ブルガリア北東部の黒海に面した小さな観光都市カヴァルナは、2006年から毎年夏に開かれているロック・フェスティバルのおかげでその名が世界に知られるようになったが、カヴァルナのロマ系住民こそこの地の名誉とすべきだろう。
ブルガリアのロマ居住地の多くは掘建て小屋が未舗装の土の街路に沿って並ぶスラム街のようなところで、道路と呼ぶべきものがあったとしてもそこはゴミが散らかっている。対照的にカヴァルナのロマ居住区はきれいな街並みで、地元の人々がビバリー・ヒルズと呼ぶほどである。道路は舗装され、ゴミもほとんどなく、夜には街灯がともる。塗装したての家が至るところに顔を出し、その様はマッシュルームのようだ。
ロマが12,000人の住民の三分の一を占めるこの町は、地方自治体が少数派住民の統合とそのための予算措置に取り組めば何ができるかのよい実例を示している。「おそらくここはロマ系住民の統合が実現した国内唯一の場所です。」ブルガリア科学アカデミーの研究者でロマ問題の専門家であるイオナ・トモーヴァは言う。カヴァルナのロマ健康相談員カリンカ・アタナソーヴァは、ほんの10年前に市役所の前のコーヒー・ショップで入店を断られたことを思い出しながら「いつもこうだったわけではありません。当時は町の中の多くのコーヒー・ショップやクラブがロマの客お断りだったのです。」
しかし、事態は変わり、今やロマはどこにでも行けるばかりでなく、地方公務員として働くこともできる。そして17人いる市議会議員のうち4人を少数民族出身者が占めるまでになった。改革はツォンコ・ツォネフ氏が市長に就任した2003年に始まった。最初の任期中に少数民族統合局という部局を新設し、スタッフの中にロマを採用した。それ以来、ロマ居住区は徹底した改修を経ることとなった。統合局長マーティン・バシェフは言う。「私たちは、政治的な意志があればロマ統合の問題が10年で解決できることを実証しました。」
ブルガリアのロマ居住地では多くの家屋が許可なしに建てられていたので、土地や建物を合法化することが生活改善の第一ステップだった。市の職員は、農業で生計を立てることを希望するロマ住民には、耕作可能な土地を相場よりも安い値段で購入できるよう斡旋した。市は居住区のインフラ整備に約10億円を投資したが、そのうちの半分は欧州連合(EU)が拠出するプロジェクトによって賄われている。新しい道路と下水道が整備されるとともに既存の学校と幼稚園は改修され、新たに居住地全体に行き渡る都市ガス網が敷設された。
依然として全国的な重要課題であるロマの子供たちの中退問題も、カヴァルナではその率が2004年から2007年の間に30パーセントも低下した。町のロマ生徒のおよそ90パーセントが少なくとも8年の教育期間を満了するまでになったが、以前は多くの女子生徒が中途退学していた。カヴァルナのロマの子供の95パーセントが小学校に入学する。また、かつては居住区でよく見られたひったくりなどの小犯罪がほぼ無くなったという。玄関の施錠をしない家もあるほどだ。
カヴァルナの改革は地方政府の努力のみならず町に住むロマとのパートナーシップの結果でもある。ロマの多くは数年間ポーランドへ出稼ぎに行き、そこで稼いだ自己資金を居住区の改善に投入してきた。こうした投資がどのようなものかは<ホワイトハウス>地区に行くとよくわかる。これまでロマ居住区の外れの泥沼だったところに突如現れた白塗りの豪邸群を地元の人々がいつしかこう呼ぶようになったエリアである。
カヴァルナのロマの間では、社会生活に対する姿勢も変わってきている。つい最近まで居住区の女児の多くが学校に通わず、14歳までに結婚していた。現在では結婚年齢は16、17歳となり、多くの女児が少なくとも8年間学校で学ぶようになった。副市長のセヴィンチ・カサボーヴァ氏は、カヴァルナの統合の成功を簡潔にこう表現する。「生活水準の向上に努めるロマのコミュニティがある以上、市当局はそれに応える責任があります。」
■今回の記事に触れて、数年前に訪れたマケドニアのロマ居住区シュト・オリザリを思い出さずにはいられない。ドイツや遠くオーストラリアへ出稼ぎに行き、貯めたお金で豪邸を立て、高級車に乗るロマの人々の姿がそこにあった。もちろん一方で貧困から抜け出せない人々もいるのだが、ロマの共同体はそれらすべてを飲み込みダイナミックに自らの生活を謳歌しているように見える。(市橋雄二/2011.9.25)