公演ライブ(音楽・演劇・ダンス他)評の最近のブログ記事

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    何とも言いようがないほど馬鹿馬鹿しくて、安っぽくみえるのだが、噴出力が強烈で、意外性がふんだんに散りばめられており、いつしか芝居に入り込み、感情移入し始め、笑ってしまうしか無い芝居である。ズレ感覚で押しまくる迫力が突出しており、吉本の漫才を思い起こさせるが、それより毒が刺激的だ。マッドマックス的小屋掛け芝居といえばいいか。
    団地に住む父と母と娘(ミチカ)の所に、一年前、川で息子カンタロウを亡くした隣人、原市子が訪ねてくる。ある日スーパーで、ミチカが「カンタロウ君がよく遊びにくるよ」と原市子に話してしまったからだ。息子の好物の「シベリア」という菓子をもって現れたのだ。しかし。ミチカにしかカンタロウは見えない。悩む母。以後、ストーリーは、見えないはずのカンタロウが現れ、憑依現象によりミチカが空中遊泳をはじめ、支離滅裂な展開を見せる。筋立てを追うのもしんどくなり、繰り返されるズレた会話の噴出に身を委ねる。意味を無意味化する意図か。
    ミチカが元喫茶店店主に憑依され、次々とミチカの母にめちゃくちゃな要求を繰り出すあたりは、漫才的ボケとツッコミ、振り回されるミチカ人形に翻弄され、右往左往のしっちゃかめっちゃか運動会の様相を呈する。最後はミチカの父が鬼の形相で亡霊たちを退治してめでたし?となる。
    芝居の筋を追ってもあまり意味は無く、次々繰り広げられる意外性、言葉の連射、ズレたやり取りの世界に快感を感じとる。
    ムーブ町屋という100人くらいで満員になるスペースが熱く反応していた。出演者のなかではカンタロウ君役の川崎麻里子がすっとぼけた味で面白い。
    エッジの効いた芝居とはこういうのを言うのか。町屋の小空間で、こうした演劇が続いているのは嬉しいことで、観客たちの感性も含めて、日本も捨てたものではないのである。 作・演出 鎌田順也。
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    浪曲タイフーンvol.5と称する浪花節の会を見た。玉川奈々福が企画し、春野恵子とシリーズで開催してきたイベントだ。
    春野恵子は「電波少年」のケイコ先生などを経て2003年以降浪曲師の道に入った。最近はテレビなどのドキュメントでアメリカ公演の模様などは知っていたが、生の舞台を見たのは初めてだ。
      玉川奈々福は彼女が筑摩の編集者時代に縁があり、浪花節をやっていたのは知っていたが、舞台を見る機会がなかった。
    異色の経歴の二人が、面倒な理屈を飛び越えて、浪花節に心酔している様子が気持ちよく伝わる会であり、これほど華やいだ空気に包まれた浪花節が存在することに正直びっくり。
    二人とも華があり、舞台映えがするのが強い。一部のバラエティでは浪曲漫才風な掛け合い。奈々福の三味線が効果的に客を盛り上げる。明晰さとユーモアに富んだやり取りは楽しく、テンポ良い疾走感が心地よい。
    2部はそれぞれ持ちネタを20数分ずつ演じた。春野の明るい芸風、奈々福の節回し、身振りの決まる心地よさなどなどフシの魅力に時間を忘れたのである。特に玉川奈々福の充実ぶり、芸人としての存在感、三味線の腕前が強い印象に残った。そして奈々福の曲師・沢村豊子の練達の三味線、特に音色の美しさにも聞き惚れた。
    フシの魅力とは、人の感情に直に訴えてくる力で、理屈を越えて心に届く。そこに身を委ねる快感が浪花節の醍醐味だ。
    いつからか浪曲が芸能史上の過去の遺物扱いされだして、マスメディアに乗りづらくなっているが、フシと啖呵と三味線で物語を紡いでいく浪花節は日本芸能史・語り芸のメインストリームから外せないばかりでなく、現在のお笑いテレビ芸、演歌歌謡曲などに多大な影響を与えてきた語り芸で、日本人の意識の襞に今なお脈々として流れている血液みたいなものである。
    こうした浪花節の魅力を知らしめんと励んでいる彼女たち、浪曲師を心から支持する。これからも見続けていきたい。2014年9月20日亀戸カメリアホールにて。
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    場内が暗転し漆黒の闇に包まれる。「今晩は、田中泯です。」と田中泯の声がする。今夜のステージは、音楽が付かない無音のステージになると言い、「自然に行きましょう。携帯も切らなくていいでしょう。いや、やはり切りましょう。ぶつぶつ不満や、おならなどはいいですよ。自然にね。では準備しますので・・」と肩が凝らない空気の中で、ダンスが始まった。
    明るくなった舞台に、2メートル余の一本の角材の端を頭で支えている田中がいる。ぼろ切れ風長襦袢をまとい、長い間、角材を支え続ける。不動でありながら、足の指、ふくらはぎは微妙にけいれんのように震えている。シジフォスの神話や大震災・・・が脳裏をよぎる。
    2メートル四方の舞台の上とその周囲、そして打ちっぱなしのコンクリート壁など、ダンスするスペースは限られており、狭い場内のどこからでも田中の呼吸が手に取るように迫ってくる。こうした空間にどのように身体が反応するか、身を委ねているかにみえる。時折、間のように思える瞬間があり、素の田中岷が垣間見える。角材を離れて自在に身体を反応させる田中流のダンスに安堵の空気が漂う。壁に向かい合う身体運動では額が壁にごつんと当たる音が生々しい。
    1時間余で田中自身の「ありがとうございました」という言葉で終了。
    舞台に正座した田中はplan-Bのステージで踊り続けてきた至福の思いを述べ、ダンスすることの喜びを語り、農業する生活を語りながら、その中から生産したお茶や梅酒をうれしそうに紹介した。会場で販売されており、農業者としての顔を覗かせながら、彼のダンスの重要な要素に土、土壌、地面、地球というものが介在していることを確信させた。照明 田中あみ。
