■2008.10.20 グルジア映画「懺悔」から連想する
○グルジア映画「懺悔」(監督 テンギス・アブラゼ)をみた。正確にはソビエト連邦時代のグルジア共和国で1984年に製作されたソ連映画である。ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)をある意味で象徴・予見した作品として半ば伝説化していた映画だが、日本では公開されず、今回、24年ぶりに年末から公開されることになった。
旧ソ連邦時代、架空の地方都市の独裁者の生死をめぐる話はスターリン時代の粛清を想起させる。密告・逮捕・強制収容所行きが横行した暗黒時代に己の信条に生きた画家一家の悲劇的運命と流転を生き残った娘の回想で運ばれるストーリーは暗く、重い。1984年の製作ということで、まだ公開される展望が見えないままの映画の完成だったのだろう。
1985年、ゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任し、翌86年からのペレストロイカ政策の展開していくある種の熱気のなかでモスクワで1987年に公開され、大ヒットした。メディアがグラースノスチ(自由言論)の風潮のなかでそれまで封印されてきたスターリン時代の負の歴史の事実を明らかに語り始めたなかでの公開だった。
その後のソ連崩壊、冷戦終焉、9・11以来のイスラム圏の登場、イラク戦争と激動を経てきた現在の我々からの視点でこの映画を見れば、さすがに歴史の波を越えられない時代的限界を感じないわけではない。が、最近のロシアのグルジアへの露骨な締め付けを見れば、映画制作時のグルジアと今のグルジアの状況は大して変わっていないようにも思える。
私も1983年以降、ソ連時代のモスクワを数度訪れたがコーカサス3国のグルジア、アゼルバイジャン、アルメニアなどに関する情報は少なかった。モスクワではグルジアワインがとびきり上手く、市内のグルジア調理店アラグヴィには頻繁にロシア・ジプシー一家の流しが現れた。後年、2002年インドからのジプシーの末裔が存在するという情報を得てアルメニアに行ったのがコーカサスへのはじめての旅だった。
とにかくこの地域の複雑に絡んだ歴史的、民族的な流れを把握することは容易ではない。日本に住むひとにロシアとグルジアとの歴史的・民族的確執を分かりやすく説明することは非常に困難である。そのむずかしさはヨーロッパやロシアそしてコーカサスの非アジア系の人々に日本列島と朝鮮半島との歴史的・民族的確執などを説明することのむずかしさに通じるものがある。
映画「懺悔」はそうした限界を超えて尚、人間の意志の強固さがどこから来るのかを訴える作品であり、豊かな人間の感情のほとばしりにあふれる作品である。
公開2008年12月20日より岩波ホール