■ギャラリー(アルメニア篇)

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button126.gifアルメニアのジプシー(ボーシャ)の歌と演奏(2002)

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高さ44mの石碑の塔。1915年の第一次世界大戦中、オスマン・トルコの軍部による100万人を越えるアルメニア人の大量虐殺を追悼して建てられたジェノサイド・メモリアルは市内を見下ろす丘にある。空を突く塔はアルメニア民族の悲劇と精神の再生を象徴する。


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モニュメントの中央に、円形のサンクチュアリ(聖所)が建っている。12枚の高い、中央に向って傾いた玄武岩の厚い板が円を形成しており、屋根はない。

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永遠の祈りの火。なだらかな円形の斜面の中心の炎は消えることはない。アルメニア教会の祈りの音楽がかすかに流れており、深く静かな悲哀感が漂う。(2002年8月)

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モニュメントの丘からのエレヴァン市内。

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 エレヴァンの中央道路を望む。

 

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サルギス・ギャンバリヤンさん(63歳)。(2002年8月現在)(アルメニアの人の名前にはほとんど名前の最後が・・ヤンである。)。籠(かご)つくりの名人。エレヴァン市内のカナケル地区に住む。古いアルメニア教会がある地区に隣接してボーシャと称されるジプシーが居住して、主に籠つくりに従事している。

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隣の家のサロ・ゲヴォルギャンさん(43歳)が籠を作っていた。彼が我々が探していたミュージシャンだとはこの時知る由もなく、ただ専業の籠つくり職人だと思った。色浅黒く精悍な顔、鋭い眼光、引き締まった口元が印象的で、静かなる男そのものだった。黙然と籠を作っているので、声さえも掛けるのがはばかれる様子だったが・・・。数日後、深い縁ができる。

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サロさん夫人も作る。美しい銀髪と柔らかな笑み。葦は彼らはウリという。

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旧ソビエト連邦に属していた名残を残す街並み。車は旧式なものが多く、ソ連製のボルガやラダなどという懐かしい車など結構見かけた。

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アルメニア民族学研究センターの学者3人。中央の女性は我々の滞在中の通訳をお願いしている人の母親のハイラヌシュ・ハラティヤンさんで、センターの代表。彼らから、ボーシャについて様々なことを教えていただいた。彼らはボーシャのアイデンティティの発露としての歌を採集したいと願っているが、まだ実現していない、といった。

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ヴァハン・マテヴォシャン(65歳)さん夫婦。1930年両親が旧西アルメニア(現トルコ領)からエレヴァンに移動してきたらしい。ソ連時代は篩(ふるい)つくりを一時やめて、工場勤務だったが、ソ連崩壊後、再開した。

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マテヴォシャンが羊の皮で作ったふるいと道具。羊の皮を細くなめした紐で交互に編み込む見事なふるい。網の張り具合も強く、手でバンバンたたいてもびくともしなかった。民芸としても美しく、力強い。しかし、作り手の老齢化や金網全盛になり、やがて消え行く運命にある。

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羊の網目は味わいがあり、金網のものより、職人芸の腕のさえを感じさせるものがある。

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ウリとよぶ葦の籠の数々と金網のふるい。

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マヘル・アラケルヤンさん(42歳、左側)と父親と子供たち。。エレヴァンから50キロのところにあるジュラベル村で、半ば偶然出会った。様子を聞くために村人に話しかけている時に、人懐かしそうな顔で寄ってきた。彼の両親はトルコのエルズルムからやって来たという。村人がボーシャはインドにもいると聞くが、日本にはいないのかと質問され、びっくりしたが、まじめに考えると答えを出すのは難しい。彼らに自称(自分たちを示す民族名などの名前)を質問したら、意味が飲み込めないのか答えが返ってこなかったので、「ロム」(ジプシーの意味)ではないかと聞くと、うれしそうに皆がそうだ、そうだとうなずいた。


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アラケルヤンさん手作りの家。

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奥さんと子供。アラケルヤンさんの祖父母も西アルメニア(現トルコ領)から移動してきた。ロムであることに誇りを持っていると何度も繰り返していたのが、印象に残る。