    2014年9月18日 会場:plan-B にて。
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    田中泯は肩書きを舞踏(家)と呼ばれることを好まず、ダンサーもしくは舞踊家と称している。まさに田中の言う「名付けようもないダンス」が5月18日のつくばの夜に展開された。
    身体の根源的な動きを探りつつ、肉体の内発的な衝動に従い、呼吸の営みや研ぎ澄まされた全身感覚が瞬間、瞬間に毛穴から噴出する情動に身を委ねるかのように田中泯はダンスする。その動きにはどれ一つとして反復がなく、既成の美しいとされる決めポーズからはずれており、屈折感に満ちている。この夜は演奏が緊迫した、疾走感の強いものだったから、田中のダンスも切迫感に富んだものだった。驚くべきは田中の肉体の柔軟さ、強靭さで70歳に近い身体ではない。
    とにかく彼のダンスからは従来の既成の、常識的な美的感覚、運動感覚か提示してきた意味や解釈を無意味化、解体し、新たな地平を切り開くエネルギーを感じる。不思議なことに2時間弱に及んだ田中のダンスの動きが人間の身体運動としてとてもナチュラルで、理にかなうものと納得してしまうのである。クラシックバレエのような空に舞い上がる指向、大地からの跳躍する方向ではなく、地底からの声に反応するかのような身体運動が人間と地球との関係性を象徴するようだ。
    このステージは「ブレス・パッセージ2014」として公演され、当日のパンフ(bigtory 大木雄高)によると
    「世界の異形の達人たちの出会い」として韓国サックスの至宝 姜泰煥(カン・テファン) (山下洋輔、大友良英などとの共演多い)、異能のドラマーで近年俳優としても個性発揮の中村達也二に加え、「あまちゃん」以来ブレークした大友良英を迎えた豪華メンバーと田中泯との共演だった。
    2008年ツアー以来、田中泯が参加し、2009年以降高橋悠治、田中、大友、土取利行ら圧倒的なメンバーと回を重ねつつ、いつしか 「ブレス・パッセージ」は田中泯を巡る達人たちの共演に変容していったという。
    演奏トリオの裂帛の気合いに満ち満ちたアヴァンギャルドなプレイはこれだけで十分成立する音楽的達成に満ちていた。即興演奏に加えて、奏者同士と田中との息詰まるような掛け合いが、さらに新たな劇的興奮を醸し出し、場内に緊張感が漲る希有な時間だった。
       きりっとしたたたずまいと異形の相を変幻自在に繰り出す田中泯のダンスをこれからも見続けていきたいと切に思った夜だった。(2014・5・18 つくばカピオホール)
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    現在注目を浴びる1985年生まれの劇作家、藤田貴大が、沖縄のひめゆり部隊をモチーフにした今日マチ子の漫画「cocoon」(秋田書店)を舞台化した。
    今の日本が抱える最大の矛盾の根源でもある苛酷な歴史的事実を、戦争体験から遥か遠い地点にいる20代の若者が何を掬い上げるのか注目した。
    結果は沖縄の少女たちを通して人間の生きる希望とは何か・・・という地平にまで視座が届いただけでなくエモーショナルな演劇的感動に溢れた舞台だった。
     始まりは少女たちが生活する全寮制の学校で多感な少女たちの活気溢れる日常会話の洪水にさらされる。セリフが早口で発声が割れて聞き取りにくくなかなか芝居に入れない思いがする。だが、象徴するシーンのリフレインを別の角度から見せる映画的手法に馴れだすとにわかに不明だったセリフの意味が分かりだし、舞台に一気に入り込めたのである。
    彼女たちが看護部隊としてガマ(防空壕として利用された洞窟)に入ってからの劇的展開は圧倒的な迫力で息をつかせないほどだ。日常生活で繰り返されてきた言葉が、リフレイン(反復)される意味合いが徐々に悲劇性と象徴性を濃くしていく。そして独特な身体表現と相まって刮目すべき劇的空間が展開する。銃弾が少女の手足を貫通するシーンのリフレインを始めとして、その情動的な身体表現は勅使河原三郎の体を舞台に投げ出すようなうごきを想起させるのである。
    空虚なプロパガンダの言葉をいっさい交えずに、ただ沖縄の少女たちの多感な心象風景(記憶)を反復することによって 残酷無慈悲な戦争の実相を我々に突きつけたのだ。
    この沖縄戦をとらえた芝居を満席の圧倒的多数を占めた2〜30代の女性たちが息をのみながら見つめたということは、記憶したい出来事だった。
    バンド、クラムボンの原田郁子による音楽も心に残る。
    なお、演劇団体名「マームとジプシー」の意味はインタビュー記事などによれば、マームは「母体」という意味合いで、最初から固定された俳優・スタッフをつくる体制ではなく、藤田が母体となり、人から人へ、様々な人と関わりながら「ジプシー(放浪)」するように作品をつくり伝えていくスタイルを表現したものだという。
    インドから西へのジプシーの拡散は、放浪しながら訪れた先々で、その土地の伝承、文化をどん欲に取り入れながら、生きるための雑芸能などでサバイバルしていったという歴史で、まさに「マームとジプシー」の今後を暗示しているようだ。8月16日 東京芸術劇場 シアターイースト
  • 小沢昭一:芸の精髄~「唐来参和」DVD化

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    ozawa.jpgのサムネール画像 引退のための興行として1983年から2000年まで延べ660回の公演を重ねた小沢昭一の代表的な演目である。ひとり語りの形式をとりながらも、従来のひとり芝居とは趣を異にする、いかにも小沢昭一がたどり着いた芸風を明らかにした芝居だ。
