舞踊の最近のブログ記事

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    場内が暗転し漆黒の闇に包まれる。「今晩は、田中泯です。」と田中泯の声がする。今夜のステージは、音楽が付かない無音のステージになると言い、「自然に行きましょう。携帯も切らなくていいでしょう。いや、やはり切りましょう。ぶつぶつ不満や、おならなどはいいですよ。自然にね。では準備しますので・・」と肩が凝らない空気の中で、ダンスが始まった。
    明るくなった舞台に、2メートル余の一本の角材の端を頭で支えている田中がいる。ぼろ切れ風長襦袢をまとい、長い間、角材を支え続ける。不動でありながら、足の指、ふくらはぎは微妙にけいれんのように震えている。シジフォスの神話や大震災・・・が脳裏をよぎる。
    2メートル四方の舞台の上とその周囲、そして打ちっぱなしのコンクリート壁など、ダンスするスペースは限られており、狭い場内のどこからでも田中の呼吸が手に取るように迫ってくる。こうした空間にどのように身体が反応するか、身を委ねているかにみえる。時折、間のように思える瞬間があり、素の田中岷が垣間見える。角材を離れて自在に身体を反応させる田中流のダンスに安堵の空気が漂う。壁に向かい合う身体運動では額が壁にごつんと当たる音が生々しい。
    1時間余で田中自身の「ありがとうございました」という言葉で終了。
    舞台に正座した田中はplan-Bのステージで踊り続けてきた至福の思いを述べ、ダンスすることの喜びを語り、農業する生活を語りながら、その中から生産したお茶や梅酒をうれしそうに紹介した。会場で販売されており、農業者としての顔を覗かせながら、彼のダンスの重要な要素に土、土壌、地面、地球というものが介在していることを確信させた。照明 田中あみ。
    2014年9月18日 会場:plan-B にて。
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    ■2009.5.17  

    カルベリヤ・ダンスにも通じる文化的連鎖::ベリーダンス・スーパースターズ東京公演(2009.5.15五反田ゆうぽうとホール)
    ●18時半の開場に合わせてコンサート会場に着くと、すでに入り口付近から大勢の人々でごった返していた。ロビーでダンス用の衣装や小物を売る物販コーナーには女性たちが群がり、CDやDVDを即売する人が人の多さにつられて大きな掛け声を上げている。もともと週末の土曜日と日曜日に予定されていた3回の公演が満席となり、急遽決まった特別追加公演において、このにぎやかさである。席がほぼ埋まっていたので、会場のキャパから考えて1500人は来場していたのではないだろうか。観客は30代から40代の女性が中心と見受けられた。ベリーダンスがブームとは言え、このような大きな会場を埋め尽くすまでの広がりがあるとはなんとも驚きである。
     ベリーダンス・スーパースターズはアメリカ発のベリーダンスチームである。それ以外の予備知識はなく、とにかく次々と繰り出されるステージ上の踊りに集中した。おへそを出した形の華やかな衣装でステージ上を舞い踊るメンバー総出のイントロダクションに続いて、中近東の代表的な太鼓ダラブッカの奏者が登場して軽快なリズムを披露、ジプシーブラスのメロディーが流れる中、フロントダンサーがソロダンスを踊る。そして、アラブ古典音楽の弦楽器カーヌーン(台形の薄い共鳴箱の上に78本の弦を張り、爪をはめた指で弾いて鳴らす)の流麗なメロディーに合わせて6人のダンサーが踊るオーセンティックなベリーダンス。このあたりまでは、ベリーダンス・スーパースターズという名前が示す通りの内容だった。
    その後、ラップ音楽やドラム&ベースのビートの利いたクラブサウンドに合わせたトライバル・ダンスからトルコの民俗的なラインダンスをモチーフにした踊りまでバリエーションの幅が広がっていく。2部に入るとクラシック・バレエやポリネシアン・ダンスとのフュージョンダンスまでが登場し、その大胆でトライアルなレパートリーには度肝を抜かれた。踊りがしばらく続くと、唯一ダラブッカの生演奏で伴奏するパーカッショニストが舞台そでから人なつっこい表情で現れて、観客とのコールアンドレスポンスで会場の雰囲気を盛り上げる。
    総勢15名のこのチームは、エキゾチシズムあふれるベリーダンスを軸に世界各地のダンスの要素を取り込み、新しいダンスの魅力を作り出そうとしているのだ。ベリーダンスを<中近東の民族舞踊>から解き放ち、イマジネーションあふれる創作ダンスに仕上げたことで多くの新しいファンを引き付けることに成功したのだろう。一方で、ステージ終盤に9/8拍子の変拍子とともに、ダンサーがダラブッカを立てて、そのわずか直径30センチ程度の鼓面に乗ってからだを360度回すややアクロバティックな踊りも登場し、ローカルな土着性へのこだわりも匂わせる。
    ベリーダンスのルーツのひとつにジプシー(ロマ)の踊りがあると言われている。素早い回転と腰の細かな振りは、インド・ラージャスターンのカルベリヤ・ダンスにも通じていて、一連の文化的連鎖を感じずにはいられない。(市橋雄二)

