以後、柳田は山人について書き始めたようだ。
    柄谷行人は、柳田が椎葉村で見た人々は「山民」であって「山人」ではないといい、柳田自身も区別していたとし、彼は山人を先住異民族の末裔だと考えていたという。そして柳田は椎葉村に「異人種」である山人が先住し、そのあとに山民が来たとみている。
    先住民は追われて山人になった。そのあとに移住してきた人々が山民である。彼らは農業技術を持っており、狩猟採集もした。柳田の考えでは彼らは武士=農民であった。彼らは平地に水田稲作とそれを統治する国家ができたあとに、それから逃れたものであり、平地世界と対抗すると同時に交易していた。東国や西国の武士も起源においては山民であった。その中で、武士が平地ないし中央に去ったあとに残ったのが、現在の山民である。
    純粋に狩猟採集民であった山人は、このような山民とは異なるはずだが、実際に、山人を見出すことはできない。ただ、山民のあり方からそれを窺い知ることができるだけなのだ。 柳田が山人について書かなくなってからも、諦めていたのではなく、彼は「固有信仰」の研究にそれを求めていたという。
      「固有信仰」は稲作農民の社会では痕跡しか残っていない。それはむしろそれ以前の焼畑狩猟民の段階、遊動民社会に存在したものだという。柳田のいう「固有信仰」の背景には、富と権力の不平等や葛藤がないような社会があったと柄谷行人は推定する。
    遊動性については柄谷行人は歴史家網野善彦の仕事と対比しており興味深い。網野は中世における天皇支配権の基盤を非農業民に見た。南北朝時代に、後醍醐天皇は、非農業民や"悪党"と結託することによって、武家政権に対抗した、など。しかし山人、すなわち遊動的狩猟採集民と、職人・芸能人のような遊動民は類似性とともに決定的な違いもあるとする。それは権力との距離感などを意味するのか。
    「定住・定着」と「遊動・漂泊」という2つの概念から無限の問題が導き出されるが、 「遊動論 柳田国男と山人」からは原理的で多様性に富んだ示唆の補助線が巡らされており、スリリングな体験だった。 (文春文庫)
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    視野が柔軟で、懐が深い小説で日本にはなかなか現れない類いのスケール感を湛えた傑作だ
    台湾を中心として中国本土から日本までを含めた現代東アジア史を俯瞰しながら台湾に生きる一家の歴史を描きつつ、主人公(葉秋生)の愛と青春の日々を鮮やかに浮かび上がらせた。
    中国大陸での国共合作や共産党政権の成立、台湾へ移った蒋介石〜そうした激動の時代に生きた中国人、台湾人の生活史を含めた日常がこれほど鮮やかに描かれたことはあまり無いのではないか。
    名作「非情城市」(監督 候孝賢1989年)をなぜか思い起こしたが、全編を貫いている哀調と湿度感が似ているような気がする。
    主人公(葉秋生)の祖父、葉尊麟は国民党に味方し、共産党軍を多数殺戮する破天荒な生き方をしてきた型破りな個性を持った男で、彼の一族を中心にして葉秋生の視点から物語は進む。ある日、祖父が何者かに殺され,その謎解きも伏線としながら、葉秋生の初恋、受験、学生生活、父親、母親、叔父、叔母などがそれぞれ印象的なエピソードを交えながら語られ、そこには笑いあり、涙あり、スリルありの日々が活写されていく。これら以外にも幼なじみの不良連中、町のチンピラやくざなども欠かせない登場人物だ。これらの人物が皆魅力的で、血の通った憎めない人々ばかり。どうしようもない不良との忘れがたき熱き人間関係やそれぞれの歴史を背負った人々の姿が、懐かしい既視感とともに眼前に迫ってくる。日本の道や街角でも頻繁に見かけた光景である。
     主人公(葉秋生)の子ども時代に
    「ランニングシャツを着た祖父は手に碗を持ち、青い朝靄のなかにいる豆花売りを呼び止める。ふたりは朝の挨拶を交わす。豆花売りは碗に熱々の 豆花をたっぷりよそいながら、またお孫さんにかい、と尋ねる。祖父は、やっぱりあんたの 豆花がいちばん美味いからね、とかえす。・・・」夜も明けないうちに起き出した祖父が、この豆花を買ってきては食べさせてくれる回想シーンは美しい。
    こうした台湾の庶民群像をヴィヴィッドに浮かび上がらせながら、この小説が単なる青春小説の枠を超えているのは、その背景を流れる中国、台湾の現代史を、生きた等身大の人々の思いとともに描いたからだ。
    登場する人物の奔放な日常会話が小気味よく、いつしか哀切で、アジア的台湾的抒情に満ちた味わいが懐旧の情を呼び起こす。
    印象に強く残った一節がある。 主人公(葉秋生)が初めて祖先の地、山東省に入って間もなく抱く感慨みたいなものだ。
    「中国の地を踏んでまだ間もないが、私は理解しはじめていた。この国は、大きいものはとてつもなく大きく、小さいものはあきれるくらい卑小なのだと。ちっぽけな台湾や日本のような平均化を拒絶する、図太いうねりのようなものを感じた。」
    この思いは中国への数えきれないほどの旅をしてきた私にとっても、十分に納得できる感慨であり、中国という存在を理解する鍵の一つではないかと思っている。          」
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      年が明けてから福島のいわき市、広野町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町,浪江町そして南相馬市などを車で回ってきた。テレビ報道などで激変した富岡などの町並みの様相は見ていたが、やはりカメラの眼、視野の範囲内の限定され、一部強調され、一部薄められたものだったことが実感できた。
    パノラマに広がる無人の街の中にそびえる原発の煙突が太陽に射されて光る様はなんと表現すれば良いのだろうか。
    この辺り一帯は春からの渓流釣り、フライフィッシングの名所で4月上旬になると、木戸川、夏井川、高瀬川などを幾度訪れたことだろう。福島の現実をどのようにとらえればいいのか様々な思いにとらわれる。
    著者のデビュー作『「フクシマ」論  原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)は多くの類書の中で、最も刺激と知見に溢れたものとして登場したのだった。
    それに加えて著者は本新たな地平を切り開くフクシマ論を提示した。世の中の大手マスコミ・ジャーナリズムの多くに蔓延している俗流フクシマ論の正体を明らかにし、真の福島の姿を実証的に、噛み砕いて分かりやすい言葉、表現で現してくれた。この書の持つ平明さは明晰な分析と考察が生み出したもので本著の最大の功績である。
    ステレオタイプ化している福島の問題として、著者は「避難」「賠償」「除染」「原発」「放射線」「子どもたち」の6点セットの言葉をあげ、これらを適当に組み合わせて文章や話をするだけで、福島を語ったような気になっていると喝破する。福島に在住し研究するものとして、こうした俗流マスコミ、評論家、学者の無責任な言動がいかに福島の真の姿、現実をゆがめ、謝った偏見をばらまいてきたかを繰り返し述べている。
    福島の現実のエピソードが過剰に物語化されていき、増幅されていって俗流フクシマ論をバブル的に膨張させていったと分析している。
    福島に起きている現実を過大にでもなく、過小にでもなく、科学的・実証的な分析・考察を積み重ねて問題点を明らかにしていき、その解決策を模索する。
    1 復興 2 人口 3 農業 4 漁業・林業 5 二次・三次産業 6 雇用・労働 7 家族・子ども 8 これからの福島  これら8つのテーマに付いて分析を進めているが、それぞれの冒頭に読者への基本的な質問を置いて、それへの答えを展開する形で進む。
    例えば①震災前に福島県で暮らしていた人のうち、県外でくらしている人の割合はどのくらい(正解 2・3%程度) ②福島県の米の生産高の順位は2010年と2011年でどう変わった?(全国都道府県ランキングでそれぞれ何位)(正解2010年が4位、2011年が7位)などと約25の質問し、一般に想像されている常識を次々と覆す事例を提示していく。
    そこには膨大な統計を読み解き、福島を足で歩き収集した県民の生の姿や声から抽出され浮かび上がってきた事実の蓄積があるので説得力に富んでいる。 我々が日常生活で、新聞やテレビなどから得ている福島の情報がいかに歪んだ姿で伝えられているかが明らかにされ、反省を迫られる。そして全体の論考を通じて明らかになってくる問題点、問いかけは重い。
    「今後20年、30年かけて緩慢に起こるはずだった変化を、原発事故は2、3年のうちに、10倍速で進めた」のであり、福島を始め、宮城、岩手などの被災県に起きている人口、農業、漁業などの問題は、日本列島全体が将来、必ず受ける試練、3・11前から存在していた問題を先んじて突きつけられているのである。
    繰り返すが。こうした諸問題をかなり読みやすい文章で書かれていることが何より嬉しい。学者や一部の知識人などが相手ではなく、「普通の人」が福島の問題、日本全体の問題を考えるためのベースを提供する試みとして広く読まれることを願うのみであり、そうして覚醒した一個人が己の成すべきことを見つけ出してゆくことのみが希望でなければならない(イースト・プレス刊)
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    「イスラーム国」という現象に現在、最も肉薄した書と言えるだろう。それほどタイムリーでありながら、問題の核心を抽出した論点の明晰さは驚くほどの精妙さに溢れている。急遽、出版されたにもかかわらず、著者の学問的な蓄積の豊かさが全編に溢れ、説得力に富み、論点にゆるみや粗雑さが見られない。
    イスラーム国の衝撃」は著者が長年取り組んできた2つの専門分野、
    ①イスラーム政治思想史、特にジハード論の展開
      ②中東の比較政治学と国際関係論、
    これら2つの研究の手法・視点を併用して、まさに両者の相互関連性を体現している「イスラーム国」の実像に迫った書である。著者は「二つの研究分野が一つに融合していく稀な瞬間を目撃することになった。」と感慨を記している。
    著者の書を初めて読んだのは大学院生時代の処女作「現代アラブの社会思想」(講談社現代新書2002年、大佛次郎論壇賞)だったが、学術書からイスラム社会のヒットソング、大衆が読む雑誌類までを渉猟した研究方法に従来に無い新鮮さを感じたのだった。イスラム社会の大衆の心のひだに密着した内容だった。
    さて、著者は20世紀初頭から現在までの1世紀を以下のように幾つかの分水嶺として提示する。
    ①1919年第一次世界大戦後の中東秩序の形成
    大戦中の1916年に英・仏にロシアも加わった秘密の「サイクス=ピコ協定」による一直線の国境設定など。「イスラーム国」はこの協定の結果の中東秩序打倒を掲げている。
    ②1952年 ナセルのクーデタと民族主義
    エジプトのナセル中佐によるクーデタによりアラブ世界に民族主義と反植民地主義の流れが伝播したが、成立した共和制諸国は独裁・長期政権化し、腐敗していった。シリア、リビア、エジプト、イエメンなどである。2011年の「アラブの春」でチュニジア、エジプト、リビア、イエメンで政権が退場。
    ③1979年イラン革命とイスラーム主義
    2月にイランで、イスラーム革命により王制が打倒される。79年ソ連がアフガニスタンに侵攻。ビン・ラーディンら義勇兵参加。この時期は近現代のジハード主義の最初の昂揚期。 1981年エジプト、サダト大統領がジハード団に暗殺される。そこに連座したアイマン・アル=ザワーヒリは出獄後アフガニスタンに渡り、ビン・ラーディンと同盟してアル=カーイダを結成した。「イスラーム国」はこの流れを汲む。アル=カーイダが果たせなかった領域支配を、イラクとシリアの周辺地域で確立しかけている。
    ④1991年 湾岸戦争と米国覇権
    米主導の多国籍軍が、イラクをクウェートから排除。米国一極支配による覇権秩序の定着が進む。
    ⑤2001年9・11事件と対テロ戦争
    ブッシュ政権はアル=カーイダに活動の場を与えていたアフガニスタンのターリバーン政権の打倒に続き、2003年にはグローバルジハード運動と直接関係のないイラクのフセイン政権の打倒に踏み切る。フセイン政権の崩壊後、再生したアル=カーイダは、2006年「イラク・イスラーム国」を名乗るようになり、イラクでの反米・反政府ジハードは「異教徒」や「不義の支配者」と闘う、という従来のジハード論に加えて、シーア派を背教者として断じてジハードの対象とする、宗派主義の要素を持ち込んだ。
    ⑥2011年「アラブの春」とイスラーム国の伸張
    各国政権の崩壊は「イスラーム国」の構想に威信と信憑性を帯びさせ、活動の場を開いた。 ⑦2014年「イスラーム国」の伸張
    新たな分水嶺。
    これにより、複雑な中東の近現代史の流れの中で「イスラーム国」の出現の歴史的意味合いがよく理解できるようになった。楽観的でもなく悲観的でもなく中東の現在を見つめていく手がかりになるだろう。
    「アッラーの道のための」という目的にかなった戦闘をジハードと捉え、それへの参加がイスラーム教徒一般に課された義務であるとするのは、イスラーム法学上の揺るぎない定説だという。近代のイスラーム諸国は、このジハードの義務の概念を、国家による統制下に置こうとしたが、自分たちが植民地支配や従属的な立場に置かれていると判断するものは統制を無視する。
    イラクとシリアに現れた「イスラーム国」という集団のジハード論、メディア戦略などの分析も鋭い指摘に満ちている。その主要な宣伝媒体雑誌『ダービク』で展開される彼等独自の論理はイスラーム啓典や教典から導きだされるが、現代の国際社会の規範を大きく逸脱する内容に付いて世界のイスラーム法学者の反応を著者は問いかけている。
    そして現在、行われている殺戮を「イスラーム国」が「正当化」する法学解釈の根拠や論理展開に正面から反論する学者が出てこなければ、過激思想を正当なものと見なす次世代が育ちかねないと危惧している。そしてイスラーム世界にも人間主義的な観点から宗教テキストを批判的に検討し、諸宗教間の平等や宗教規範を相対化する姿勢を取り入れたイスラム教の宗教改革が求められる時だとしている。
    今後、イスラーム法学者がどのような方向を導きだすのか注目したいし、著者がその周辺情報をもたらしてくれることを期待する。
    新書版でありながら、含まれている内容は重い。(文春文庫)
    追記:「イスラーム国」による人質問題がマスコミで連日取り上げられ、夥しい報道がなされた。2月1日の「週刊BS-TBS」(夜9:00ー10:54)には池内恵氏が出演して、様々な分析を述べたが、今までなされた多くの報道の枠を超える明晰さに満ちたものだった。
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    遠からず、日本列島から、かなりの市町村が消滅するという、いわゆる「増田レポート」が出されてから、その衝撃波は列島各地に及んでいるらしい。『中央公論』などで「消滅可能都市896」と題された特集では896の市町村名が明示され、その中から523市町村がリストアップされ「消滅する市町村」とされた。あからさまなまでの消滅論を聞く当の市町村に住む人々はいかなる思いに駆られるだろうか。
    この著は、そうした乱暴な消滅論に対する反論として書かれた注目すべき論考である。その反論は、声高なものではなく、列島各地を繰り返し訪ねるなかで、聞き取りを重ねながら、そこに暮らす住民の日常から発せられる言葉の重みを受け止め続けてきた重量感溢れるレポートで極めて実証的で説得力に富んだものになっている。
    農山村の「歩き屋」を自称する筆者が、足で集めた列島各地の様々な統計数字やそこから導きだされた仮説や提言は具体的で、詳細で示唆に富んでいる。
    特にいわゆる過疎地域がいち早く顕在化した島根などの中国地方の取り組みの例は、それぞれが興味深く、心打たれる事例が多い。行政から降りてきた方法ではなく、農山村の地域住民が内発的に、自分たちの頭で生み出した手段、方法こそが有効性を担保されるという仕組みづくりが地域再生の鍵のようだ。
    仕事が無いという地域の現状でも、小さな芽からなんとか収入を得ながら、それらを集合的に仕事化していく例などが語られる。そしてこれらの地域住民の行動の源泉は、ふるさとである農山村を残したい、子孫に伝えたいという人間本来の純粋な願いからでてくるものという。
    この著の最後の方で
    「高齢化をこれ以上進ませないために必要な人口流入の規模を算出すると極端に大きな数ではないことが分かる・・・・・全国の山間地域の平均的年齢構成を持つ1000人のモデル地区を仮想し、その後の人口変化を見たものである。これによれば、現状のままの人口構成で単純に延長をすれば、高齢化率はそのまま高まり、人口も激減する。それは、まさに増田レポートが予測する通りである。しかし、毎年4組の家族(30才代前半の子連れ夫婦・4才以下の子ども一人)が2組,(20歳代前半のカップルが2組)、合計10人の地域外からの流入が生じると仮定すれば、事態はまったく異なる。その場合、高齢化率は10年後にピークとなり、それ以降はむしろ低下する。・・多くの地域にとっては、この毎年4組の参入という目標は、決して現実離れしたものではないであろう。・・・何組というリアルな絶対数を目標とすることにより、地域における展望が見えてくるのである。」
    と増田レポートのような人口動態を「率」に注目した推計ではなく、「何組というリアルな絶対数」で提示する方がより分かりやすく、血の通った提言になっている。
    国や行政側の官僚たちの頭から生み出される諸々の政策がいかに現状から浮いたものであるかが、逆に立証されている。本題の「農山村は消滅しない」というタイトルは一学者、小田切徳美だけでなく列島各地域で日夜奮闘している列島の自然を愛し、田園回帰を目指す人々が増田レポートに対して思わず発した心からの叫びであろう。全政治家・市町村の職員必読の書。(岩波新書)