    井上ひさしの「戯作者銘々伝」のなかの一篇、「唐来参和」を読み下す異色の芝居である。
    構成は2つに分かれており、1部は小沢の漫談フリートークとでも言うしかない独特な味わいを持つ。吉原にまつわるさまざまな事象や歴史的、風俗的変遷や成立事情を巧みに展開しつつ、2部への予備知識やヒントをさりげなく散りばめていく。このくだりの運びは話芸的にも表現手法的にも絶妙で、時事の話題を交えながら一気に客席の心を掴んでいく。
    吉原誕生の裏話や新旧吉原への指摘、吉原細見(吉原情報誌)、洒落本,黄表紙、戯作者などから井上ひさしの「戯作者銘々伝」に至り、いよいよ本筋に入るのであるが、扮装の変化や舞台美術の設定まで手際よく進む。ここまでが50分という長大な枕である。単なる導入部というより、これ一本で十分お金が取れる名人寄席芸だ。
    話は、今は、しんこ指つくりに身をやつす老婆の回想である。かつて彼女は加藤源蔵という男の嫁であったが、亭主の性癖で2度までも郭に売り飛ばされ、苦界に身を沈めるという境遇を味わった。男は、酒が入ると、おかしくなり人の意見の逆を行くという癖がある。胸の奥のからくり、仕掛けが自分でもわからない、気まぐれいっぱいの性格の持ち主なのである。一時は唐来参和という戯作者で名を成すほどだった男もやがて落ちぶれ果てて、ついにかつての恋女房に遭遇するのだが・・・。
    小沢昭一が演じる源蔵と女房の発する言葉や身のこなしからは江戸時代に生きた人間の体臭や息遣いが生々しいほどに伝わるのだが、小沢の仕掛けは複雑で奥深い。悲しくて,可笑しい振る舞いや言葉のやり取りに思わず笑うが、その笑いにはすぐさま冷や水がかけられる。ひとつの感情に浸されておれないのだ。ゆすぶられるように、さまざまな虚実皮膜の表現に引きずり回される。江戸の薄幸の女に感情移入していると、いつのまにかギャグに見舞われるといった具合。
    しかしながら、最後には人間の不条理な運命に熱い共感を滲ませながら、泣き笑いの悲喜劇は完結する。人間の内奥に潜むデモーニッシュな存在に圧倒されながら、深い劇的感動に身を浸す。なにか凄いものを見てしまったという思いにとらわれるのである。
    最後に本DVDに寄せられたと二人の文章を一部紹介する。
    「名人たちの芸は古来よりどのような構造を持ち、どのような手練手管で実行されてきたかの、これは一瞬も見逃せない教科書である。だから芸人はみな観なければならない。」(いとうせいこう氏)
    「幼いころから慣れ親しんできた落語、講談、浪花節に加えて、万歳、浄瑠璃、説教節から紙芝居やからくり、大道香具師の口上にいたる、ありとあらゆるこの国の話芸を内臓した、小沢昭一の役者的教養に裏打ちされたものなのだ。」(矢野誠一氏)
    矢野氏の文章には、小沢さんの畏友ともいうべき演出家、早野寿郎氏の小沢さんとの関係が触れられている。重要な視点であり、敬服。
    解説書が充実してるのも嬉しい。
    いとうせいこう、矢野誠一の書き下ろしを始め、公演パンフレットより再録した小沢昭一、井上ひさし、長与孝子の文章が載っており、親切な編集だ。
    しかも全660回の公演日付、主催団体、会場、ステージ数そして観客動員数が載った上演記録が載っており資料的価値も高い。
    追記:この作品のビデオ編集の思い出。編集に際しては小沢さんの注文はクローズアップはできるだけ避けて、舞台全体を見せるロングカットを多用するようにとのことだった。 しかし今、改めて見てみるとアップで見る表情がなつかしく、小沢さんの絶頂期の表情が確認できて嬉しいのである。在りし日の姿を見るのが、つらいのでなかなかDVDを観られなかったが、観はじめると、いつのまにか、見入ってしまっていた。
    DVDはビクターより発売中。
    小沢昭一の 唐来参和
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    パキスタンの歌手が歌うと聞いて、7月17日、東京・渋谷にあるBunkamuraオーチャードホールに足を運んだ。本コンサートは第1回東京[無形文化]祭の海外企画の一つとして<パキスタンの歌姫サナム・マールヴィー スーフィー・ソングを歌う>と題しておこなわれたものである。
    サナムはパキスタン南東部シンド州の出身で、イスラム教徒である。イスラム教のなかでも民間信仰的な、神との合一こそが最高の宗教的境地とする神秘主義(スーフィズム)の伝統を保持している。シンド州はインドのラージャスターン州と国境を接し、同州西部のジャイサルメール地方とは文化的にも連続する地域である。ラージャスターンのこのあたりは2001年に同人主宰の市川捷護氏とともに訪れ、職業音楽家マンガニヤールや漂泊芸能者ジョーギーの音楽についてフィールドワークをおこなったこともあって、人一倍思い入れがある。また、同地域からは2007年に<ムサーフィル>、2010年には<ラージャスターン・ルーツ>いう音楽芸能集団が来日公演をおこなって、多くの観客を魅了してきた。
    さて、今回のコンサートはドールと呼ばれる大型の両面太鼓の軽快なリズムで幕を開けた。火箸のお化けのようなリズム楽器チムターがジャンジャンと囃し立て、興が乗ってくると太鼓奏者は首から吊るした大きな太鼓を持ちながら回転を始め、遠心力を利用してどんどん回転の速度を上げていく。この地域の信仰である聖者崇拝の宗教儀礼ではこうしたリズムを延々と繰り返し、次第に神との合一という恍惚の境地へと人々をいざなうのだという。プログラムは一部がスーフィズムの音楽、二部が地方の民謡という構成で進められた。2番目に登場したのはアルゴーザーという二管の縦笛。二本ある管のうち一本は通奏低音を奏で、もう一本で旋律を吹く。インド音楽でおなじみの二個一対の太鼓タブラーとドールが伴奏をする。アルゴーザーの通奏低音は途切れることがなく鳴り続けている。実は通奏低音用の管は息継ぎなしのノンブレスで演奏され、一人二役の鍛錬が必要な難しい楽器なのである。そして、3番目にメインのサナム・マールヴィーが登場。ハルモニウム、タブラー、横笛バーンスリーが伴奏する。つやのある伸びやかな歌声が会場いっぱいに広がる。
