藤原新也『日本浄土』と「イザベラ・バードの日本紀行」

■2008.8.25  藤原新也『日本浄土』と「イザベラ・バードの日本紀行」・・・日本列島『原風景』の130年後の変貌
○偶然が重なり、藤原新也の近刊「日本浄土」(東京書籍)「イザベラ・バードの日本紀行」(講談社)を併読することになった。
イザベラ・バードは72年の生涯の多くを旅ですごし、いくつもの旅行記(「朝鮮紀行」など)を著したイギリスの女性で、彼女が日本にきたのは1878年、47歳のときだった。日本列島が江戸時代から明治維新をへて大変革を遂げている最中の東京、横浜などの都市だけではなく、東北や北海道、京都、伊勢神宮などを巡り、当時の日本人の文化・習俗・自然などを記した紀行記録である。
印象深いのは近代化(欧化政策)を急ぐ都会だけでなく、列島の原風景を宿す東北・北海道・関西など地方の習俗・風景を活写している点である。北海道に渡ってアイヌの人々との交流を重ねながら、当時のアイヌ文化や習俗をひろく活写して広く知らしめた功績は大きい。侮蔑と愛情と敬意が入り混じった記述は全編に散見されるが、19世紀末という時代性の制約を考慮すべきだろう。西洋人の価値感、理解不可能な習俗に当惑し、時代背景に制約された侮蔑的表現などを超えて、全体を貫く旺盛な探求心・冒険心と苦難を乗り切る意志力は説得力を持つ。
なによりもこの本の価値は、当時の日本列島がいかに豊かな自然に満ち、美しい風土だったか、そして当時の日本人がいかに無垢で優しい心根をもっていたかをしみじみと伝わえてくれることだ。異文化で育った異邦人イザベラ・バードの目を通してでも偏見・宗教観の相違を乗り越え見えてくる日本列島の風景と庶民がまぶしいほどの輝きを放つ。
藤原新也の「日本浄土」は、(列島風景の不気味なまでの画一化、空洞化、疲弊、そして人の情の変化・・・など)のっぺらぼうになってしまった日本の街のなかから、なにか希望、光めいたものを求めてあてどなくさすらうような著者のゆらめくような呼吸が独特の読後感を残す。
死屍累々の列島の片隅から「地味でありながら独自の呼吸をしている細部のそれぞれが,ひとつの集合体となった時、そこにもうひとつの日本が私の中で息を吹き返す。」ことを希求しながらの旅なのだ。島原、天草、門司港、柳井、尾道、能登、房総などを幼時の思い出などを交え訪ねるが、一日中歩いても、一枚の写真も撮れないほどのこの旅は藤原新也にとっては苛酷なものだったろう。
「印度放浪」「西蔵放浪」などとは位相が違う今の日本列島の病理は表現者にとっては逆説的に手ごわい被写体なのだろう。
イザベラ・バードが訪ね歩いた日本列島の美しい原風景から130年後の「風景」は藤原新也に「歩き続けることだけが希望であり 抵抗なのだ 歩行の速度の中でこそ、失われつつある風景の中に息をひそめるように呼吸をしている微細な命が見え隠れする」と言わしめるほど切迫した時代を反映するものなのだ。

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