阿波のでこまわし・・・・人形つかい門付け芸の復興

■2008.7.15  阿波のでこまわし・・・・人形つかい門付け芸の復興
○今やかつて日本列島を門付けを生業とする諸芸人が闊歩していたことを知る人も少なくなりつつある。中世以来連綿と続いてきた放浪諸芸人たちの道の芸・街の芸は1970年の大阪万博あたりを契機に日本の近代化・高度成長とともに急激に列島から姿を消していった。
猿回し、万歳、獅子舞などの芸能者は豊穣を願い、厄病を恐れる民にとっては神の使いとして畏敬すべき訪問者であると同時にその職能故に賎視すべき存在でもあった。
「ほんらい彼らは風のように去来する漂泊の民で、それがまた何かしら神性と呪力をたくわえた神人の印象を与える生活様式なのであった」(永田衝吉「人形芝居」より)
そのほとんどは絶滅してしまったが、復活を遂げた稀な例としては猿回しがある。猿回し復活については1960年台後半からの小沢昭一の放浪芸探索がきっかけになったのだが、今回、猿回し、万歳などと並ぶ代表的な門付け芸である人形つかいの復活についての記録を読むことが出来た。
「阿波のでこまわし」(辻本一英 解放出版社)はかつて列島各地を祝福門付芸能者として巡った多くの人形(でこ)まわしを輩出してきた徳島県の吉野川流域の出身者であり、自身も苛酷な被差別の体験をへてきた著者がふるさとの誇るべきでこまわしの復活にかけた思いをのべたものである。(でこ:でく、木偶とも表し木彫り人形や操り人形の意味)
人形まわしは淡路島の人形浄瑠璃などにみるように阿波徳島に強く伝承されてきた芸能形態で日本の芸能史でも重要な位置を占める芸能である。
全体には著者の講演記録などをおりまぜた平明な語り口で率直に出自にまつわる悩みから、でこまわしに己の誇りの源泉を見出し、復活をめざしていく過程を述べている。絶滅しかかっていた箱まわしに伝わる三番叟・えびすまわし・大黒まわしなどの演目を辻本たちははひとりの現業老人形つかいに3年間弟子入りして継承、復活していった。
はじめに写真グラビアが続き本文に入るが、その中扉に挿入されている一葉の小さな白黒写真(1955年撮影)には胸を突かれる迫真性がある。資料として集められた写真のなかに著者、辻本の祖母(ばあやん)が大黒人形を手にして門付けしているものが偶然まじっていたのだ。長年にわたる風雪を耐え抜いてきた祖母のまなざし、手ぬぐいをかぶり風呂敷を背負い、手にした大黒のでこ人形・・・、この写真だけでこの本の目的は達せられたといえるほどだ。
私も1970年に小沢氏とともに徳島を訪れ、人形まわしを取材したが、当時すでに取材そのものが困難な状況だった。賎視のなか、子孫たちのことを考えて己の生業である人形まわしを次々と廃業するものが続出し、ついには人形まわしであったことまで深い闇の中に秘してしまっていたのである。当然、人形も川に流されるなどして消滅していった。そのなかをなんとか夫婦の人形まわし(現地では箱まわしともいう)に会うことができたが、以来40年が経過した。当時の写真をギャラリーにアップした。
活動主体である「阿波木偶箱廻しを復活する会」は被差別民衆の生活文化や伝承芸能を掘り起こすという作業の中から聞き書きや技術の伝承に取り組んでいる。 猿回しの復活が意義深いのは、現業としてそれで食っていくことを可能にしたことである。保護政策、文化擁護の名目で保存されているだけでは、その芸能は力を持ち得ない。芸能を享受する側が、対価として金を払ってもいいと納得させられるものでなければ持続しない。お金に換える芸能こそが生きた芸能である。 今後、阿波の人形まわしがお金に換える芸能として真の復活をと遂げることはあるだろうか。期待したい。

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