    スーフィズムの歌といえば、日本でもファンの多い故ヌスラット・アリ・ハーンとそのグループの功績によって世界的に有名になった<カッワーリー>という集団歌謡があるが、サナムは中世の神秘主義詩人が詠んだ詩をセミクラシックの音楽伴奏で歌う<スーフィアナ・カラーム>というスタイルの歌手である。ここでは詳しく取り上げることができないが、神秘詩は男女の恋愛に模して崇拝する聖者に対する熱烈な愛情を歌い上げる。ヌスラットが観客を徐々に乗せていく躍動感に満ちたパフォーマンスを得意とするのに対して、サナムは言葉を大事にしながら詩句をじっくりと歌い聞かせる。一部で4曲歌ったが、言葉を解しない日本の観客にはその違いがわからず単調に感じられたかも知れない。詩の世界を観客に伝える工夫があればさらに楽しめるステージになったのではないだろうか。一方でバーンスリーの牧歌的な響が日本の民謡を聞くような懐かしい感情を掻き立ててくれた。
    二部は民謡を中心に展開され、チャルメラ風のダブルリード<シャーナイ>も登場して、賑やかな感じになった。最後に演奏者全員が登場し、「ダマーダム・マスト・カランダル」の合唱となり大団円を迎えた。「ダマーダム」はヌスラットやラージャスターンのマンガニヤールたちも好んで取り上げるレパートリーで日本でも人気の曲だ。サナムもこの曲では、会場の手拍子を誘うなど積極的なステージングを見せ、場内は大いに盛り上がった。サナムは観客だけでなく、伴奏の太鼓奏者にも「ナウバト・バジャーエ(もっと太鼓を鳴らして)!」などと発破をかけて盛り上げていた。
    今回のステージは、全体として歌い手(演奏者)と観客との間に心理的な距離感があったようにみえた。日本人にとってはイスラム神秘主義思想にもとづく宗教心の発露としての歌を身近に感じようとしても難しい面がある。サナムには詩を歌い聞かせることこそが真骨頂であるにもかかわらず、その歌詞がストレートに伝わらないもどかしさがあったことだろう。今回は東京会場のみの一回公演ということもあって、観に行けなかった人も多いはずだ。観た人もそうでない人も本稿を読んでいただいた方には、インターネットを利用してさらに知見を広めることをお勧めする。スーフィズムについても日本語で多くの情報が入手できる。動画投稿サイトで「sanam marvi」と検索すると、エレクトリックバンドを従えてモダンなパフォーマンスを見せるサナムやこのジャンルの先駆者アービダ・パルヴィーン(Abida Parveen)の歌など様々な関連映像を見ることができる。いずれにしても、パキスタンの音楽文化の新しい側面が初めて本邦に紹介されたことの意義は大きい。
    (市橋雄二/2012.7.21)
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    3年ぶりの最新アルバム「真夜中の動物園」リリースを機に行われている中島みゆきのコンサートに久しぶりに行った。「夜会」シリーズの初期の数回を見て以来だから、ほぼ20年ぶりの生ステージだ。この間、彼女のCDはほぼすべて聞いてきたが、やはり生の舞台でみる中島みゆきはすばらしい。
    選曲もよかった。最新アルバム「真夜中の動物園」から4曲、そして「二隻の舟」「しあわせ芝居」「nobody is right」「時代」「悪女」「たかが愛」などを交えて全部で17曲。
     特に「二隻の舟」「時代」は名曲の誉れ高いが、実際に生で目にする機会は滅多にないと思われたので望外の幸せだった。特に「二隻の舟」は「夜会」のステージで初めて聞いて以来、CDで聞くたびに、あのドラマチックな表現に感嘆し続けてきただけに感無量だった。
     すべての曲に満足したのだが、この夜の最大の聞きどころは新曲「鷹の歌」(「真夜中の動物園」に収録)だったのではないか。
     「あなたは杖をついて ゆっくりと歩いてきた 見てはいけないようで 私の視線はたじろいた・・・・」とただならぬ気配の詞章からはじまり、鷹と呼ばれていた人のまなざしに勇気、永遠、道程そして希望を見いだすという内容だ。
    中島みゆき独特の抽象と具体、夢と現実の間を自在に行き来しながら劇的高揚感のなかに「生きること」の意味を問い続ける姿勢を打ち出した表現世界である。新たな名曲の誕生であろう。
    中島みゆきは今や単なる歌手という存在を遥かに越えた地平にいるような気がする。その詩(詞)の文学性・革新性、微妙な繊細さと爆発的な激情を自在に駆使する歌唱力、舞台での演技力等々・・・その訴求力の強さから考えても現代日本のシャーマンのような存在ではないかと思ったりするのだ。何故か「女王 卑弥呼」を連想する。
     ラストは「時代」で締め、 アンコールは「悪女」、「たかが愛」(「パラダイス・カフェ」より)という構成。ほぼ満足したコンサートだったが、「歌姫」を聞ければ・・・ということは贅沢というものだろう。 11月25日 東京国際フォーラム ホールA。
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    8月3日から2日連続で、すみだ川アートプロジェクト連携プログラム、ロビーコンサート×Super July!!: TALK & DEMONSTRATION「放浪芸をめぐる旅‐インド~アルメニア~日本」と第113回アサヒビールロビーコンサート「小沢昭一が語る、夢のすみだ川‐第1部‐インドの芸能集団、ラジャスタン・ルーツのスペシャル・ライブ‐第2部‐」というイベントが東京・浅草のアサヒビール本社ビルで行われ、インドのラージャスターンの音楽芸能集団<ラジャスタン・ルーツ>が来日し2度の公演をおこなった。
