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20年ぶりに雲南省西北部の独龍江へ

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    1990年代に55の中国少数民族の芸能をビデオで記録する仕事をしていた。そのときに一番心残りだったことは、独龍(トールン)族の居住地に入れなかったことだった。怒(ヌー)江にトールン江が合流する地点の町、貢山まではなんとか行けたのだが、そこから更に100キロトールン江を遡り、ミャンマー国境地帯に居住するトールン族の村には、雪解けによる山道の崩落の危険性により断念したのだった。代わりにトールン族が開拓地として移住していた小査拉村を取材したわけである。以来20年が過ぎ取材当時からのスタッフ、唐大堤さんと一緒にトールン江奥地に入ることになった。20年間の間に、3〜4千メートルの山々に通じる山道は舗装も進み、新たなトンネルも一応貫通したばかりのようだ。幸運にも恵まれ、行きは順調にいったのだが、帰路は山崩れなどに遭遇して危険な目にも会った。 訪ねたトールンの里は中国の経済的発展と開発の波をまともに受けており、隔世の感が深かった。

    独龍江最深部に入る〜雲南省西北部2014・6

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    11月下旬の1週間ほどイタリアのボローニャ周辺を回った。ボローニャに滞在しながら、ちょくちょく周辺の町へ出かける旅だった。

    映画に関心があるものには、ボローニャは映像の保存と修復の施設「チネテカ」のある町としても有名だ。ピエル・パオロ・パゾリーニの生まれた町でもある。パゾリーニは日本では映画監督として名高いが、イタリアでは、その死にさいして親友であったモラヴィアが「今世紀後半にイタリア語で書いた最大の詩人」と評したほど詩人として名高い存在である。その詩集を日本語ではじめて翻訳した四方田犬彦氏が、研究のため滞在したのがボローニャである。

    よく知られるように世界最初の大学であるボローニャ大学があり、パゾリーニもここの学生であった。古都であり、イタリア共産党の根拠地でもあり、質の高い工業都市でもある。文化的にも豊穣な土壌を持つ。

    このようにイタリアでも質の高い都市基盤をもつボローニャで、最近のユーロ圏の金融危機がどの程度垣間見えるのかーーー単なる旅人にどのように写るのか。

    長年にわたって蓄積されてきたインフラ資本はさすがに分厚く、その重厚な歴史的遺産をはじめとして町の景観は絵画的ですらある。そして学生の町であるせいか、若者の姿が多く、華やかで、活気に満ちているところが他の多くの古都と違った様相を呈している。

    それでも名物のアーケード(ポルティコ)の壁や柱には落書きが多く、ちょっとすさんだ感じも漂う。街頭のデモにも数回出合った。これらの光景は経済的宿弊の表れなのだろうか。

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    眼にしたテレビジョンは新しい首相の動向を追い、ドイツやフランスの首脳たちの動向に神経を尖らせている内容が多いようだ。折りしもクリスマスシーズンに入り、町にはアシネッリ塔などのライトアップがはじまり、表面上は華やかな街中の飾りつけが目立つのである。

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    若狭、丹後、丹波への旅~2011年6月

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    6月の梅雨の合間をふって、若狭湾を一周、丹後半島から丹波、篠山などをめぐってきた。なかなか行程的には行き難いところだが、若狭の寺の秘仏が公開されるというので、3日間の仏めぐりだった。

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      福井県高浜の中山寺から若狭湾を望む。この寺には馬頭観音が33年ぶりにご開帳になった。しかし若狭湾には高浜原発が存在する。こうした泣けるような絶景の過疎の地に原発があるのは日本列島の現実だ。

    bighashi.jpg  宮津にある天橋立の橋。折りしも砂を運ぶ運搬船が通るため、橋が回転して舟を通すシーンに遭遇した。近辺ではアサリ漁をする小船が多く、食堂などで提供されるアサリ丼で出されるようだ。

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     宮津から丹後山地を南にくだり兵庫県丹波山地にある名刹、達身寺。平安から鎌倉時代にかけての大小さまざまの仏像百余体が祀られている。痛んだものも多いが、そのなかから重文財や県文化財の指定をうけた約29体収蔵庫に収められている。木彫の阿弥陀如来坐像、十一面観音坐像など見事なものだった。言い伝えでは、織田信長に攻められ、廃墟と化したが、その中からかろうじて残った仏像を村人たちが大切に守ってきたという。丹波の山中にひっそりある寺にこうした見事な仏像が存在する。日本の仏教美術の奥深さを実感する。

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    ぐっと南にくだり羽曳野市の野中寺(やちうじ)。山門に張られたお達し!

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    ちょうど縁日だった。なかなかの賑わいで地元の信仰を集めている様子が伺える。  

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    ご詠歌が地元の婦人たちによりうたわれ,踊られていた。bigjigoku.jpg

    山門の中にひっそりとしまわれていた地獄図。庶民信仰の貴重な資料だろう。

     

     

     

     

     

     

     

     

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    大震災の影響で観光客がめっきり減った奈良へ行って来た。どこに行っても人が少なく、こんな光景ははじめてのことだろう。境内の石塔、石仏群が眼に沁みた。

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    中国最南西部の庶民料理

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    2009年から2010年初頭にかけて旅した中国南西部,剣川、大理、蘭坪、保山、瑞麗などを巡った際に、食した料理の数々をレポートする。特別、高価で、豪華なよそ行きの料理ではなく、一般庶民が日常的に利用している食堂や屋台の庶民の味である。現地で食堂を探すときには、なるべく当地の人々に尋ねて、現地で人気があるところは優先的に選んだ。総じていえることは、この地域も他の地域と同様、きわめて豊かで、多彩な食文化を有していることである。味付けも我々、日本の味付けになれたものにでも、適している。詳細写真ギャラリーへ。