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    この小説は単なるミステリーの枠を超えており、ミステリーの常道に対する人々の固定観念が次々と覆される革新的な味わいに満ちた犯罪小説である。
    2011年にフランスで発表されるや否やリーブル・ド・ポッシュ読者大賞ミステリ部門(2012年)、イギリスの英国推理作家協会のCWA賞インターナショナル・ダガー(2013年)を受賞している。
    或る晩、パリの路上で若い女性(アレックス)が何者かに誘拐される。目撃者は一人。通報を受けて警察が捜査に乗り出すが、被害者の行方、身元、誘拐犯の正体も動機も一切不明のまま数日が過ぎる。その後の展開は目まぐるしく、意外性に富み、痛みを覚えるほどの描写が続く。
    最初、読者はアレックスの視点から世界を眺めつつ、この女性が魅力的ながら、どこか人生を降りてしまったような諦観の中にいることに気づかされるが、それすらも視野の深さではないかと思い込む。そしてアレックスに感情移入する。
    誘拐され郊外の廃屋の中に、檻に入れられて監禁されるアレックスが辿るその後の展開は衝撃的で、息つく暇も与えない緊迫感に満ちている。その上、ようやく読者が謎の解明に近づいたかと思うと、不意打ちを食らうような展開が待っている。
    一方の捜査陣のパリ警視庁犯罪捜査部班長のカミーユ、部下のルイとアルマンそしてカミーユの上司ジャンなどの登場、は、そのやりとりのユーモアに富む会話や各人のキャラクターの特異さを含め、小説全体の衝撃的な背景や社会の闇のなかで、救いとなる人間的な味わいに富み、人生の奥深さを浮かび上がらせ、この小説の奥行きを深めている。
    アレックスが苛酷な運命に翻弄され、さめざめと泣くシーンが多いが、これらは、妻も誘拐され亡くした体験を持つ警部カミーユが高名な画家である亡き母の遺産を巡り、様々な感慨にとらわれるシーンとクロスして切なく共鳴する。
    意外な展開は、単なる謎解きを越えて、"真実ではなく正義"というテーマに辿り着くが、そこに至るまでの伏線の設定や練達の筆力は、筆者のただならぬ力量を伺わせる。
    それにしても、これほどの筆力を持つ作家ピエール・ルメートルの著作のなかで、これが日本に紹介されるのは2作目というのは不思議だ。もっと読みたいと思わせる作家の登場だ。 ページをめくるのももどかしいほど熱中できたのはスティーグ・ラーソンの「ミレニアム」以来の読書体験であり、そう思えば主人公のアレックスは、ミレニアムの女主人公リスペットにどこか通じるものがある。苛酷な少女時代の体験を抱えて生きる女に共通するまなざしを感じてしまう。この小説でも各所で、スケッチを趣味にするカミーユがアレックスのイメージを何度もスケッチする場面が出るが、一番苦労するのがまなざしの描き方だった。よほど複雑で、窺い知れないものを湛えていたのだろう。映画化が予定され、ルメートル自身がシナリオに参加するようで、楽しみである。文春文庫。 ,
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    昨年末に発刊された小沢昭一の写真集「 昭和の肖像〈町〉」に続いて2月6日から「 昭和の肖像〈芸〉」が刊行された。これで2巻そろっての「昭和の肖像」の簡潔ということになる。 今回の「芸」篇には「昭和の芸人たちー路上の商い、寄席、芝居、見せ物、ストリップ、句友、そして消えゆく放浪芸・・・」の実に多様で、複雑で、懐かしい姿、表情が納められており、昭和という時代に生きた彼らの息吹や、呼吸や、体臭までもが間近に聞こえ、匂ってくる。
    思い起こせば、彼らの芸能的な出自は日本列島の中世にまで遡れ、祖先が漂泊遊行の旅を続けながら、各地に残した芸能の血脈を受け継ぐ昭和の芸能民なのである。
    小沢昭一さんは俳優としての生き方を突き詰めるという、極めて個人的な欲求から彼ら、漂泊芸能の人々に接し、芸能民の中に芸の必然性とも言うべき規範をつかみ取った。それは差別される側に生まれ育ったものが、生きるために仕方なしに歯を食いしばって身につけたお金に換える芸能というものだった。
    ここに納められた写真の数々は、小沢さんが昭和40年代に各地を行脚しながら撮られたものが中心である。どれもこれもが私には懐かしく、思い出に溢れるものだが、冷静に思い起こせば、これらの殆どは今や消滅の境にあるものが多いのだ。
    芸能は時代の要請により、変貌を繰り返すものではあるが、今のテレビ、マスコミなどに現れる芸能的表現にはこの本にある芸能民の持つ時代を撃つような力強さがない。芸能とは、時には時の権力にとり不都合であったり、邪魔なものであり、それだけに庶民の願望や怒りを代弁する存在である。たまには行儀不作法であり、猥雑であるが、人間の本質を鋭く突いた表現も生まれる。
    そうした意味において、ここに納められた芸人は、いずれもお金に換える芸能の腕前を小沢昭一に認められた人々であり、貧しさの中から力強く己の人生を貫いた人々なのである。
    写真集「昭和の肖像〈町〉、〈芸〉」の2冊の内容は重い。視点の斬新さ、予定調和ではないものの見方、見逃されてきたものへの熱い思い、少数者と弱者への視野、正当性、常識への疑い、主流ではなく傍流、中心より周縁・・・。小沢さんの写真を見ているとこのような言葉が思い浮かぶが、小沢さんはこうしたことをことさら大きな声で言い立てたりはしない人だった。そうしたことを恥じるような姿勢があった。俳優として非常に多くの著書を残したが、大きな声でメッセージを述べることはなかった。ただ彼の残してきた仕事をみれば、その思いの総量に粛然と頭を垂れるしかないのである。
    たまたまこの本の巻末解説を依頼され、私なりの思いを書いたが、小沢昭一という存在を的確に伝えられたかというと心もとない。小沢さんの多面的で、重層的な有り様は一筋縄ではいかない。
    筑摩書房刊。
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    敗戦から15年間の日本の復興期に生きた青年が国家や社会、家族そして人間の希望などについて考え、悩み、行動する青春小説だが、今の我々にも通じる重いテーマが語られており、深くうなずき、しみじみと来し方を思い返してしまう作品だ。読後感もすこぶる良い。
    物語の骨子は、敗戦により上海から復員してきた矢田部信幸が、故郷、福島へ向かう列車のなかで、具合が悪くなり、居合わせた同じ復員兵の小椋(おぐら)耕造に世話になる。 生活のめどが立ち、小椋耕造を訪ねる旅に出る中で、彼が木地師であることを知り、木地師の存在や歴史に強い関心を抱いていく。というような流れだが、内容は国家、社会のあり方にまで踏み込んだ奥行きがあり、しかもおもしろい。
    苛酷な戦争をへて、信幸はこれからの人生を
    「戦争では勝ち取れないもの、日本人が日本人として誇れるもの、平穏から平穏を生み出し人に喜ばれるもの、誰もが美しいと思うもの、そういうものに関わってゆきたい」
    と思う。 木地師の生活や歴史を調べていくうちに、その出自は古代律令国家の成立に深く関わった渡来人の水脈と重なり、渡来人の血筋が列島全土に染み渡っていることを実感する。近江の小椋谷 から漂泊の旅を 始めた木地師たちが脊梁山脈を越えて各地に拡散していった名残りの道を自分の足で探索する信幸の思いは己の生の実感をつかむ旅でもあった。
    木地師への様々な考察に加えて、信幸と2名の女性、佳子と多希子を巡るロマンも豊穣で哀切な味わいに溢れており、木地師探求のロマンと対をなす旋律を奏でる。
    戦後のどさくさの中からたくましく酒場を経営しながら、画家の道を目指す佳子の自立した精神の闊達さと、木地師の家に生まれ、芸者として生きる多希子の儚さが対照的である。それぞれの間を揺れながら行き来する信幸と女性との会話が息をのむほど切実感があり、恋愛小説としても忘れがたい余韻を残してくれる。
    戦後の混乱していた日本の15年間に列島各地で人々がそれぞれの人生を必死に生きていたことが愛おしく、身近に感じられ、昔の話ではなく、現在の日本のあり方を考える際にも、喪失したものの大きさを味わうと同時に、強い内省の念が湧いてくるのである。
    作者は時代物の作家として不動の地位を保持しているが、60歳にして現代小説をものにした。なみなみならない力量を感じさせる傑作だろう。2013年第40回大佛次郎賞。新潮社刊。
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    昭和時代と言えば1926年から1989年までの60余年にわたる時代である。世界大戦から敗戦そして復興、高度経済成長へと突き進む波瀾万丈の時代だった。
    日本人は概ね貧しく、懸命に働くことで精一杯だった。じぶんが幸せかどうかなどと自問自答する余裕もなく日々の時間が過ぎていった。
    昭和4年生まれの小沢昭一はまさしく昭和の申し子で、敗戦の焼け跡のあっけらかんとするほど何もない貧しさの中にある、希望のようなものを手がかりに生きてきた。小沢さんが著した幾多の書物で繰り返し述べたのは、貧しさが生み出す芸能の力、人びとが前に進もうとする気持ちの尊さだった。
    まもなく小沢さんの1周忌である。筑摩書房から「小沢昭一:写真集 昭和の肖像〈町〉」が発刊された。小沢さんが長年、撮影してきた膨大な写真から人物、風景などを中心に編集部が入念な選定作業をへて編まれただけあって、内容充実で、どっしりとした手応えに満ちた写真集となっている。写真選定など若干参加したので、手前味噌になるのを押さえた物言いになるが、小沢さんも満足されるのではないかと思う。
    どのカットを見ても背後に小沢昭一のまなざしが透徹しており、小沢昭一の心の軌跡が伺われ、どのような思いで町や人々に接し、向かい合っていたのかが、しみじみと分かるのである。
    昭和40年代の中頃から、放浪芸の取材で日本各地を小沢さんと巡ったが、車で移動中にたびたび、小沢さんが「ちょっと、ストップ」というなり車を飛び出しカメラを構えるのだった。当時「話の特集」のカラーグラビア「小沢大写真館」を連載していたこともあり、田んぼの中に立つ看板から、風俗店のまがまがしい看板、町を行く老若男女などなど、小沢昭一的関心、興味に火がつけば、執拗に対象に迫っていった。
    一枚一枚を見ていると、昭和の匂い、街の匂いが ゆらゆらと画面から立ち上がってくる。 光と影の織りなす昭和の肖像がある種の哀惜感を伴い、胸に迫ってくる。
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    注目のアイスランドのミステリ作家アーナデュル・インドリダソン のエーレンデュル・シリーズの邦訳第2作である。邦訳第1作の「湿地」は昨年夏に刊行され、瞬く間に様々なミステリの人気ランクの上位を獲得したのも記憶に新しい。極北アイスランドの自然の中で苛酷な背景を背負いながら生きてきた人間模様を哀切感と切迫感溢れる北欧ミステリに仕立て上げる筆力はただものではない。
    住宅建設地で発見された、人間の肋骨の一部を巡って殺人事件の匂いを嗅ぎ付けた警察官エーレンデュルを中心に三人の捜査官が、骨になった人物を特定すべく捜査が始まる。首府レイキャヴィクの郊外にサマーハウスが建ち始めた地区は大戦中はイギリス軍やアメリカ軍のバラックが建っていたという。そして地道な近隣への聞き込みにより数十年間、封印されてきた暗黒の謎が現れてくる。
    物語は三つの方向から語られる。一つは骨の主の正体を追うエーレンデュルたち三名の捜査陣。二つは娘の危機を契機に明かされていくエーレンデュルの過去。そして三つ目はある家族のドメスティック・バイオレンスである。
    北欧ミステリの魅力は主人公の警察官像の造形の妙にある。エリートではない、家庭や己の中に問題を抱えながら仕事をする、叩き上げの不器用な人間が多いのだ。等身大の人間が苦闘しながら、犯罪の闇に迫り、押し返される。決して才能豊かに鮮やかに難問を解決して読者の溜飲を下げるというヒーローではなく、泥臭く、地をはうような捜査を積み重ねていく普通の人間である。
    捜査官エーレンデュルは妻と離婚し、二人の子供とも久しく会っていない。そして長女は麻薬などを常用しており、妊娠中らしいのに極道たちの世界に沈殿しているようだ。ある日、 妊娠中の 長女から「助けて。お願い」という電話が入り、父エーレンデュルは懸命に探し出すが、娘は死産で重篤な状態で寝たきりになってしまう。意識を失った長女の回復に望みを託す手段で、時間を見つけては集中治療室の娘に物語などを語りかけながら、捜査活動を続ける。寒々しい妻との別離、長女の父への激しい反発や侮蔑など、苛酷な私生活の環境で黙々と捜査を続けていくエーレンデュルが捜査する人々も同じように宿命的な闇を抱えた人々なのである。
    そして様々な証言により、現場付近のスグリの木の茂みのあった一家の数十年前の苛酷な歴史が明かされていく。暴力を振う夫と、耐える妻、ただ見守るしかない子供たちの魂の受ける傷・・人間の奥深く巣食う闇の深さに言葉を失う。
    特に重い障害を持つ長女のミッケリーナの描写は生命力を徐々に取り戻す過程が救いのない状況下で希望を感じさせる巧みな筆運びとともに心に残る。全編通じてほとんど話をしないミッケリーナだが、その存在感は強烈で、ラスト近くになり覚醒したミッケリーナの容姿と発する言葉は感動的だ。
    結末は半ば予想通りだが、この物語の骨子は単なる犯人探しではなく、むしろ犯行を裁かずに、エーレンデュルとミッケリーナの二つの家族の哀切な物語を描きながらアイスランドの、北欧の、そして地球上の家族が抱える巨大な闇を提示することにあるのではないかと思われるのである。
    インドリダソンは訳者柳沢由美子氏のインタビュウーでこう答えている。
    「私は殺人事件が起きる背景に焦点を当てたい。なぜその人が殺されたのか。日常的な風景、平和な暮らしの営みとそこに生きる人間を描き、その中で殺人事件が起きることの意味を考えたいのです。殺すに至るまでの過程を理解したいのです。殺すにはそれ相当の理由があり、殺された人間のほうが犯人よりも悪人であることもあり得る。自分の作品では犯人逮捕で終わったのはいまのところ一作しかありません。」
    CWAゴールドダガー賞(英国推理作家協会賞)/ガラスの鍵賞(北欧ミステリ大賞)、同時受賞。訳者、柳沢由美子はヘニング・マンケルの著作の訳者でもあり、明快な文章である。 東京創元社刊。
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    正確には、そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリアという副題がつく。ソマリランドはアフリカ大陸東端のソマリア半島(アフリカの角)に位置する共和制国家。アフリカの地図を思い浮かべてその詳細を理解できるひとは少ない。日本から遠方にあり、マスコミなどの報道もエギプトの蜂起やリビアの内戦などが断片的にされるだけで、その内実は分からない。内戦や飢饉などが報道の中心課題で、アフリカに対する図式的なイメージ形成に寄与するのみだ。そこにこの著が出た訳で、その内容に注目が集まっている。
    ソマリランド共和国はソマリア共和国内の北部にある。ソマリアは断片的な報道では多くの武装勢力が林立して無政府状態が続き「崩壊国家」だという。「リアル北斗の拳」とも呼ばれる。
    ところがソマリランド共和国は国際的には全く国として認められていないにもかかわらず、十数年にもわたって平和を維持している独立国家だという。イラクやアフガニスタンのように建前上は国家として認められているのに、国内はほとんどめちゃくちゃという例はあるが、その逆というのは珍しい。しかしながら、情報がないので、実態がよくわからない。そこで 高野秀行が何でも見てやろう精神で、出かけていったルポルタージュである。500ページを超える長篇ルポだが、とにかく面白い。
    全編通じてのキーワードは①氏族制度と②覚醒植物カートについてである。
    ①アフリカについての報道では部族社会という言葉が使われるが、著者によれば部族tribeは差別的であり、定義が曖昧で、最近は同じ言語と同じ文化を共有する人々をethnic group(エスニック・グループ)と呼ぶ。日本語では民族。
    一方、そうした民族の中に、さらに明確なグループが存在するときがあり、文化人類学ではclan(氏族)と呼ばれ、「同じ先祖を共有する血縁集団」と定義されている。ほとんどのアフリカ諸国では一つの国に複数の民族が同居しており、内紛の原因を作るが、旧ソマリアはアフリカでは珍しく、同国の95%以上が同じ言語と文化を共有するソマリ民族だった。ソマリア人が戦闘を行うのも、話し合いで奇跡の和平をしたのも氏族の単位による行為なのである。他のアフリカ諸国との決定的な違いである。
    著者の説によれば、氏族とは日本の源氏や平氏、北条氏や武田氏のようなものだという。この氏族という概念がソマリランドという奇跡の独立国を理解する鍵だという。
    ②カートとはニシキギ科の植物で、サザンカ、ツバキに似た常緑樹で、このカートを噛み、食べるという習慣で、意識の覚醒感と明晰さを持続することができるという。多幸感や人恋しさが増幅し、著者もほとんど中毒状態になる。カート宴会なるものが盛んで、彼らの本音を探る習俗の場として欠かせない。
      ときたま氏族制について複雑な説明に傾斜しすぎることがあるが、そこは適当に読み飛ばして先に進む。まずなによりもソマリランド人の描写が秀逸だ。日本人のメンタリティの真逆にソマリランド人のそれを規定する。離れすぎて,ついには背中同士がくっつく,同根異種ではないかと思うくらいだ。日本人のメンタリティのほうが、地球規模で計れば特殊で、ソマリランドのひとびとのそれはアジア人の中では中国、韓国人により近い。
    様々な困難や試練に囲まれているにもかかわらず、彼らの日常は生の実感に満ちている。さまざまな風習や習俗も興味深いし、著者の不屈の精神も小気味よい。ソマリ人を見つめる視線はバランス感覚に優れ、信頼すべき公平さと理解力に満ちている。このあたりは探検部出身で地球上の辺境地帯を体験してきた体験がものをいっている。