    「放浪芸をめぐる旅」ではサラーム海上さんの司会で本HP主宰の市川捷護さんがゲスト出演した。ジプシーとの交流を求めて訪ねたインドとアルメニアへの旅と放浪芸についての話は、日本にジプシーがやってきていたらどうなっていたか、や今の世界にジプシーの人々の生き方が訴えかけているものとは、などのテーマにも及び熱のこもったトークが繰り広げられた。ここでは<ラジャスタン・ルーツ>の公演について感じたことを少々まとめておくことにしたい。
    近年の世界、特にヨーロッパの音楽シーンの中で、決して派手さはないが、じわじわとその評判が広がりつつあるのが、インドの北西部、パキスタン国境に位置するラージャスターン州のローカルな伝統音楽である。かつて流行したエスニック・ミュージックやワールド・ミュージックといったジャンルや単なる異国趣味を超えたところで生きたエンタテインメントとしてコアな音楽ファンだけではなく幅広い聴衆を魅了している。この流れを受けて、3年前には同地域から<ムサーフィル>という音楽芸能集団が来日公演を行っている。
    ラージャスターンの伝統音楽の魅力については、その時のコンサート評でも触れているので併せてご覧いただければと思うが、一言で言えば「プロの芸人による本物の芸能の持つパワー」ということになろうか。<ラジャスタン・ルーツ>はそうした魅力を世界に広める伝道師ともいうべき音楽家集団で、2006年にラージャスターン州都ジャイプルで活動を開始した。ラージャスターン州とその周辺地域から各地の伝統音楽の担い手である楽士や踊り手200人あまりが参加しているそうで、インド国内をはじめヨーロッパを中心に海外公演を積極的に行っている。派遣メンバーは公演の内容やスケジュールなどに応じて柔軟にその都度編成される。今回の来日メンバーは、男性の楽士6人、女性の踊り手4人の10人編成だ。
    <ラジャスタン・ルーツ>のステージは、口琴(モールチャング)やラージャスターン独自の一弦楽器バパング、二枚の板を両手にそれぞれ握って鳴らすカスタネット(カルタール)といった珍しい楽器のソロ、賑やかな合奏、厳かな曲調の宗教歌、女性たちのアクロバティックな踊りなどバランスよく構成されていて、それぞれについてバンドリーダーがインド英語の訛りのない発音の平易な英語で解説を加えながら進行した。3年前に見た<ムサーフィル>が泥臭い力強さを有していたのに対してとても洗練された美しさを感じた。もちろん、樽型の両面太鼓ドーラクが打ち鳴らす強力なビートは体を貫かんばかりで、そのノリは変わらないのだが。
    圧巻はアンコールで演奏した「ダマーダム・マスト・カランダル」という、今日ではパキスタン領のスィンド地方からインドのラージャスターンにかけての一帯で伝承される遊行の聖者ラール・シャーバーズ・カランダルを讃える歌。歌が進むうちに次第に高揚感が高まり、聴いているものをもある種の恍惚状態にいざなう、そんな歌である。カッワーリの大御所でかつて何度も来日公演を行った故ヌスラット・ファテ・アリ・カーンが歌ったこともあり、日本人の間でもファンが多いと知って、この曲を最後にもってくるという心憎いステージングを見せてくれた。二日目の会場を埋め尽くした観客は、小沢昭一さんの講演とセットであったこともあって年齢層が高めで、多くの方にとって初めて聞く音楽であったと思うが、おそらくそのステージには誰しもが圧倒され、魅了されたのではないだろうか。人々の表情からは生きるエネルギーを与えられたかのような満足感が感じられた。
    実は、今回の来日メンバーの中のカルタール奏者クトゥレー・カーンさんとは10年ぶりの再会になる。2001年、市川さんとラージャスターン州のジャイサルメールを訪ねた際に初めて出会い、われわれのレコーディングに協力してくれて、若いながらも見事な演奏をみせてくれた。当時はまだあどけなさの残る17才の若者だった。人懐っこいところもあって自宅にまで招いてくれたのだった。久しぶりに会ったクトゥレーは恰幅もよく、立派な口ひげを蓄え、すっかり大人びた姿になっていて、まぶしいばかり。しかし、話していくうちに当時の感覚がもどってきて、10年ぶりの再会を喜びあった。クトゥレーは、ジャイサルメールで会ったときに幼い子供たちを集めて歌や楽器を教えていた姿が印象的で、今やこうして世界に自らの音楽を広める役割を担っていることも彼にはふさわしい。ここ5、6年で40カ国を回ったという。今や二児の父親になったクトゥレー。奥さんや子供が寂しがっているのではと訊くと、はにかんだ表情を見せながら、その目はこれが今の自分の仕事だと言わんばかりに自信に満ちていた。(市橋雄二)
    写真は8月3日の公演。

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    1.放浪芸をめぐる旅 インド~アルメニア~日本(8月3日) アサヒビールの「すみだ川アートプロジェクト連携プログラム」の一環としてミニライブセット。よろず風物ライター&DJ&和光大学ぱいでいあ講師のサラーム海上さんと私(市川捷護)とのトークショー(1部)。そしてインド大道芸楽団「ラジャスタン・ルーツ」のライブ(2部)。開場までのあいだはDVD「小沢昭一の新日本の放浪芸~訪ねて韓国・インドまで」の一部を上映。以下その要旨。
    『放浪芸をめぐる旅 インド アルメニア 日本』
    日本の放浪芸と、その源流にあるといわれるインド、アルメニアの芸能の関係にスポットをあてたトーク。8/4、ロビーコンサートに出演するラジャスタン・ルーツのデモンストレーションも贅沢に交えておくる特別プログラム。