    2009年秋の奈良古寺巡り

    11月17日から3日間奈良へ仏像を中心に見てまわった。浄瑠璃寺(京都)、新薬師寺、当麻寺、法隆寺など。初日は雨交じり、2日目は曇り、3日目は小春日和と、それぞれの空模様のなかを歩いた。京都に比べて奈良の良いところは、ひなびた風情がなんとも心地よい。来年は遷都1300年で前宣伝が華やかだが、あまり派手派手しくしないほうが奈良らしくていい。ギャラリー参照。

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    高野山の無縁仏~2009夏

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    ●高野山に行くたびに空海の並外れた構想力を実感させられる。あの山全体が発信するすべての要素の集積が空海の密教なのだろう。広大な墓地には古今の歴史上の武将・偉人から最近の企業人、民間人たちまでが祀られているが、この地に祀られて一番ふさわしいのは無縁の仏たちに違いない。

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    ラージャスターン州ジャイサルメールへの旅

    ■2009.3.01  インド、ラージャスターン州ジャイサルメールへの旅
    ギャラリページ更新。

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    ■2008.1.11  中国雲南省西北最深部・怒(ヌー)江地域への旅
    ○15年ぶりに中国雲南省を旅した。雲南省は25にも及ぶ少数民族が居住(中国全土では55の少数民族が公認されている)し、多彩な少数民族の文化を内包する中国南部の省であり、当時、たびたび訪れた地である。1991年から6年間にわたり、ビクターと中国民族音像出版社の日中合作で中国全土に居住している55少数民族の村を訪ねてその民族特有の音楽・踊り・習俗などを映像記録としてまとめる気の長い仕事をしたが、今回の雲南行はそれ以来の再訪である。
    1990年代初期からの5-6年間、中国周縁部の辺境地域をほぼくまなく旅した時期は中国が北京・上海などの大都会を中心にしてすさまじい変貌を遂げていく初期の時期と一致する。特に都会の変化のスピードはめまぐるしいほど速く、1年ぶりに訪れると様相が変わっていることはよくある経験だった。
    2000年以降も北京・上海などはたびたび訪れてその驚異的な変貌ぶりは目撃しているが、この変化が周縁辺境地域の経済はもとより多彩な少数民族の文化・習俗にどのような影響を及ぼしているのか、そして環境問題の実情はどうなのかについてはあまり詳細な報道はない。ただ、大都会地域と地方との経済格差はかなり深刻だという一般論が流布されている。
    とにかく中国全土は日本の25倍の広大な面積を有し、漢民族が肥沃な国土のほとんどに居住し、少数民族はやせた土地、自然環境が苛酷な辺境地域に散在しているのである。道路事情は劣悪で、電気・水・住居など社会的インフラも遅れている。少なくとも私が1990年代に目にした状況は厳しいものだった。
    しかしながら、日本の標準から見れば貧しい生活をしている少数民族の村々はある意味で豊かな生活だった。家族の結びつき、多彩な習慣・習俗、楽しい祭り・行事の数々、自然に帰依するやさしいまなざしなど人間が生きている実感がくっきり感じられ、生活の基本形がはっきり目に見えた。これらは何ものにも勝る人生の宝だとしみじみ思った。
    15年ぶりの雲南への旅に向けての私の関心は、こうした辺境の地域がどのような変貌を遂げているのか、それとも旧態依然そのものなのか、民族固有のうたや踊りや習俗は変貌しているのかということだった。地球上を多い尽くすかのようなグローバルゼイション、画一化の大波、「地球温暖化」と「環境問題」の影は少数民族の村々に及んでいるか。これらのことを旅のなかで考えることによって今後の中国の姿、はては地球の未来像が浮かび上がってくるのではないか。
    旅の同行者は市橋雄二氏(当HP同人)と唐大堤氏(アートディーラー)を含む6名である。市橋氏は当時のスタッフでプロデューサー、唐大堤氏も中国取材当時のスタッフですべての取材のコーディネーションを担当し全行程を踏破した経験を有する。2名の強力なサポートがあってはじめて可能になった今回の取材である。
    取材地に怒(ヌー)江地域の踏破を選択したのは、全取材地のなかでも強烈な印象を残し、半ば挫折した経験がある地域で、それだけ思い入れが深かったということだろう。当時、最深部までの道路事情は最悪で、道なき道を行くという行程の厳しさに戸惑いながらも、狭い山道から遥か見下ろす怒(ヌー)江の息を呑むような絶景に何度息を呑んだことだろう。奥地に住むというトールン族に出会えるのか、さまざまな不安、期待を抱えての当時の旅だった。
    それから15年が過ぎたが、道路事情はどう変化したのか。唐さんがいろいろ現地に問い合わせてみたが、少しは良くなっているらしい。確かな情報はないままの出発となった。
    ハードスケジュールの旅中には実に様々なことが起こった。未だ頭の中は整理し切れていない。取材した内容を検証していくなかで、何かが見えてくればと思う。追々、HP上のギャラリー・紀行・ビデオ・オーディオ(できればDVD化も)に逐次アップしていくべく準備中である。また、今回は雲南の最南端シーサンパンナ州の景洪(チンホン)周辺も歩いたのでその情報も加えていく。

    イタリア

    ■2007.3.20  13日からフィレンツェ。ここにもジプシーは多かった。広場ではルーマニア?からのジプシーバンドが街頭ショーをしていた。

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