    海賊国家プントランドと戦国南部ソマリアでも取材するが、ソマリランドのように一人で自由には歩けなく、厳重な警備を雇わなければならない。しかし、そうした状況下でも現地の人々がそれぞれの日常を生きていることに触れる余裕と公平さがある。
    こうしたソマリアの混沌と不可思議な達成(ソマリランド)の内実を詳細に解明するのは、未だ誰もできないほど、現状は動いているようだ。この著は一人のジャーナリストが己の肉体をさらして、ソマリア人に肉薄した希有のルポルタージュで、今後、組織的、国際的な解明調査分析作業が行われるときには第一に参照されるべき文献になるだろう。 本の雑誌社刊。
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    ノルウェーの女性作家カリン・フォッスムが1996年に発表した「湖のほとりで」は北欧5カ国を対象に、その年のもっとも優れたミステリに授与される<ガラスの鍵賞を>受賞している。日本では初のノルウェー・ミステリの登場であるが、カリン・フォッスムは ノルウェー人なら誰もが知っている"犯罪小説の女王" とのことだが、その評価を裏付ける本格派の本邦デビューである。先般、イタリア映画「湖のほとりで」が評判になったが、その原作である。
    ノルウェーのある小さな村の湖のほとりで女性が死体で発見される。その女性は村の誰もがよく知る、聡明、快活で申し分ないほど評判の良い少女アニーだった。死体には争ったような痕跡もなく、丁寧な配慮すら払われたかのような様子がより事件の謎を深めた。犯人は村人の誰かか、それとも行きずりの人間による犯行か。
    地元警察の初老のセーフル警部と若い相棒のスッカレのコンビが捜査に乗り出す。その方法はあくまでオーソドックスであり、地道に村人に聞いて回ること。そのなかから、運動神経抜群で美しいアニーがある時点から性格が変わり、明るさがなくなり、寡黙になったという証言が浮かび上がってくる。
    こうしたアニーの変化がこの犯行に深くそ関係していると判断したセーブルはアニーにまつわるさまざまな接点をもつ村人に尋問を繰り返す。アニーのボーイフレンド、ハルヴォールはアニーとは不釣合いに見える男子だが、彼の背景にも深い謎めいた闇のようなものが覆っている。さらに子供好きのアニーは村の子供たちの面倒を良く見る側面も持っていて、村人たちにも歓迎されていた。さらにダウン症の障害を抱えるライモンという男も気になる存在だ。そのほかにもさまざまな困難を抱えている村人が登場する。それぞれが貧困・暴力・病・夫婦関係などが複雑に絡み合う問題のようだ。
    なんといってもセーヘル警部の人物像が魅力的だ。冷静沈着で、ユーモアもあり、弱者に対する目配りが身についている。妻を亡くした喪失感を感じながらの捜索活動から読者はこの警部に次第に共感と信頼感を感じるようになっていく。そして北欧の小村の各家庭・家族が抱えている諸問題があぶりだされ、それらが誰にも普遍的で切実な問題となって迫るのだ。
    なかでもアニーのボーイフレンド、ハルヴォールが過ごしてきた過酷な幼年時代は胸に残るし、彼の苛烈な運命にも深い思いにとらわれる。そして読者はアニーとハルヴォールの関係にも新たな視点を要求されるようになる。ふたりはどうして惹かれあったのか。
    捜査過程で明かされるアニーにまつわる衝撃的事実はこの犯罪に関係しているのか。
    などなど読み進めていくなかで北欧の風土に潜む人間の結びつきが解かれていく。全体的にミステリーによる謎解きというより、ある村の人生・人間模様を綴った良質な小説を読んだ印象が強い。作者カリン・フォッスムの人間への洞察の視座が広く、深い。 アニーとハルヴォールの哀切な生に思いが残り、叙情的な気分にしばし浸るのである。
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    ○「富士日記」武田百合子著 中公文庫  昭和39年から昭和51年の期間にわたって、作家、武田泰淳との富士山麓での山荘生活の日々を書き記した全3巻の長大な日記。「ひかりごけ」「森と湖の祭り」などで知られる戦後文学の巨人、武田泰淳との半生を支えてきた百合子夫人が日常のあれこれを書きとめていくスタイルながら、底から浮かび上がってくるものはきわめて興味深い。ひとこともそれらしい言葉を発しなくとも、夫、泰淳への愛情、信頼、才能への心酔が根底に貫かれており、その上で、夫人の天衣無縫ぶりや、鋭敏な感性が、日記を勧めるうちに醸成されていく過程が読み取れ、稀有な2名の個性が生み出した豊穣な人生模様が偲ばれる。現在、上巻を読み終えただけだが、全巻終えたら、改めて記したい。
    ○「インド酔夢行」田村隆一著 講談社文芸文庫 詩人、田村隆一が1970年代に、インドへの2度の旅をした紀行文。この本の要諦はインド案内というのではなく、あくまでインドという存在をまるごと詩人田村隆一がどのような言語で表現しうるかという観点で読むことではないかと思う。そうした意味では、酒をこよなく愛した田村隆一の目は酔ってはおらず、覚醒した眼でインドに対しているのがすがすがしい。世界で一番美しい夕陽を見に、最南端のコモリン岬を、目指してデリーから南下する旅の模様が田村独特の表現で綴られる。全体としてはインドを見る田村の視座はインドの本質を捉えており、今読んでもその論点に古さを感じないのはさすがだ。混沌、汚濁、清浄、不浄の中にインド的なるもの、人間の原風景を探る旅紀行。
    ○いまいち本気で取り上げたいと思う映画に出会わないこの頃である。映画では「レ・ミゼラブル」に期待したが、思ったほどではなかった。ドラマの展開が分かりきっているせいもあるが、感情移入ができないままに、歌のオンパレードを聞かされた感じなのだ。各登場人物の造型が表面的で、説得力に乏しい。また「塀の中のジュリアス・シーザー」はタヴィアーニ兄弟監督で、ベルリン映画祭の最高賞受賞ときき、期待していたが、全く意外ながら退屈だったとしか言いようがない。宣伝文句にあるような、「刑務所自体がローマ帝国へと変貌し現実と虚構の境を越えていく」気配はなく、これなら普通に芝居で見たいものだと思ったのである。工夫はしているようだが、刑務所の中という閉鎖性が鬱陶しく感じられ、映画でやるなら、その特徴を生かして、思い切り架空の外界でのロケと塀の中の実写とのモンタージュによる変換などをすれば面白くなったのではないか。単に、実際の受刑者が演じるという意外性によりかかるところは余り好まない。
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    日本の芸能史をたどれば、歌舞伎・能・狂言・文楽をはじめとする古典芸能そして浪曲・万歳などから派生した民間芸能のほとんどは差別される側の人々によって生み出され、生きていくために、金に換える芸能として演じられてきた歴史である。
    本著は、こうした芸能者に関わる部分のみならず、河原ノ者、非人の発生・歴史的変遷や賎視される人々の職業にまで視野を拡大して、現近代においても存在する差別構造の実体を資料を読み取りつつ、中世にまで遡及するのである。
    日本中世史の偉大な先駆者は多いが、近年では網野善彦の業績が圧倒的に印象に残っている。「無縁・公界・楽―-日本中世の自由と平和」や「異形の王権」(いずれも平凡社)を読んだときの衝撃は今でも鮮やかに蘇る。
    農業民以外の非定住民として中世の職人や芸能者などの漂泊民に焦点をあてて、それまでの農耕民中心の均質的な日本列島のあり方に安住してきた日本歴史界に深刻な反省を迫る問題提起を行った。学者の文章をかくも興奮を感じながら読み終えたことはなかった。学術的な論文といえども、うちに宿るパッションは一般読者に届くことを証明した。
    服部英雄の「河原ノ者・非人・秀吉」も問題意識の設定や魅力的な各項目などに期待を持たせる内容が満載である。まず、タイトルが刺激的で、河原ノ者・非人という文字と秀吉の名前を結びつけたところがうまい。内容は歴史学の専門家を相手にした資料の読み込みを中心にしたものが多く、一般のものには若干煩雑で、読みにくいのは仕方ないか。
    しかしながら、第1章の「犬追物を演出した河原ノ者たち―――犬の馬場の背景」は興味深く、刺激的な内容に満ちている。中世武士の武芸、鍛錬のための犬追い競技には河原ノ者が参加し、欠かすことができない重要な存在だったという。犬の捕獲、操作、扱いに熟練した河原ノ者の存在なくしては犬追物はありえなかった。詳細に歴史的資料を探り、丹念に読み解いていく過程は説得力をもちながら、当時の河原ノ者のエネルギーと実力を伺わせる。
    その他、救ライ施設である非田院や非人宿の実体にも迫り、当時の凄惨な状況と不条理な世界の有り様明らかにしていく。
    またサンカという山の民の資料にも迫り、特に三角寛によるサンカ像の捏造批判など興味深い。三角が経営していた池袋人生座で働く人を被写体としてロケ地で撮影したサンカの写真記録は当時ほとんどの人々が真実だと思い込んだという驚きの記述もある。サンカだったひとびとを池袋人生座に雇っていたようだが、「再現写真」だったのだ。
    代2部の豊臣秀吉は少年期の賎の環境に注目して資料を読み込み、推論も交えて秀吉像を立ち上げている、当時の乞食村の存在や秀吉の義兄が鷹匠の飼育係りや鷹場保全係りに従事していたことを示す。鷹匠は賎視されないが、その周辺には賎の環境があったという。
    少年時代の生活ぶりから、路上生活者としてしか生きられなかった環境から猿まね芸で大道芸人として生きたことなど、史料からきわめて興味深い推論を展開する。
    服部英雄は歴史的j事象の判断においては、自分の立場を明白にする態度で一貫するのは分かりやすくて好感が持てる。たとえば、中世の遊女である白拍子への差別が存在したのかどうかという問題については、網野善彦は14世紀以前には白拍子への差別、賎視感はなかったと主張しているが、服部は網野の見解に疑問符をつけている。
    今尚、日本の社会構造の深層に宿る賎視感、差別意識は、一見、商業マスコミ、ジャーナリズムの世界からは隠されたものとして、見えにくいものになっているが、このような歴史家により執拗に検討が加えられていることは、なんとなくほっとしたものを感じずにはいられない。(山川出版社)
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    クロポトキンといえばプルードン、バクーニンという名前に並んで、無政府主義といわれるアナーキズムを学問的に構築しようとした革命家として名高い。しかし、この自伝的著書をみれば、彼は単なる革命家ではなく、地理学をはじめとして、様々な学問にも深く通じた学者・研究者であり、すぐれた文学者でもあったことがわかる。
    本著は全6部からなる大著だが、読み終わっての感慨は、大河小説を読んだ後の読後感に似ている。クロポトキンの名前を知らない者でも、一旦読み出せばその内容の起伏に富んだ展開にひかれて、いつのまにか、19世紀後半のロシアやヨーロッパのビビッドな人間群像や社会の有り様に強く引き込まれるに違いない。
    どの部分も面白さに満ちているが、第1部「幼年時代」が好きだ。みずみずしくも自然描写のディテールにまで思いを寄せる筆者の記憶力に驚き、誰しも胸に抱いている幼い頃の些細な日常や、父母、兄弟などとの会話への限りない郷愁に満ちた描写には胸が熱くなる。
    1842年モスクワの名門クロポトキン公爵の息子として生まれながら、クロポトキンは家父長的権威の象徴としての父親をはじめ肉親たちの姿を澄んだ視線で活写しながら、家に仕える多数の使用人・召使たち(農奴)への視線も曇りない視線を注ぐ。 農奴制が解体する過程の激動するロシアの社会を貴族の内側から物語った点も興味深い。当時の貴族の家がヨーロッパから招いた家庭教師に子弟を教育させる風習など、ロシアとヨーロッパとの関係性をうかがわせる。また、夏の季節に、一族郎党そろって田舎で生活する様子などは眼前に彷彿する。まるでニキータ・ミハルコフの数々の映画を想起するような豊穣なイメージが浮かぶ。
    そして特権階級のみが許されるペテルブルグ近習学校での寮生活や個性豊かな教師たちの姿などから当時のロシア貴族階級の有り様がうかがわれ、ロシア近代の懐のふかさを知る。その生活の中から、クロポトキン少年がロシア社会の根源的矛盾に目覚めていく過程も説得力がある。彼の読書内容も自然科学を中心として幅広く驚くべき高度なものだった。
    その後、最初の赴任地をシベリアを希望し、仲間たちや教師を呆気に取らせるが、地理学者としての彼なりの壮大な夢に裏付けられたものだった。シベリア時代の数次にわたる横断旅行や学術調査のいかに先駆的業績に満ちていることか。もちろん、シベリアの持つ負のイメージである、シベリア抑留や強制収容所や農奴制への言及も鋭い。兄アレクサンドルは弟をかばったために、シベリアに10年以上も流刑されて、自殺(?)している。
    以後の、サンクト・ペテルブルグ時代、初めてのヨ-ロッパ旅行、逮捕され要塞監獄での生活、脱獄、イギリス亡命。スイス、フランスでの活動のあと1917年祖国に帰りモスクワ郊外に定住して執筆活動後、1921年死去。
    めまぐるしく各地を転々としながら、苦難の中でも理性的で、明快に明日を信じて生きた奇跡がまぶしい。国際共産主義運動のなかのアナーキズムへの評価など様々な問題を越えて、彼が著した本著はすぐれた自叙伝文学として屹立している。そしてロシア的魂の最良の形がここに示されている。
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    井上ひさし前夫人、西舘好子による井上ひさしとの25年に及ぶ壮絶な生活回想記。とにかく一気に読ませる筆力はたいしたものだ。手馴れたプロの文筆家では出せない直裁な表現と鋭敏な直感力で、複雑に屈折している作家の心の内側を鮮明に浮かび上がらせた。
    元妻という視線で書き上げられた文章は好子氏側からの一方的な見解で、そうしたバイアスがかなりかかったものとして、割り引きながら読んでもやはり相当屈折したこころ模様である。しかしながら、ひさし氏が生きており、反論を書けば、180度違った様相を見せるかもしれない。
    井上ひさしは東北生まれ、強烈な個性を持つ母親マスから生まれ、孤児院へ入る複雑な出自を背景に抱き、好子は東京下町のかもじ職人の娘で、チャキチャキの江戸っ子というそれぞれが両極端のバックグラウンドを持つことから生じる亀裂は次第に修復不可能になっていく。
    井上ワールドは湿気のある情緒、義理人情を拒否する乾ききった笑いが底流にあり、好子が育った江戸情緒を伝える人情、抒情で繋がる人間関係を否定し、認めないところが出発点みたいなものだ。出会い当初からしばらくは互いにないものをもった相手に新鮮なものを感じながら、次第に相容れない互いの本質がぶつかり合う。
      別れる直接の原因と思われるひさし氏の好子氏への壮絶なDV行為は人間の業の深さを思わせ、暗澹とするし、そうしたデモーニッシュなものを抱えた内面のみが生み出すことが可能な作品群なのかと思うと文学とは何なのかと思う。一将功なりて万骨枯。
    しかしながら、読後は後味が悪くないのは何故なのか。好子氏のひさし氏を見る目は澄んでおり、雑念や不純な思いで曇っていないのが救いだ。どろどろした怨念のようなものが感じられない。
    芸術至上主義を貫くひさし氏と彼の遅筆から起こる経済的、道義的、世俗的な深刻な影響は各方面に及んでいる。(私も)仕事の中で、接点をもった人々も数人おり、当時を思い出しながらの感慨にもふけったのである。
    まず、五月舎の本田延三郎氏。 「井上さんの演劇界での恩人を挙げるとすれば、一も二もなく本田延三郎さんだ。彼の制作による演劇が、井上ひさしの演劇界での地位を決定付けたといっていい。」(235P) 本田氏が渋谷に創設される西武劇場(現パルコ劇場)のこけら落としの芝居に井上を起用しようとしたのだ。そして名作「藪原検校」が生まれた。このとき経緯は忘れたが、当時レコード会社のディレクターだった私にレコード化の話があり、本田さんにお会いした。本田さん直接から話があったのか、人を介してかは思い出せないが、本田さんの奥行きのある人柄はすぐに伝わった。当時の演劇界の巨人だった本田さんだが、そんなそぶりは少しも見せなかった。高橋長英、太地喜和子、財津一郎、演出が木村光一という目も眩むスタッフだった。そして音楽は井上さんの実兄、滋氏がギターの生演奏出演。
    その本田さんが痛烈に打撃を受けたのが、本著にも出てくる遅筆による「パズル」の上演中止事件。(1983年)これにより多大の負債を背負ったようである。
    人気作家、井上ひさしの芝居は、プロモーターや観賞団体などからはドル箱扱いで、日程が決まれば、公演依頼が殺到する。なんども初日の幕が開かない事件を起こしながらも、上演に至れば、圧倒的な動員を実現し、劇評も好評だ。幕が上がらない事件を何度も起こすひさし氏に、脚本がすべて出来上がってから、日程などを決めればいいと他人は思うが、彼はテーマを決めた脚本依頼があり、芝居の日程が決まらないと書く気が起こらないという癖をもつ。絶望的な状況に追い込まれないと、書けないという生癖は、人から見れば笑ってしまうが、当事者たちは地獄を見る。初日が数日後に迫っても、台本ができず、俳優たちは急に膨大なセリフが回ってきても、覚え切れなく、舞台上でさらしものになるのではないかという恐怖感に襲われ、降板を申し出るものも出る。
    小沢昭一さんもひさし氏とは浅からぬ縁があり、主謀劇団、芸能座で井上書き下ろし作品「浅草キヨシ伝」「しみじみ日本・乃木大将」「芭蕉通夜舟」を上演したが、どれも締め切りに間に合ってない。このときは小沢さんとの「日本の放浪芸シリーズ」直後のことでもあり、芸能座の芝居をレコード化する作業を通じて、井上さんの遅筆に翻弄される小沢さんはじめ芸能座スタッフの困惑振りを見ている。 読み物としても面白いが、直木賞受賞や大手出版社や文壇世界の不可思議な閉鎖世界は側面史として、文学界、演劇界、新劇界の裏面史としても貴重な資料である。(出版:牧野出版)
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    田中泯.jpgのサムネール画像