    8月3日(火)18時00分「小沢昭一の日本の放浪芸:訪ねて韓国インドまで」他より、抜粋映像を上映 19時00分 トーク&デモンストレーション スタート会場:アサヒ・アートスクエア(東京都墨田区吾妻橋1-23-1 スーパードライホール4階)料金 無料(1drinkオーダー制)
    ナビゲーター サラーム海上(よろずエキゾ風物ライター/DJ/和光大学ぱいでいあ講師)ゲスト 市川捷護(音楽・映像プロデューサー)アーティスト ラジャスタン・ルーツ(インド・ジャイプルを拠点とする音楽者集団)
    お問合せ:アサヒ・アートスクエア
    2.小沢昭一が語る、夢のすみだ川(1部)&ラジャスタンルーツ・ライブ(8月4日)
    小沢昭一さんの絶妙の話芸とインドタール沙漠からやってきた超絶技巧の大道芸集団のライブ。カルベリアダンサーも出演。
    以上これらの詳細はhttp://www.asahibeer.co.jp/csr/soc/activity.html  を参照。

    両国にあるシアターX(かい)で芝居を2本見た。室生犀星作「茶の間」田口竹男作「囲まれた女」という短編劇である。日本近・現代秀作短編劇100本シリーズの61,62本目の公演である。 それぞれおもしろく見たが、「囲まれた女」は作者のことは全く知らなかったが、全編京都弁の家庭劇はなかなか見ごたえがあった。だらしない京男たちに囲まれる、見かけは「はんなり」でも芯の強い京女の話である。戦後の混乱期に、闇屋まがいの酒場が舞台であり、駄目な父親、弟、元の亭主たちが繰り広げるやりきれないと同時に思わず笑ってしまう人間悲喜劇を見ながら、昔見た森繁久弥、淡島千影主演の名作「夫婦ぜんざい」(監督:豊田四郎)を思い起こしてしまった。登場人物が皆、いとおしくなってくるのは人間の弱さをあっケラカーンと披瀝しているからだろう。田口竹男は1948年38歳で逝去した作家で今回が初演という。 一方の「茶の間」は30代半ばに書かれた多くの戯曲のなかの一編で、夫婦間の微妙な心理のあやを犀星の実体験を交えて、淡々と描いた小品。大正末期の日本の家庭の描写が懐かしく思い起こされる。 シアターXは商業演劇とは真反対の志のある小劇場だが、知る人ぞ知る珠玉の演劇・芸術空間である。 いまどきこれだけ背筋のまっすぐ通った姿勢で運営する劇場が存在していける裏には尋常でない情熱があるはずだ。すべてはプロデューサーの上田美佐子さんの不屈の精神の反映であろう。HPを見ると、上田さんの考えていることがよく分かる。

    ■2008.6.28  したたかな生への渇望、リアルな生への執着~<エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ>来日コンサート雑記
    ○2005年5月、買い付けの仕事でカンヌ映画祭に参加していたときのこと。世界中の映画関係者でごったがえすクロワゼット大通りに面するグランド・ホテルのカフェでたまたまエミール・クストリッツァの一団と隣り合わせになった。この年審査委員長を務めていたクストリッツァ氏は数多くの試写や打合せをこなしていたはずで、つかのまの休息をとっているかのようだった。あの大柄な体格でソファーに沈み込むように腰掛け、ゆったりと葉巻をくゆらせていた。
    そんなクストリッツァ氏のバンドが、ノー・スモーキング・オーケストラというのだから、もうコンサートを見る前からアイロニーとユーモアに満ちたステージになるだろうことはじゅうぶん想像がついた。しかし、今回会場を埋め尽くした3000名の観客の熱狂ぶりは、予想をはるかに超えるものだった。
    ヨーロッパを中心に絶大な人気を誇り<世界90カ国、500公演以上のライブで奇跡的な大成功を収めてきた>彼らの今回は初来日コンサートである。定刻を少し過ぎた頃、コンサートの開始を待ちきれない一部の観客が大声を上げはじめ、会場にやや張り詰めた空気と人々のはやる気持ちが漂う。そして客電が落ちいよいよメンバー登場か、という段になってイントロダクションとしてテープで流された曲がまずふるっていた。ソ連時代のモスクワ放送でよく耳にした曲だが、国歌だったか共産党あるいは赤軍の歌だったかはっきりと思い出せなかった。あとから確認したところやはり旧ソ連国歌だとわかった。(強いロシアを目指すプーチン大統領の肝いりでこの同じ曲が2001年から新しい歌詞をつけて現在のロシア連邦国歌に制定されていることも今回調べてみて初めて知った。)ユーゴスラビア時代から体制に異を唱えてきた彼らのコンサートを共産主義のシンボルとも言うべき曲で始めるあたり、おもわずにんまりしてしまった。
    メンバーはボーカル、ギター×2、ベース、バイオリン、サックス、アコーディオン(曲によってチューバに持ち替え)、ドラムスの計8名編成で、リーダーでボーカルのネレ・カライリチが、ステージ上だけでなく客席に飛び降りてはアリーナから2階席まで縦横無尽に走り回って、観客を乗せていく。ステージでは映画「ジプシーのとき」「アンダーグラウンド」「黒猫・白猫」のテーマ曲、2000年のアルバム「Unza Unza Time」収録の同名の代表曲など約20曲を休憩なしで2時間ぶっ続けで演奏した。まさに<独自のアップテンポの2ビートに乗せたジャズ、スカ、ハードロック、そしてジプシーミュージック等をすべて飲み込んだミクスチャーロックサウンド>なのだが、ステージ上でピンク・フロイドやディープ・パープル、ブルース・スプリングスティーンといった70年代ロックの名曲のリフを繰り出す当たりに、あくまでもロックサウンドにこだわろうとするメンバーの音楽のルーツを見る思いがした。
    ステージでは、ギターを頭の後ろに抱えて演奏したり、3メートルはあろうかという巨大な弓にバイオリン本体の弦をこすりつけて演奏したり、それにクストリッツァがギターを同じようにこすり付けて掛け合うなどの曲芸的なパフォーマンスも随所に織り込まれ、ボディーに電飾を施したギターをおなかの前でグルグル回してみせるころには観客はその豪放なステージングに興奮の頂点に達していた。