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ルイザ・ゲヴォルギャンさん(42歳)。占い師。14歳の時に、ボーシャの家族にさらわれ、15年間ボーシャの中で暮らした。無理やり結婚させられたが、夫が酒乱のため29歳の時に別れたという数奇な経験の持ち主。彼女によると、ボーシャには、定住せずに移動するボーシャと定住するボーシャがいる。彼らボーシャは、外部の者(ボーシャ以外の者)をカチュート(Katchut)と呼ぶ。占いを生業にするのは、非定住のボーシャで、ソ連時代には存在した。定住したボーシャは籠つくりを生業にしている。霊能力は、生まれつき頬にあった十字の印が7歳のときに目立ちだしてきて神の啓示を受け、霊の力を悟ったという。占いの時に、呪文や水晶のようなものを使うのか質問すると、何も使わずに、依頼者に会った瞬間のテレパシーや、集中力を凝集して相手の目を見て判断するといった。占いではなく、ヒーリングというか、手をかざして頭痛を取り去ることやコーヒー占いもするという。占い師というと、どこか外見や身振りに思わせぶりなところがあると予想したが、至って本人は普通のおばさん風で好感が持てた。

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フランスの大歌手、シャルル・アズナブールの銅像。彼もアルメニア人。アルメニアでは、アズナブールそっくりの男を沢山見かけた。1988年の大地震の際には、多額の寄付、貢献をしている。

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歌ってくれたナヴァルド・ハチャトゥリアンさん(66歳)。アルメニア北西部の古都ギュムリの郊外の平屋のバラック群の家に住んでいる。大地震でアパートに住めなくなり、政府がバラックを支給した。浅黒い顔はひきしまり、深い皺が目立つ。風雪に耐えた表情だ。毅然とした立ち振る舞いには品性がにじみ出る。アルメニア語だけではなく、ロム語で歌ってくれたのが収穫であり、ロマの文化がこの地に残っていることが確認できた。壁の写真は若死した長女の夫。

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家族が集まった。男手がいないので、籠作りはできないので、長女(右端)が物売りをして生計を立てている。

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名残欲しい別れ。

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ひっそりと通りに出ていた大道芸人。アルメニア独特の縦笛、ドゥドゥクを吹いてくれた。

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夜に酒場の近くに出ていたアコーディオンの大道芸人。

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ゲヴォルギャンさんは笛、ドゥドゥクの名手。1歳の孫の誕生日を祝い、嫁いだ娘さんの家に集まる席に私たちも招かれた。最初会ったときは、籠つくりをしていたサロさんに唄は好きですかと聞いたとき、「以前は歌手で、ガスパリヤンの楽団におり、彼と一緒にドゥドゥクを吹いていたよ」といわれて、本当にびっくりした。ガスパリヤンはアルメニアが誇る世界的に有名なドゥドゥク奏者で日本でもファンがいるほどの名手だ。その楽団の歌手だったが、自動車事故にあい、歯を損傷して、活動を断念したのだ。ドゥドゥクはダブルリードの縦笛で、なんとも壮麗な音色を出すが、祝いの席にもよく演奏される。

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ドゥドゥクと友人が吹くシェビーという笛(左)の合奏。

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絶品の歌。歌詞「人生のもっとも輝かしいときを無駄にしてはいけない お前の声はとても深い どうか捜しものと与えたもう さもなくばどこにあるかを教えたもう 深い谷間でわが子を探し続ける わが子ジヴァンはとても勇敢で 家にじっとしていることができない あの子は私のもとにやってくるとそばを通り過ぎていった 通り過ぎていくことはなにも恥ずかしいことではない」

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「もう何年も体験を積み重ねてきた。毎年毎年歴史が刻まれ 私の顔のいたるところに悲しい物語がある 死んでしまえば誰もなにもできない 子どものころからずいぶん長い道のりを歩いてきた 学校のこと 恋人のこと 私の長い物語を話すのはよそう どうか私の長い物語を思い出させないでくれ さもないと頭がおかしくなりそうだ」 魂を揺さぶる歌唱!これぞ、ジプシーミュージックの心だと納得させられた。

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 アルメニアからの帰途にモスクワのロマシアターへ行ったが、生憎夏休み中だった。ポスター。
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