    「僕はずっと裸だった 前衛ダンサーの身体論」(工作舎)。
    稀代のダンサー、田中泯、初のエッセイ集であり、活目すべき身体論・舞踊論である。自らは舞踏家と呼ばれることを拒み、ダンサーと呼ばれることを望む。
    身体表現の起源を探る思いは悠久への憧憬に重なり、その古代的で始原的な匂いのダンスで、常に時代に衝撃を与えてきた。
    また、俳優としても「龍馬伝」や「たそがれ清兵衛」などの異様な迫力と実在感のあふれる演技はプロの俳優たちの手垢にまみれた演技術とは一線を画し、さらにナレーター、語り手としてもユニークな位置を占めている。
     ダンサー(身体表現家)でなければ見いだしえないカラダの微妙な感覚を丁寧に、様々な色合いで、繰り返し語り、手馴れた書き手、職業的な文筆家では決して表現しえないオドリの世界の真実に到達している。
    以前、彼を記録したドキュメンタリー映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」で書いた内容を再確認できたこともあり、新たに気づかされた視点も多い。
    田中泯の視点は、己のカラダの内側、内臓の内壁を凝視するかのような感覚でカラダからの微細な反応を受け止め、各器官が外の全世界・宇宙に通じていると認識することから始まり、そこからダンス表現について語るのである。
    例えば、ダンスについて
    「かろうじて立つ。この感じがぼくは大好きだ。」
    赤子がひとりで立ち上がったときの感覚に常にこだわりながら、
    「カラダは何物にも触れずに大気の中にいる。ひとりで立った、そのことに驚き、ふるえ、喜びの感情が生まれる・・」
    「思えば、僕が踊りにこだわり続けること、愛し続けることができるのは、生命の所在を希求する基調低音、赤子の一日、一日が横たわっているのだ、・・・」
    「・・・生きる動機が、現在よりも自然に近かったころのヒトの感情や感覚に、僕は常に憧れてきた童子のような者だ。オドリは誤りなく僕を古代に導いてくれる道標である。」
    胎児から赤子になる瞬間や歩き出す動作にダンスの本質が存在すると確信しているような表現だ。このことは田中泯のオドリの背骨になっていることはよく分かる。
    記憶については
    自分のこども時代の記憶のことを「私のこども」と呼び、
    「私はからだの中のさまざまに異なる速度にこだわり始めました。呼吸、脈、心拍、消化、発汗、排尿などなど自分で意識できない速度も含めて、からだは、とっても複雑な速度の混合で成りたち、その速度やリズムのどれ一つとっても、世界中が基準にしている速度『時間』とは、まったく一致しなのです。・・」
    70年代は世界中で裸体でダンスことから、「踊りを思考する」鍵を獲得し、80年代になり師、土方巽(ひじかたたつみ)に「泯さん、そろそろ服を着たら。君は充分に晒して生きてきたよ」と言葉をかけられるまで「裸だけが。私の衣装だった。」その土方巽は「舞踏とは、命がけで突っ立ている死体である」という言葉を残している。田中泯にとっては「土方巽は青春の王だ。」というほど憧れの対象である。土方巽は存在が舞踊そのものだった。田中泯はひそかに「私はダンスだ」という日々を夢見ているという。
    感情について
    「人間一人ひとりの、どんな些細な『感情』にも全世界が関係している」
    という意識でダンスする。「感情」というタイトルで踊る中で、それまでの裸体舞踊からイタリア兵の雨合羽を着るダンスへと変貌していった。1980年代初頭。
    風景について
    「人間は傲慢にも自分と風景とをまるで別物として扱っている。止めて見てはいないだろうか。人間が、事物の変化、多様な速度を無視して自分達の速度のみに没頭するようになったのはいつごろからなのだろう。」
    農業について
    田中泯は山梨の山地で農業をしており、ダンスと農業は両輪の輪のようだ。
    「僕の畑仕事場は、生産工場ではなく、創造工場、想像空間なのだ。カラダは全面的にその場に巻き込まれ引き込まれする。畝立てに疲労したカラダは、胸、肩、上腕そして手と、小さな振動がそこかしこに棲んでいるかのように感じ、心地よい。僕が参加して立って動いている大地と自然周囲が一緒になって作り出す『気分』だ。」
    田中泯のダンスを言葉で表現するのは難しい。美よりは醜、動よりは静、飛翔よりは沈潜を志向し、既成のオドリの概念をひっくり返す動きはどのような思考の中で生まれてきたのかを探るうえでは、田中泯が自らのダンスについて語る本著はオドリの本質を探る上でも見逃せない。
    そして、文章の端々からほとばしる幼時、子供時代の父母の思い出やカメラマンにして生涯の友、岡田正人とのふれあいの描写は情感にあふれ、漂う懐かしい哀感に胸を打たれる。
    ひたすらダンス論に徹底ししたこの書を読み終えて、田中泯の驚くべき鋭敏な感性にため息するように憧れるとともに、人間が古代以来本来備えていた鋭敏な五感の感覚を失ってきたかという喪失感をも味わうのである。
    本書は山梨日日新聞の連載(2007年~2009年の2年間)されたコラム「海やまのあいだ」の単行本化であり、盟友、岡田正人の写真が重要な位置を占めている。(出版社;工作舎)