    それにしても、こういっては失礼だが頭が禿げ上がり、おなかの出た決してかっこいいとは言えないルックスの中年おやじのバンドがかくも若者を熱狂させるのはなぜか。クストリッツァはTシャツ姿、リーダーはサッカーユニフォーム、あとのメンバーはテカテカ光るシャツに白のスラックス、へたをすると場末のキャバレーバンドかとも思えるいでたちで、メンバー紹介ではエリック・クラプトンです、とか、プラシド・ドミンゴです、とか、はたまたリーダーは自分のことをデヴィッド・ベッカムです、と紹介するベタなやりとり。しかし、そうした一連の振る舞いからは、混沌とした時代を肯定的に楽しむんだ、権力に屈することなくしたたかに生き抜くんだという強烈なメッセージが伝わってくる。
    彼らの音楽にはロシアや中国などにも共通する冷戦下の共産主義社会を生きた人々特有の、自由が制限された不条理な体制を生き抜くために育まれたしたたかな生への渇望、あるいはリアルな生への執着といった臭いを感じないわけにはいかない。あらゆる要素のミクスチャーから紡ぎだされる新しいビート感もさることながら、まさにこの部分が価値観を喪失しつつある今の旧西側世界の人々を引き付ける力になっているのではないだろうか。
    最後に、今回のコンサートではクストリッツァ自身が語る場面がほとんどなく、唯一言葉らしい言葉を発したのがコンサート終盤の観客とのこんなやりとりだった。
    クストリッツァ:Are you ready?
    観客:Yeah!
    クストリッツァ:Are you ready?
    観客:Yeah!
    クストリッツァ:Are you ready to make a revolution?
    観客:Yeah!
    クストリッツァ:OK. Next time...
    ・「エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ」コンサート
    2008年6月26日(木)/主催:カンバセーション/後援:セルビア共和国大使館 J-WAVE/企画制作:カンバセーション/会場:JCB HALL(東京ドームシティ内)
    (市橋雄二)

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    ■2007.7.23  7.03の更新記録でふれたムサフィール公演を市橋さんとみた。以下は市橋さんのレビューである。
    <現業の芸人ならではのパワー!=ラージャスターンのジプシー"ムサフィール(Musafir)東京公演コンサートレビュー>
    インドの北西部ラージャスターンから伝統芸能を携えてやってきたMusafirのステージは現業の芸人ならではのパワーに満ち溢れていた。伝統芸能というと何か過去のものというイメージがつきまとうが、彼らの演奏はそうではない。メンバーのミュージシャンたちはかつて王家や貴族などのパトロンに仕えて世襲で楽士をつとめてきたマンガニヤールという職能集団の出身だが、第二次大戦後藩王制が廃止され社会の仕組みががらっと変わったあとも、観光客や海外の聴衆をそのパトロンとして自らの芸を絶やすことなく保ち続けてきた。
    2001年の夏にわれわれ(市川氏と筆者)がジャイサルメールを訪れた際、日々親から子、年長者から年少者へと芸が伝えられている様子を垣間見ることができた。マンガニヤールの中でも海外に出て演奏するのはごく一部でその背後には多くの現地ミュージシャンたちが存在する。そうした厚い層のなかから出てくるプロの芸人のステージが一級のエンタテインメントにならないはずがない。
    7月18日東京渋谷のO-Eastで行われた公演は19時開始。10分ほど遅れて到着すると、ステージでは軽快なリズムの歌が響いていた。ジャイサルメール地方の有名な民謡「ゴールバンド」だ(*ビデオレポートの1曲目)。伴奏のドーラク(両面太鼓)の低音が腹に響く。あとで聞いたところではこの曲の前に<バパング>という一弦の楽器やたらいのような形の楽器を叩くシーンがあったらしい。音楽と大道芸を融合させた独自のパフォーマンスで新しいインド音楽の魅力を伝える彼らならではのオープニングである。
    続いて長いボーカルの前奏部から始まる古典的な楽曲、そしてカルベリヤ・ダンスでは、手に持ったハンドシンバルで脛に結びつけた7個ほどのシンバルを順に打ち鳴らし、反り返って床に置いた指輪を両目ではさんでとるというアクロバティックな踊りを見せてくれた。
    メンバーはタブラ、ドーラク、カルタール(口琴・バパング)、サーランギー&歌、歌&ハルモニウム、カルベリヤ・ダンサー、大道芸の総勢8名で曲に応じて出入りする。
    その後、口琴のソロ、カッワーリの有名な曲「ダマーダム・マスト・カランダル」(*ビデオレポートの5曲目)を演奏したあと、自転車の車輪を頭や両手、両足にのせてくるくる回す大道芸と飽きさせることがない。オリジナルだという「旅人とラクダ」という歌の途中ではドーラクとタブラのソロを織りまぜていた。カルベリヤ・ダンスの2曲目は「カーリョー」(*ビデオレポートの2曲目)。黒地のスカートを広げて激しく回転し、体をくねらせ腰を斜め上にもちあげてぐんぐんと迫ってくる独特の動きは官能的ですらある。踊り子はすっかり疲れきって、踊りが終わるなり演奏者用の台に腰掛け息を切らしていた。しかし、続いてステージ最後の曲が始まると、そんな疲れをまったく感じさせず総勢8名が登場して、メドレーを演奏した。鳴り止まない拍手に応えてアンコール曲を披露。「ニンブラー」(注:オーディオレポートの2曲目にリンク)というノリのよい曲。2時間弱というコンサートとしてはやや短い時間設定であったが、会場を埋め尽くした観客は一様に満足していたようだ。