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    ■2009.4.15  地底からの響き・・・・舞踊家・田中泯のナレーション・・・・
    ●12日にNHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」という番組を見た。
     アマゾンの最深部に1万年以上、独自の文化・風習を守り続けているヤノマミ族を150日間同居し、記録したものだ。「森の中、女だけの出産、胎児の胎盤を森に吊るす儀礼、2ヶ月以上続く祝祭、森の精霊が憑依し集団トランス状態で行われるシャーマニズム、集団でのサル狩り、深夜突然始まる男女の踊り、大らかな性、白蟻に食させることで天上に送る埋葬...。そこには、私たちの内なる記憶が呼び覚まされるような世界があった。」(NHKのHPの紹介文から)
    ドキュメンタリーとしては情緒的、技術的なカット変わりが気になったが、何よりも被写体の事実の重さが強く印象に残る佳作だった。
    だが、私にとっては、この作品は舞踊家・田中泯のナレーションのすばらしさによって今後記憶されるものになったのである。導入部のスタッフタイトルを見過ごし、何の予備知識もなく見ていて、すぐにこのナレーションは誰なのかと気になり始めた。
    抑制をきかせながらも、熱い思いがにじみ出る語り口にはいわゆる手馴れたプロの巧者の味わいとは違い、共感に裏づけられた思いがみなぎっていた。それは静謐さと緊迫感が入り混じり、地上を這いずるような語り口だった。
    視聴者に語りかけるような親和的なものではなく、宇宙に向かって地底からつぶやくような姿勢がうかがえ、ヤノマミの民が語り部に変身したかのような語り口だった。番組途中から何故か田中泯の声だと確信したが、それはなんの根拠もなく、ただ地底からの響きのような感触・手触りは田中泯の舞踊から受けるものと同一だったからであった。

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    舞踊家、田中泯のこと

    ■2007.7.02  田中泯の踊りを追った映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ」を見て=
    舞踊家、田中泯がインドネシア諸島を巡ってのダンス・ロード・ムービー。ドキュメンタリー映画としてみれば、様々な異論がでるだろうが、田中泯の踊りに関してはとても理解ができ、共感できる内容だった。
    ずいぶん前(80年代)になるが、大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ頌」を見たときが、舞踏なるものとの初遭遇だった。80歳を越えた晩年の大野は深い皺の顔面を白塗り、真っ赤な口紅、フラメンコ風の衣装という異様な様だったが、踊り始めると魔法のごとく女そのものに変貌し、踊りからは香り高い歌謡性が漂っていたのを思い出す。(女型といえば、唐十郎の状況劇場にいた四谷シモンも妖艶だった。)映画「たそがれ清兵衛」のラストシーンで、田中泯は亡き子どもの遺骨をかじり、最期の決闘にいたるが、その殺陣は彼の踊りそのものであった。
    いわゆる<舞踏>というものが、欧米のバレエをはじめとするダンスシーンに衝撃を与えはじめてから、大分経つが、その余波は続いている。田中泯はまさしく土方巽の流れを受け継ぐ舞踊家である。土方巽は日本の舞踏の始原とも言うべき舞踊家で、暗黒舞踏といわれた表現形式を確立し、その影響力はジャンルを超えて、、文学、美術、哲学、演劇、音楽の分野にまで及んだ。
    「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」という土方の言葉は衝撃的な至言だ。土方は東北地方の大地に密着し、生への肯定・昇華ではなく、死へ向かう身体のあり方、滅亡・衰退する身体に美を見出し、そこから踊りを生み出す画期的メソードを確立した。その土方からから幾多の踊り手が派生したのである。
    そして田中泯である。バレエが跳躍、回転運動など身体が舞台から浮くことに躊躇しないのに対し、田中泯の身体はまさに正反対の動きが基本だ。バレエなどの基本メソードは静から動へ、あるいは動きをさらにダイナミックにする動きの転換・加速による昇華・カタルシスのダイナミズムに向かうが、田中泯の踊りは逆ベクトルを志向し、あくまで身体が沈潜することに執拗にこだわる。徹底的な下方指向である。それはあたかも大地に横たわる身体が地下から湧き出るエネルギーを待ち受け、そこから必然的に身体が反応し、動きだすのを気長に待つというイメージが強烈だ。
    彼が山梨に住み、農業をしながら、踊ることを続けているというよりも、むしろ農業と踊りが一体化している生き方が伺える。映画の舞台がインドネシアの農民・農作業が中心であることは必然だろう。
    インドネシアの島々の農道を歩く様は足の指、足首、膝、股関節、肩、首までが滑らかではなく、ギシギシと音が聞こえるかのように屈折感がある。もちろん歩いているのではなく、踊っているのだ。村人がすれ違い、耕耘機がエンジン音をたてて過ぎていく。村の中に入り、村人が見守る中で、踊り、耕し、田を植えそして子どもたちと泥を投げ合う。すべてが踊りともいえるような光景だ。しかしながらその光景には田園風景の自然や子ども時代への記憶が懐旧としてあるのではなく、滅び去ってしまった自然、回復できない記憶への渇仰があるように思える。
    海をただながめたり、舟の舳先に突っ立ち、風を切るシーンや横たわるポーズ、あるいは背中を地につけて、両手両足を昆虫のように屈曲させるイメージには、田中泯が動けない姿に魅力を感じており、その中にも踊りの美が存在するという独特の視点がある。動けないイメージは死、胎児のイメージに連なり、師、土方巽の本質に連なる。
    バリ島に渡ってからの踊りはそれまでの形とは幾分違い、観光客も交じり、ガムランを伴奏としながらのミニ公演のシーンだった。ガムランの速射砲のような連打音には彼なりの動きで応え、決めのポーズはバリダンスのポーズで決める。このシーンは、観客を前にしたときの踊りと、村のなかで、道端で、水辺で踊りたくなったら勝手に踊るという踊りのシーンとの決定的な違いがあり重要である。田中泯はこれから勝手に踊る方向に向かうような予感がする。
    人間は食って、排泄して、眠ることからは逃れられず、その基本形を踏まえずに高邁な思想も、様々な芸術・芸能の行為は成立しないということを改めて思う。

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