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    若干27歳、恐るべき俊才の登場である。ほとんどが3.11以前に書き溜めた修士論文「戦後成長のエネルギー――原子力ムラの歴史社会学」であるが、日本人の精神構造の古層にまで思いを巡らせてくれる衝撃の書である。
    2011年3月11日の大震災と原発事故で日本の様相は一変し、その終息の兆しは見えない。現在、マスコミ、ジャーナリズムが流している情報にたいする懐疑も増大している。 本当のことは見えてこない。どうしてこのようなことが起こってしまったのかと皆こころの底で考えているが、答えは見えてこない。
    その震災後の事態の成り行きを見るにつけ、原子力ムラの成立過程とそこに暮らしてきたムラの住民たちの意識の流れというものはほとんど見えてこないのが現状である。
    この著を手にしてはじめて原子力ムラというものがいかに形成されてきたのか、そしてそこには住民の不変の「服従」する意思が存在してきたことを知らしめられるのである。
    福島県二葉町、大熊町、富岡町、楢葉町などムラのフツーの住民たちへの聞き取りという地味なフィールドワークを重ねることによって、なぜ原子力ムラが出来上がってきたのかを住民の視線から照射して鮮明に導き出した労作である。
    その根底には、日本社会の様相を分析するため従来から試みられてきた様々な手法にたいする著者の不信がある。ともすれば従来の学問的手法は革新/保守、抑圧/被抑圧、支配/被支配、加害/被害などの二項対立の思考の枠にはまり、予定調和的な結論へと進みがちであった。原発を対象としてなされてきた学術的研究やジャーナリズムも「抑圧」「変革」に帰結する構図に陥りがちだったのである。
    それを打破するために著者が取った方法がフィールドワークや地域調査という「虫」の目でアプローチする手法だった。それは中央からムラを見下ろす視線ではなく、ムラの側から地方や中央を見上げる姿勢に徹するアプローチであった。
    そうして日本の戦後成長における地方の服従の様相を明らかにすることから、原子力ムラの成立過程を分析したのである。そして著者が導き出した苦い結論。
    地方の住民たちの「自動的かつ自発的な服従」が歴史的に形成される過程こそが、原子力ムラの成立の過程そのものだという分析にいたるのである。
    原発の誘致運動以後、ムラは原子力に吸い寄せられるように、住民たちは農業から離れていった。そこには原子力への「信心」とでも言うべきものが形成されていたという。
    原子力ムラからの視点なくしては実相は見えてこない。3.11後、補章として、書かれた中に、
      「・・・・私たちは原子力を抱えるムラを『国土開発政策のもとで無理やり土地を取り上げられ危険なものを押し付けられて可哀相』と、あるいは『国の成長のため、地域の発展のために仕方ないんだ』と象徴化するだろう。しかし、実際にその地に行って感じたのは、そのような二項対立的な言説が捉えきれない、ある種の宗教的とも言っていいような『幸福』なあり様だった・・・」。
    この言葉がリアリティをもつことが、恐ろしい。福島を故郷とする著者の血の通った論考を経ずして今後の原子力ムラ、原発への発言はありえないものになるであろう。(青土社刊)

