久しぶりに「さらば、わが愛/覇王別記」を見る機会があった。10数年前に見たときには中国の古典芸能の奥深さや京劇の世界に圧倒されたのを覚えている。
日中戦争、文化大革命の激動期に生きた京劇俳優の程蝶衣(張国栄―レスリー・チャン)と段小楼(張豊毅―チャン・フォンイー)の物語である。女形の程蝶衣は段小楼に同性愛的な愛情を抱き、そのふたりの関係を主軸に物語りが進行する。 2人は「覇王別姫」の役者として成功するが、彼らの人生も互いの愛憎を交えつつ日中戦争、文化大革命などの巨大な波に覆われる。
歴史と人間の運命という大きなテーマにまともに向かい合う中国映画の底力に改めて感服するが3時間に及ぶ長さを全く感じさせない演出力(監督:陳凱歌)も尋常ではない。 子供時代の訓練風景が興味深い。徹底的で不条理な体罰訓練で芸を体にしみこませる過程がかなり念入りに描かれる。芸能の肉体化とでもいうのか。これが中国雑技団にまでも伝わる伝統かと思わせるほどだ。 そして京劇俳優、なかでも女形に焦点を当てたところが新鮮だ。女形役者が性差のはざまを行き来しながら、実像と虚像の落差に翻弄される様をレスリー・チャンがもののみごとに演じている。
現実世界では2003年に自死したレスリー・チャンの人生が重なるようだ。彼なくしてはありえなかった映画だろう。
この映画のもうひとつの見所は全編に漂う脂粉の香りだ。普通の人間が入れない役者の楽屋に漂う隠微で、酔わせる香りがなんとも悩ましく魅力的だ。女形役者が発する気配は現実世界がいかに厳しくとも観客を一時至福の世界(ハレの世界)へと誘ってくれる媚薬なのだろう。中国現代史の一面が醜悪で苛酷であればあるほど、そこに咲いた花は美しいのだ。
今回改めて興味深かったことは中国社会においても芸能の血筋にたいしてひとびとが抱く畏敬と蔑視の2重性がよく分かったことだった。古典芸能としての京劇が、日本の歌舞伎と同様、大道芸から育ってきたことをよく実感させてくれた。 「さらば、わが愛/覇王別記」は張芸謀の「紅いコーリャン」と並んで私の中では中国映画の古典である。