日本列島に日々繰り返されている重く逃れられない現実に思いをめぐらさざるを得ない映画であり、小林政広監督の熟した人間観察眼が際立つ傑作である。
かつてニシン漁でわいた北海道の増毛もいまやその面影もない。老漁師,忠男(仲代達也)と孫娘、春(徳永えり)と2人きりでのつましい生活をしてきた。春は地元の小学校の給食係りで足の悪い忠男を支えてきたが、廃校で失職。行き詰まった2人。そこで孫娘を都会で自立させるには老漁師は己の身の処し方を決めねばならない。
普段、縁遠くなっている兄弟たちを訪ねて自分を引き取ってくれないかと頼み込む旅に出る。これはロードムービーには違いないが、旅に出る爽快感、疾走感、自由への思いといったものはかけらもない。あるのはどんよりとした重い列島の風景であり、身にまとわりつくような疲労感である。普通にある自然や街を切り取るカメラ(高間賢治)の視野は広く深く、日本列島の今の風景に日本人の心象を痛切に投影した。
気仙沼に住む兄夫婦(大滝秀治、菅井きん)、服役中の弟の内縁の妻(田中裕子)、鳴子で温泉旅館のおかみをする姉(淡島千影)、仙台で不動産業に行き詰った弟(柄本明)とその妻(美保純)・・・・らを次々と訪ね、援助を請うが現実の厳しさが2人に重くのしかかるつらい旅である。
訪ね行く先々で交わされる兄弟同士の会話がこの映画の骨子である。そこには、これまで歩んできた各人の人生を垣間見せる瞬間がたびたびあり、内には互いを思いやる心を宿しながら、相手に寄り添えない現実に懊悩している姿が鮮明に浮かび上がる。セリフの裏側を伝える練達の俳優たちの成果だろう。血も涙もある市井の人の真実を演じ切って見事である。
祖父と兄弟たちとの再会の場に立ち会い続けた春は長く離別していた父親(香川照之)に会いに行く。北海道の静内で牧場をする父との再会とそこで後妻(戸田菜穂)からかけられる意外なことばに忠男は泣く。そしてラストへ。
全編、出口がない現実に翻弄される老人と孫娘の物語のなかで唯一の希望は孫娘,春の存在だ。旅を重ねるなかで、徐々にわがままな老人にたいして主導権をにぎりだし、毅然と振る舞うようになる。徳永えりの強い意志のあらわれたまなざしがいい。仲代達也は堂々とした風体、大きな目、声が普通の日本人からは離れているので、最初は気になったが、見ているうちにやや大げささが逆に滑稽味と感じられ、次第に老漁師に感情移入している自分に気づくほどだった。仲代達也が俳優として築き上げてきたものの大きさにふれた思いであった。