      
  • 「パゾリーニ詩集」~永遠の革新性

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    ピエル・パオロ・パゾリーニという名前ほど強烈なインパクトを与え続ける映画監督はいない。不可解な死後、35年が経つのに映画史を彩る「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」などの幾つかのシーンが折にふれて鮮明に蘇る。
    それは最近では「ヘブンズストーリー」「アンチクライスト」などを見ている時にパゾリーニのことを想起してしまうという具合である。人間の根源的諸問題をを突き詰めていくと、パゾリーニ的世界に突き当たる。永遠の革新性とでもいうべきか。
    そこにはキリストの十字架への磔を戦慄すべきリアルさで描いた「奇跡の丘」、父殺しなどギリシャ神話を思わせる「アポロンの地獄」、プリマ、マリア・カラスを起用し、日本の地唄などを使った「王女メディア」の様式美などでの映画体験が風化しないで持続している不思議さがある。パゾリーニ体験の強烈さがある。
     そのパゾリーニの詩集(「パゾリーニ詩集」四方田犬彦訳 みすず書房)がでた。四方田犬彦翻訳による日本だけで刊行された詩集のようだ。パゾリーニの過去の膨大な作品群から、四方田が独自の視点で編纂したアンソロジーともいえる。
    四方田犬彦のまえがきによれば、「畏友中上健次の死に始まった意気消沈から逃れるため、1993年にパゾリーニ詩集の翻訳を思い立った。」そのためボローニャ大学で研究生活を続け、ようやく刊行に至ったという。
     パゾリーニの詩人としての評価は以下のようである。少々、長いが同じくまえがきから引用する。
    「20世紀を代表するイタリア詩人はだれであったか?この問いがそれ以前の時代であるなら、中世はダンテ、ルネッサンスはアリオスト、ロマン主義時代はレオバルディ、と答えは決まっているのだが、この百年ではとなると諸家の間では意見が分かれるだろう。(中略)だがイタリアの民衆に一番近いところにあって、日常生活の卑小な悲しみから天下国家の行く末までのいっさいを射程に入れ、この国の言語的多元性、多層性を肯定的に取り上げるばかりか、ときに過激な実験に訴えつつも伝統的な韻律に忠実であった詩人は誰かといえば、それがピエル・パオロ・パゾリーニであることを否定する人はいないだろう。」
     日本においてはパゾリーニはゴダールなどと並んで、1960年代から70年代にかけて一世を風靡した映画監督としての印象が圧倒的に強いが、彼の実像は詩人にして小説家、戯曲家、批評家、理論家であり常に現実社会にたいして挑戦的な論争を仕掛ける知識人だった。
    彼の生涯において詩作が中心的所業であり、混沌、矛盾に満ちた現実世界を把握する方法のひとつが表現行為としての映画だったのだろう。彼が抱えていたであろう問題意識は余りにも多様で、複雑であり、のた打ち回るような懊悩に身もだえしながらの一生ではなかったか。
    異端、貧困、抑圧、醜聞、自由、芸術・・様々なテーマにわたるパゾリーニの真剣な思索の過程が明らかにされ、彼の映画つくりと照らし合わせ、その背景などを探る上で重要な資料でもある。
    翻訳詩集を読むということは、言葉の厳密なニュアンスを探る上で、翻訳者の力量にほとんど帰依しなければならない。その意味では四方田犬彦の立派な仕事に感謝しなければならないだろう。最後に好きになった詩をあげる。
    「ローマ1950」より
    ・・・・・・
    この十月に聖ルカの丘は
      どれほど涼しげなことか、
    円形競技場を上から覆う海の、その上で。
    あるいはトリエステの九月二十日通りで
    涼気を含んだ草花とか
    白く悲しげな橋桁とともに。
    ラジオから微かにタンゴが流れてくる、
    なにかの伴奏のように、絶望しきって
    蚊のなくような音で。ローマの
    祭りの輝きは忘れられた、ぼくの憂鬱は
    眠たげな眩暈の前に負ける・・・・
     

     

    新装版刊行「中国55の少数民族を訪ねて」

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    hakusuisya .jpg 1998年に刊行されてから、12年が過ぎたが、このたび新装版発売ということになった。この間、2007年と2009年の2度にわたり雲南地方に旅する機会があった。雲南省西北部を中心として居住するヌー族、リス族、ナシ族、ペー族、プミ族、チンポー族などの村々を巡ってきた。(これらはhp上にアップしてきた。)
    その後の彼ら少数民族の状況を肌で感じることができた旅であったが、この際の感想などを新装版のあとがきに加えた。2度の旅は当hpの同人、市橋雄二氏、中国取材時のスタッフ唐大堤氏が同行してくれたこともあり、1990年代前半の6年に及ぶ長い中国行脚を回想しながらの感傷旅行の趣も帯びたものになった。
    今改めて思うことは、1990年代前半にこの記録がなされたことの意義深さであり、時が過ぎるにつれて、その意味が明らかになっていくのではないかという予感である。 (市川捷護・市橋雄二 著 白水社 )
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    トルコに関する濃密な情報がぎっしり詰まったトルコ東部辺境のフィールドワーク紀行であるとともに心豊かなトルコの少数民族の人びとの苛酷な人生が語られ、それに寄り添う日本人言語学者との交流の記録でもある。
    著者は並外れたスケールの持ち主の、在仏が長い日本人言語学者である。小島剛一という名をはじめて知った浅学を恥じるのみである。1970年以来、トルコにのめりこむように、一貫してトルコの言語事情、民族問題とりわけ少数民族の言語研究にまい進してきた学者であるが、その過激なまでの行動力と情熱は学者の枠を遥かに超えている。ゴムぞうり履きでヒマラヤのトレッキングで6000メートル近辺まで登る体力の持ち主でもある。
    フランスに長年住むうちに身に付けたねばり強さ、たとえ強大な国家を敵に廻しても真実を伝えることを諦めない芯の強さで外交部、内務諜報機関などトルコの権力機構とわたりあう。保守的な旧弊から抜けていないトルコの言語学に絶望しながらも論戦を挑むことを止めない。
      いっぽうで苛酷な歴史を生きてきた弱小の少数民族のひとびとには限りない優しさと共感をよせ、少数民族言語の辞典を編纂し、ラズの民謡を採譜する。ラズ人の民謡集が完成すれば、トルコ東部を巡りながら、一冊一冊村人へ自ら届ける律儀な人間味の持ち主でもある。
    この本で特に参考になったこと。一つはクルド民族問題の本質がはじめて明らかになったこと。(少なくとも私にとって)かつてクルド人監督ユルマズ・ギュネイの「路」「群れ」などを見て、衝撃を受けた以来、意識的にクルド問題には関心をもってきたが、この本での言語学的な分析によりクルディスタン運動の将来まで見通せてしまうのである.。
     そして白眉は、相当な数になる少数民族の言語研究にまつわる話、事件のおもしろさである。東部の辺境の村々を訪ねて歩きながら、村人たちと交わす会話がとても生き生きとしていておもしろい。トルコ語のみならずいくつかの少数民族の言葉まで自由に駆使する日本人に出会う村人たちの驚愕の様子から、自分たちが味わってきた困難辛苦を語れることに涙する村人たちの境遇の苛酷さまで、一気に読ませる。
     トルコ政府の建前は「少数民族は存在しない。存在するのはトルコ人だけ。よって民族問題は存在しない。」ということ。こうしたトルコ政府の硬直した姿勢から生まれる少数民族への抑圧政策を著者はあらゆる機会を捉えて果敢に弾劾し続ける。
     己の思想的根拠の座標軸を「それぞれの民族は自由に己の言葉に誇りをもちながら話せる」ということに価値におくことで、そこから外れるものには、国家であれ、権威であれ、政治家であれ批判を止めない姿勢なのだ。こうしたことは日本人には理解しがたい事情だが、地球上には「民族と言語」の問題はその民族の存続をかけてまで、闘争するほど重大な問題なのだ。多民族国家は多い。
     著者が言語調査から導いた現状分析をトルコの役人たちに繰り返し説明する場面は、いかにこうした官僚機構に勤める人々を改心させることが困難かを実感させる。 専門性の高い少数民族の言語調査という行動が、いつしか少数民族の村の人々との長く、熱い交流になっていくドキュメントでもある。
       そしてトルコの諜報機関をはじめとする暗い組織との、手に汗にぎる心理戦が、サスペンス小説の様相をも帯びてくる。学者が陥りがちな言語研究の自己目的化に陥らずに、視座が常に少数民族の心に寄り添っているのが好ましい。
       ラスト。2度目の強制出国処分・国外追放でイスタンブール空港で出国を見張る少数民族出身の警察官との出会いから、彼らの著者にたいする呼び方が「お前」から「閣下」と変化する様子が感動的である。
     言語、民族、トルコに関心がない人でも一読すれば、止められなくなるような面白さに満ちた著である。
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    2000年に中国人作家としてはじめてノーベル文学賞を受賞したフランス国籍の作家、高行健(ガオ・シンヂェン)の代表作である。1940年江西省に生まれ、1970年から小説を発表しその才能を注目される。
    『霊山』の執筆を開始したのは1982年。翌年、北京人民芸術劇院が上演した彼の劇作『バス停』が当局の「精神汚染排除キャンペーン」によりモダニズムに汚染されているとして激しく批判される。これによって作品発表の場と自由を失った高行健は発表の当てのないままに、長江流域への取材旅行に出かける。北京人民芸術院の劇作家としての仕事を捨て、家族と離れザック背負っての一人旅だった。1983年から84年にかけて3回、おそらく2万キロを越える旅程だった。
    完成したのは1989年、出国後のパリにおいてであった。ノーベル文学賞は『霊山』を中心とする文学活動にたいして与えられた。
    『霊山』は小説ではあるが、きわめて破格の形式を取った異色の書である。まず作者の分身である「私」と「おまえ」という人称が章ごとに入れ替わる手法に面食らうが、かまわず読み進めるうちに自然に高行健の世界に引き入れられていく。都会の作家生活に疲れ果て、肺癌宣告と誤診の経験で死を身近に感じ、自己探求の一人旅に出かける。中国西南部のチャン族、イ族、ミャオ族などの少数民族の居住する辺境の奥地や長江流域を中心に、そこで遭遇する人びとの話や耳にする伝承などを求めてあてのない彷徨の旅を続けていく。
    全編が独白、対話、回想で叙述され、前後のストーリー性への脈絡はあまりない。 伝わる風俗習慣、民謡への興味、ダム建設などへの強い抗議、神話伝説への愛着、死後の世界への関心、仏教への関心、道教をめぐる関心、少数民族のシャーマニズム信仰などなどが織り交ぜられながら一人旅が続く。
      「究極の独白形式による徹底的な自己解剖の書」(本著翻訳者 飯塚 容の解説より)であり、高行健(ガオ・シンヂェン)の「独りごとは文学の原点」との信念が色濃く反映された作品である。
    多様性がこの小説の魅力であり、現実と空想を行き来する奔放さ、自由な飛躍そして死者の世界へ広がるシュールな展開がおもしろい。叙事詩的な文体から自由闊達な男女の会話など文体の多様性が意識的に組み合わされている。
    常識的なスタイルの小説とは大きくかけ離れる形式を意識してか、作品中で批評家を登場させ、「東洋にこんなでたらめなものはない。旅行記、伝聞、感想、筆記、小品、理論は言いがたい議論、寓言らしくない寓言、民謡の再録、それに神話とは程遠い粗雑な作り話が入り乱れている。これでも小説なのか」と自作をこき下ろしてみせる。 高行健は複眼的で抑制を効かせた視座にこだわり続ける。
     中国独特の深刻な政治をめぐる事件や因習にまつわる因縁話などが多いが、洗練された文体の故か、全体に乾いた印象を受ける読後感であった。
    個人的には四川省の山奥、長江支流の岷江流域に居住するチャン族の神話語りの古老、貴州省のイ族のシャーマン、ピモの儀式、ミャオ族の芦生舞などが、その風土とともに懐かしく思い出され、漢民族である高行健が彼らの神話性を帯びた習俗に魅了され、文学的衝動に駆られたことが、よく理解できた。
    1989年6月4日、出国後の中国で起こった「天安門事件」を契機に中国との決別を宣言。帰国の道は閉ざされている。1997年フランス国籍取得。