    ムサフィール(Musafir)とは「旅人」を意味するアラビア語起源の言葉でペルシア語やヒンディー語でも使われる。実際にはムサーフィルと発音される。楽団を率いるウスタード・ハミード・カーンはラージャスターンの古典音楽家の家系に生まれ、パリでミュージシャンとして活動したあと1995年にこの楽団を作ったという。
    そのハミード氏がMCでラージャスターンはジプシーの故地であり、自らをラージャスターンのジプシーだと名乗っていた。ジプシーという語は差別語としてタブー視されることが多いが、音楽の世界ではむしろ肯定的に捉えられることが多い。こんなノリのよいステージでロマなどと言い換えることは無粋というものだろう。そして、今回のコンサートの会場となったO-Eastは渋谷道玄坂上のクラブ・ストリートにあり最先端の音楽シーンのライブを提供している場所だ。そのことが今の彼らの音楽がどのような人々に受けているかをよく物語っている。インド音楽といえばシタール音楽という時代には瞑想しながら聴くものだった。そんな時代から遠く離れて、オールスタンディングで体を揺らしながら聞くインド音楽もあるのだということを改めて印象づけた今回の来日であった。(市橋雄二)

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    浪曲師 国本武春のライブ

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    ■2007.7.08  浪花節について考える=浪曲師、国本武春のライブ「どかーん!武春劇場~日本浪曲史と気さくな黒船~With The Last Frontier」をみて=
    ○現在は漫才系のお笑いタレントがテレビを席巻しているが、明治・大正そして昭和の初期までは浪花節・浪曲が大衆芸能の王者だった。桃中軒雲右衛門、広沢虎造をはじめとする幾多のスーパースターが輩出したのである。浪花節は日本芸能史を考えても重要な位置にいる。江戸時代・明治時代まで綿々と続いてきた大衆芸能の講談、落語、歌舞伎、義太夫、長唄など様々な要素が交じり合って浪花節が誕生したのだが、その初期の形はでろれん祭文、あほだら(阿呆陀羅)経、浮かれ節、ちょんがれなど大道・門付けの芸能であった。一種の差別・蔑視の中にいた浪花節が大道の門付け芸からよしづ張り小屋を経て、舞台(板)に上り、ついには劇場公演で数千人の観客を集めるまでに至る過程は近代日本の大衆芸能史でもある。
    国本武春のライブは、そうした日本浪曲史を5日連続でたどる日替わりメニューを第1部に、国春がテネシーに留学していた時代に結成された三味線ブルーグラスバンド(ザ・ラスト・フロンティアー)のライブが第2部という構成である。
    初日は浪曲の誕生篇で、でろれん祭文のほら貝から幕があがる演出。国春がでろれん祭文を演じる(語る)が観客のほとんどはでろれん祭文がどのようなものか理解できなかったろうが、苦労して再現していた。細かく言えば、右手に持っていた錫杖の形状が違っていたりしたが、やる勇気を買うべきだろう。それからあほだら(阿呆陀羅)経などを経て、浮かれ節を語るが、これはなかなかのものであった。浮かれ節独特の揺れる廻しや軽妙洒脱さがよかった。ここまでが第1部。
    第2部は雰囲気が一変して、ブルーグラスのライブ。国春の三味線にバンジョー、マンドリン、ギター、ベースの5人編成で、次々と歌いまくり、演奏しまくる構成が心地よい。通訳を入れないのも正解で、曲の余韻を盛り上げ、舞台の流れを滑らかにしていた。三味線と洋楽器のアンサンブルが絶妙で、アメリカ公演でも受けているのが納得できる。
    現在、浪曲という芸能が一般的には滅びかかっていると思われているが、国春の舞台は伝統芸能のあり方に多くの示唆を含む点で注目すべきものだ。芸能というものを大きくとらえれば、<ひとの前で何かをやって喜ばせ、何がしかのお金をいただく>ということに尽きる。その時代の人々の気分、傾向、思いなどにじっと耳を澄ませ、そこに合うものを提供することが何よりも時代とともに生きていく芸能者ということだろう。その精神があれば、なにをしても芸<浪曲>の本質を保ちつつ、21世紀の浪曲・浪花節は残るのだ。国本武春を応援したい。
    ○小沢昭一さんと浪花節の源流を探索したころ=
    国本武春のライブを見ながら、かつて小沢昭一さんと1970年代から80年代にかけて、ともに夢中になって日本国中から韓国・インドにまで大道芸・門付け芸を追い求めていた風景が走馬灯のようによぎっていた。当時すでにこうした芸能は日本列島から絶滅していく瀬戸際にあり、小沢さんとの旅は万歳・浪花節・人形つかい・ちょんがれ・女相撲などなど実に多彩だった大道・門付けの諸芸能の臨終に立会う旅となり、墓標をたてる旅になったのである。
    浪曲・浪花節は万歳とともに小沢さんが特にこだわった芸能であり、その源流への探索行は執拗を極めたものだった。
    でろれん祭文は山形に行き、計見八重山さんと計見楽翁さんからほら貝を使った祭文を聞き、独特の錫杖の形をはじめて確認できた。あほだら(阿呆陀羅)経も市川福治さんが大阪の芸人長屋で、不自由な身体ながらも精一杯演じてくれた。浮かれ節は当時の浪曲界の重鎮、梅中軒鶯童師が昔を思い出しながら、角座の楽屋で再現してくれた。94歳だった広沢虎吉老(西南戦役時の誕生!)から浪花節創成期の生き証人として、宝物のような話をたっぷり聞けた。浪花節の源流をたどり、四国徳島にでかけ、訪ねた目当ての老人がうなぎ採りに出かけていると聞いて、田んぼの畔の小川にまで押しかけ、分けがわからぬままの古老に源流のひとつとされる<ほめら>を唸ってもらったこともあった。当時、大学を卒業して間もない私にはなにもかもが驚き、新鮮で目眩く(めくるめく)日々だった。

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