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    ■2009.1.13  みずみずしい感性と野生:ジプシー詩人、漂泊人生の物語――「ゾリ」(コラム・マッキャン著)
    ○本のページを繰るのももどかしく読み進めるという経験はそうそうあるものではないが、久しぶりにそうした思いに駆られた小説だ。
    「狭い河床にそって車を走らせていくと、ガラクタの数がだんだんふえてくる。大曲りになった河原にバケツがいくつかひっくりかえり、こわれた乳母車が雑草に埋もれ、ドラム缶がひからびたサビの舌を垂らし、イバラのやぶの真ん中に壊れた冷蔵庫が見える。・・・」
    この導入部はあるジャーナリストがゾリというジプシー(ロマ)の詩人の消息をたずねてジプシーの集落に入る際の記述だが、かつて私もロマの集落との境界を越えたときに感じた緊迫感を思い起こさせる適確な風景の表現だ。
    主人公ゾリは1930年代ファシズムが台頭してナチスの影におおわれていたスロヴァキア生まれのジプシーの少女。幌馬車で移動しながら漂泊の生活を信条とする非定住のジプシーに属する。
    6歳のときファシストの親衛隊に家族を皆殺しされ、ゾリと祖父だけが生き残り親戚たちと漂泊の旅を重ねる。それは街道筋の家々を物乞いの門付けをし、金品・食物を得る旅でもあった。ゾリはことばをつむぎだし、うたうことに関する特別な才能にめぐまれていた上、「資本論」が座右の書という型破りの祖父の影響もあり、ジプシーにとっては禁断の能力である文字を書き、読むという能力を身につける。
    「しかし、自分の指の先から新しいことばが生まれるのを目のあたりにして、彼女(ゾリ)は仰天した。そして指先から真新しい歌が、次から次へと生まれ出てくるようになったとき、ゾリは、ずっと昔から存在している歌の群れがなにかのはずみで自分のところにやってきているに違いないと考えた。」
    固有の文字を持たずに、口承伝承を旨とするロマニ語の世界に生きるものとしては、共同体の掟をやぶる存在であり、ジプシーとしてはきわめて異例な育ち方をしたのがゾリである。
     ゾリは14歳で老いたヴァイオリン弾きと結婚し、16歳のとき第二次世界大戦が終わり、ソヴィエトはスロヴァキアをナチスから解放した。戦後の共産党政権下、理想的なロマのプロレタリアートとしてまたたくまにその文学的才能に注目が集まり詩集を出版されるまでになる。しかしソヴィエト、スターリン政権の抑圧政策の影響下で、スロヴァキア政権の抑圧も強まる中、彼女の運命の歯車が回りだし、さらに「国民的ジプシー詩人」ゾリの文学的能力もジプシーの掟に反するとして、ロマ共同体から終生追放を宣告され、スロヴァキア、ハンガリー、イタリアへと苛酷な放浪・漂泊の一人旅がはじまる。そしてゾリの人生は大きく変転していく。
     この小説の最大の魅力は「ジプシー的なるもの」・・にたいする深い洞察力と豊富な取材に裏づけされた知見が鮮やかに語られている語り口のみごとさだろう。 ロマの生活の匂い・人間関係・家族・生きる信条・守られるべき掟・ケガレとはなにかなどなど、また河や山々、空,星、草木にたいする独特のとらえ方やこれらの自然と寄り添うロマの人生のありようが特有の警句・比喩・暗喩を交えて語られる。これらの語り口が実に心地よく胸に響くとともに、自然と寄り添う鋭敏な感覚をわれわれが喪失してしまったことを知らされる。
    劇的な運命を生きたゾリの物語の中でも、祖父ジージとの旅で語られる郷愁にみちた数々のエピソードは忘れがたいほど感動的であり、主人公ゾリのジプシー(ロマ)であるが故のみずみずしい感性と野生と意志力をそなえた人間像は実に魅力的である。
    「あたしたちは天井じゃなく空の下で暮らすようにできているんだ」という非定住の人生・生活への渇望・・・・これらのジプシー(ロマ)のひとびとの本質的な性向が通奏低音のように流れており、人間本来の自由な人生が困難になっている我々にあこがれとともに痛切な喪失感をもたらすのである。
    ○この本を読みながら、しきりにイザベラ・フォンセーカの「立ったまま埋めてくれ――ジプシーの旅と暮らし」という本を連想していたが、著者覚え書きにはっきりとこの著書に触発されたと明記してあるのを見て、納得した。(概説→アルメニア→インドとヨーロッパをつなぐキーワードへクリック)イザベラの著書は彼女がヨーロッパを縦断しながら、ジプシーの出自や旅の暮らしをヴィヴィッドに浮き彫りにしたルポルタージュの傑作である。
    コラム・マッキャン(Colum McCann )はジプシー(ロマ)ではないが、外の世界の人間としてバランスと抑制の効いた文体が力量の並々ならぬことを示している。心情的にジプシー(ロマ)に過度に傾斜しがちなテーマながら、語り手を変えながら物語をすすめることで普遍性を獲得している。また、栩木伸明氏の訳文もすばらしい。1965年アイルランドのタブリン生まれ。小説家を志してアメリカに渡り、北米大陸を自転車で放浪、その後テキサス大学で英文学を学ぶ。93年に来日、京都、九州で英語教師として働くかたわらアジア各国を旅する。94年からニューヨークで本格的に文筆活動をはじめる。2003年には「エスクァイア」誌の Writer of the Yearに選出。Zoli(2006)は 20カ国で出版予定。(著書の著者略歴参照) 「ゾリ」(コラム・マッキャン 著 栩木伸明 訳 )みすず書房 定価(本体3200円+税)

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    ■2008.8.25  藤原新也『日本浄土』と「イザベラ・バードの日本紀行」・・・日本列島『原風景』の130年後の変貌
    ○偶然が重なり、藤原新也の近刊「日本浄土」(東京書籍)「イザベラ・バードの日本紀行」(講談社)を併読することになった。
    イザベラ・バードは72年の生涯の多くを旅ですごし、いくつもの旅行記(「朝鮮紀行」など)を著したイギリスの女性で、彼女が日本にきたのは1878年、47歳のときだった。日本列島が江戸時代から明治維新をへて大変革を遂げている最中の東京、横浜などの都市だけではなく、東北や北海道、京都、伊勢神宮などを巡り、当時の日本人の文化・習俗・自然などを記した紀行記録である。
    印象深いのは近代化(欧化政策)を急ぐ都会だけでなく、列島の原風景を宿す東北・北海道・関西など地方の習俗・風景を活写している点である。北海道に渡ってアイヌの人々との交流を重ねながら、当時のアイヌ文化や習俗をひろく活写して広く知らしめた功績は大きい。侮蔑と愛情と敬意が入り混じった記述は全編に散見されるが、19世紀末という時代性の制約を考慮すべきだろう。西洋人の価値感、理解不可能な習俗に当惑し、時代背景に制約された侮蔑的表現などを超えて、全体を貫く旺盛な探求心・冒険心と苦難を乗り切る意志力は説得力を持つ。
    なによりもこの本の価値は、当時の日本列島がいかに豊かな自然に満ち、美しい風土だったか、そして当時の日本人がいかに無垢で優しい心根をもっていたかをしみじみと伝わえてくれることだ。異文化で育った異邦人イザベラ・バードの目を通してでも偏見・宗教観の相違を乗り越え見えてくる日本列島の風景と庶民がまぶしいほどの輝きを放つ。
    藤原新也の「日本浄土」は、(列島風景の不気味なまでの画一化、空洞化、疲弊、そして人の情の変化・・・など)のっぺらぼうになってしまった日本の街のなかから、なにか希望、光めいたものを求めてあてどなくさすらうような著者のゆらめくような呼吸が独特の読後感を残す。
    死屍累々の列島の片隅から「地味でありながら独自の呼吸をしている細部のそれぞれが,ひとつの集合体となった時、そこにもうひとつの日本が私の中で息を吹き返す。」ことを希求しながらの旅なのだ。島原、天草、門司港、柳井、尾道、能登、房総などを幼時の思い出などを交え訪ねるが、一日中歩いても、一枚の写真も撮れないほどのこの旅は藤原新也にとっては苛酷なものだったろう。
    「印度放浪」「西蔵放浪」などとは位相が違う今の日本列島の病理は表現者にとっては逆説的に手ごわい被写体なのだろう。
    イザベラ・バードが訪ね歩いた日本列島の美しい原風景から130年後の「風景」は藤原新也に「歩き続けることだけが希望であり 抵抗なのだ 歩行の速度の中でこそ、失われつつある風景の中に息をひそめるように呼吸をしている微細な命が見え隠れする」と言わしめるほど切迫した時代を反映するものなのだ。

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    「カラマーゾフの兄弟」の復活

    ■2008.3.25  「カラマーゾフの兄弟」の復活
    ○この世の中に身をおいていると虚偽、虚飾にあふれたことにふれたり、見たりしなければならないこともある。普通はそうしたものをやり過ごしたり、かわしたりしながら過ごしていくものである。しかしそうしているうちに身に付着した垢やおりの匂いが急に気になりやりきれない気持ちになる。
    突然、なにかホンモノに触れてみたくなり、直接、利害に関係のない大きい世界に身を置きたくなる。つまりバイアスの掛かった気持ち、不均衡な気分をリセットしたくなるのである。
    ドフトエフスキーを高校以来まったく久しぶりに読んだ。「地下室の手記」「貧しき人々」などには、強く心を揺さぶられたが、かれの底知れぬデモーニッシュな闇におそれを感じ、ツルゲーネフなど別の作家に移っていった。それ以来ドフトエフスキーはもう読むことはあるまいと思っていた。
    評判の「カラマーゾフの兄弟」の新訳(文庫5巻)である。やはり亀山郁夫の訳がみごとである。亀山があとがきで述べているように「いま、息をしているリズム」の日本語がみごとにドフトエフスキーの広大で深遠な世界をつむぎだしていく。楽な呼吸のままに文章がすっと体に入っていき、流れていくかのごとき文体である。
    19世紀の帝政ロシア時代のカラマーゾフ一族を描きながらも、抽出されるテーマは父殺しを軸にしながら、神の存在、信仰と教会、家族、男女の愛と嫉妬、友情などなどあらゆる根源的テーマを包含しつつ、壮大な物語が怒涛のように展開していく。
    登場人物たちのなんと魅力的なことか。主役から脇役にいたるまで、血肉あふれんばかりの人間そのものだ。人物の造型・彫琢は大胆にして細密。
    それぞれの性格は多様性に満ち溢れ、一面的な解釈をあざ笑うかのように、つぎつぎと読者の先入観・固定観念を打ち砕いていく。全体の構成から人物の造型すべてにポリフォニー(多声)性が貫徹して、複眼で微細を確かめつつ、俯瞰で全体を見透す目配りが行き届き人間存在の不可思議を徹底的に掘り下げつくす。
    一人一人が自在に吐き出すことばが多様性に富み、それぞれが反応しあい、響きあい、全体のポリフォニ-(多声)性を形成していく大交響曲そのものだ。
    思想・思弁小説にして、宗教小説、恋愛小説でもあり大ミステリ-小説でもある。固唾をのみながら読み進めるなかで味わう混沌とした気分はいつしか浄化されたものに変貌している。
    進路を失って、迷走をはじめた21世紀現代社会の混迷を待っていたかのように、「カラマーゾフの兄弟」は復活した。

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     ■2007.11.23  沖縄と中国少数民族の魂:佐藤優『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』を読んで
    ○佐藤優の『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)の文庫本が出たので読んだ。彼の作品で最初に読んだものは『獄中記』(岩波書店)だが、すべての面で第1級の記録文学だと思った。512日間の独房生活での読書と思索の日々の丹念な記録であるが、その記録性、客観性、分析力、説得力、論理のダイナミズムそして筆力の確かさなどに引き付けられて一気に読み終えた。なによりも読み物として面白かった。
    佐藤優は一審判決で執行猶予中の起訴休職外務事務官でもあるが、今や論壇の寵児の感がある。私はこの3年間、佐藤のものすごい表現エネルギーがどこからくるのか謎であったが、今回『国家の罠』を読んで、初めて分かったことがあった。
    それは彼が文庫本の長いあとがきのなかで「人間の生命は一つであるが、魂は複数ある」と記述した部分であった。鈴木宗男バッシングの嵐のなかでの逮捕、獄中生活、その後の様々な場面で、かつての盟友たちが態度を豹変し、検察側に迎合し、佐藤の犯罪を立証する側に協力をしていった苛酷な体験を経る。しかし佐藤はこうした人々に対してまったく腹が立たなかったこと、バッシング報道を垂れ流す新聞、雑誌の記者に対してもそうだったことを述べている。看守や友人たちから、なぜそれほど冷静でいられるのかを問われて、怒りは判断力を狂わせるからという計算があったことを認めながらも、それだけではない「何か」を求めて自省する中から「人間の生命は一つであるが、魂は複数ある」という自己認識にいたるのである。周辺の人々の変節も彼らの内部の別の魂が働いた結果と考えるのだ。
    彼はそれを自己のなかにある沖縄性が密接に関係しているという。沖縄には独特の人間観があり、一人の人間には魂が複数あり、それぞれの魂が個性をもっており、それぞれの生命を持つ。一人の人間は複数の魂に従って、いくつもの人生を送れる。複数の魂によって多元性が保障されているのだ。沖縄のユタ(霊媒師:在野の女性のシャーマン)は、人間の魂は六つあるといい、自分の実感にも合致するという。彼の母親は沖縄の久米島出身で戦時中の苛烈な体験を持つようだ。佐藤優の体の中にはウチナーンチュ(沖縄人/琉球人)の血が流れているのだ。
     そして佐藤は自らを省みて、己の魂をナショナリストとしての魂、知識人としての魂、キリスト教徒としての魂があるという。インテリジェンス(特殊情報活動)という国益上の仕事に従事するときはナショナリストとしての魂が活動し、モスクワや東京で大学の教鞭をとり、哲学書や神学書に向かうときは知識人としての魂が機能し、人生の岐路に立ったときはその選択をキリスト教徒としての魂を基準に行う。
    これらの魂の複数性を認識した瞬間から佐藤優は「猛烈に書きたい」意欲が生まれたという。表現エネルギーの噴出だった。
    ○彼の中の沖縄性を考えると、私にも納得できることが多い。かつてほぼ5年間にわたり中国の少数民族の民間芸能を取材した際、多くの少数民族の信仰は、生物、無機物を問わず、すべてのものに霊魂が存在するというアニミズム(精霊信仰)であり、シャーマンが村落共同体の中で一定の力を保持していたという事実を確認している。これら少数民族の霊魂、魂が複数存在するという精霊信仰は沖縄のユタの信仰、人間観と近縁性があり、強く繋がっていると思えてならない。沖縄、中国少数民族の世界には、それぞれの土地や人びとの真理に根ざした魂を認める寛容さ、多元性がうかがわれ、現代社会に見られる息苦しさ、閉塞感がないという共通性がある。
    雲南地方の北西部のヌー江沿いに奥深くさかのぼると、2000mを越える山岳斜面にへばりつくようにヌー族の村が点在する。1993年私が訪ねた村は戸数200弱、人口1000人足らずの村だったが、80パーセントがキリスト教を信仰していた。高地の村にも19世紀末に宣教師が入った結果だ。丸太で作った素朴な教会でヌー族の人々が、独特の伝統の地声発声で歌う賛美歌は民族固有の民間芸能を求めて訪ねた我々には複雑な感動を呼ぶものだった。キリスト文明と民族始原の音感覚との奇妙だが、魅力ある融合があった。そして、驚くべきことにはこの村にはシャーマンも存在したのである。シャーマンは実際に病気治療の儀式も行っていた。キリスト教とシャーマンの共生という不思議な現象に、私ははじめ戸惑いを感じたが、両者が小さな村に存在し、互いを侵食しないゆるやかな関係が働いていたように思う。正に人間に複数の魂を許容するおおらかさが存在していたということだろう。
    世の中はあるゆるものを、あらゆることを一つに統一しようとするグローバライゼーチョンの波に巻き込まれようとしている。
    佐藤優の厳密、俊敏な文章の運びのなかに息苦しさを感じることなく、安らぎさえ感じるのは人間の多元性、多様性を許容するおおらかさ、寛容さが全体に通底しているからだろう。
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       ○年末から2008年初頭にかけて15年ぶりに雲南省北西部のヌー江沿いの少数民族の村を訪ねるべく、準備中である。かつてはたどり着くまでに悪路、泥道の連続で悪戦苦闘をしたが、その後、この近辺はどのような変貌をとげているだろうか。あの教会はどうなっているのか。取材がうまくいけば、映像・音によるレポートができるかもしれない。
    ≪写真説明:(左)キリスト教会で賛美歌を歌うヌー族の人々 (中)山の中腹に立つ教会 (右)病気治療の儀式をするシャーマンの男性<左端>と病人の男性<青い服>、右は助手の男。いずれも雲南省ヌー江リス族自治州福貢県匹河郷・ラムトゥン村。1993.6.6 撮影 市川≫

    佐藤花那子さん

    ■2007.6.27  佐藤花那子さんのこと=
    スペイン在住のフラメンコ舞踊家。生きながらにして伝説の人、マヌエル・アグヘタ≪カンタオール(フラメンコの唄い手)。伝統的で純粋なフラメンコの最後にして最大の継承者。≫の妻でもある。彼女の著書「モーロ人は馬に乗って~アンダルシアで舞い、耕し、生きる」(解放出版社2004年)は、ヒターノ(ロマ・ジプシー)である夫のアグヘタとスペイン南部アンダルシア地方の最南端の町、チピオナで家畜や野菜を自給しながら過ごす日常そのものが如何にフラメンコに根を生やしているものかを実感させてくれる稀有の記録である。フラメンコを踊ることは生活そのものであるという彼女の確信、そしてヒターノの本質的な生き方や思考形式を時には過激ながら、したたかなユーモアも交えて語っている。この土地の苛酷な夏の生活など自然への視野も深い。そして自己を内省する目は意外に冷めている。とにかくロマ(ジプシー)の真情やフラメンコの真実を(文字を持たない)ヒターノの内側から彼らの心のヒダをめくるように伝えてくれる実に貴重な証言だと思う。ジプシーに関する著書という意味でも「立ったまま埋めてくれ」(イザベル・フォンセーカ くぼたのぞみ訳 青土社)と比肩しえるものだ。

    その佐藤花那子さんがその後の生活ぶりなどのエッセイをSPAZIO65号,66号に寄せている。これらのエッセイにも、さらに土地に根付いた生活からあふれ出るフラメンコへの透徹した洞察力と日本にいる老いた母への思いが交差しており切ない。そして、彼女のフラメンコ舞踏家としての姿勢や夫、マヌエル・アグヘタの肉体化されたフラメンコへの記憶(3日間唄いつづけても同じ歌詞を繰り返すことは絶対にない)について語っている。文字を持たないが、その頭脳のなかには膨大なフラメンコの歌詞が整然とはいっており、それらはヒターノの歴史を物語る図書館でもある。
    昨年マドリッドに行った際、滅多に見られない豪華メンバーでのライブがあり、アグヘタはトリで出演していたのだが、どうしようもないスケジュールの都合でアグヘタの唄を聞けなかったことが今でも心残りである。

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    雑誌「コヨーテ」

    ■2007.6.26  雑誌「コヨーテ」19号は特集インド<ジプシーの旅立ち~タール沙漠を彷徨う>である。この雑誌は藤原新也が「日本浄土」という連載を始めているので、気にはなっていたが、いずれ単行本になってからと思っている。特集の中にはCD「ジプシーのうたを求めて~沙漠に生きる漂泊の芸人たち(ビクター)や拙著「ジプシーの来た道」(白水社)が紹介されている。

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