《ジェレム・ジェレム便り29》~スウェーデン・ロマの少女の物語

スウェーデン・ロマの作家カタリナ・<カティツィ>・タイコンの作品は時を経てもなおヨーロッパの多くの人々の心に残っている。タイコンの最も有名な作品である半自伝的な『カティツィ』は1940年代のスウェーデンを生きたロマの少女の物語を描いたもので、もともと子供向けに書かれ1979年にはテレビドラマ化されたが、偏見の現実を描いて大人にとっても示唆に富んだ著作である。
主人公<カティツィ>は9歳のときに養護施設から家に連れ戻されるのだが、施設での彼女はその無邪気さによって当時のスウェーデンでロマが直面していた偏見をさらに際立たせている。この本は異なる文化の理解を助けたばかりでなく、スウェーデンやその周辺国が抱える政治や社会の問題を大人の読者に気付かせることになった。彼女の著作は他の言語にも翻訳出版されており、その影響はさらに広がっている。
カタリナは1932年スウェーデンのエレブルーという町で生まれた。正規の教育を受けずに育ったが、女優としての才能を見出され、1948年には10代の少女の役で映画デビューした。カタリナはロマが平等に扱われることを信念とし、文学の領域のみならずその大義のために闘った。勇敢にも、新聞社や政府、議会、政党に働きかけロマの声を聞くように訴えた。また、スウェーデンのロマに関して大学で講義をおこなったりもした。スウェーデンにおけるロマの歴史は長いが、カタリナはロマについて公に発言する数少ない人間の一人だった。
今日スウェーデンに暮らすロマの人口は4万から5万と推定され、いくつかのサブグループに分かれる。最大のグループはトラベラーズと呼ばれるグループで、14世紀にはこの国に住み始めたとされる。ほかに、フィンランドから移ってきたカーレや1990年代に内戦下のユーゴスラビア、特にボスニア・ヘルツェゴビナから来たおよそ5千人のロマ難民などがいる。
2006年、スウェーデン政府はロマの問題に関する特別委員会を立ち上げ、異なるロマのサブグループから専門家を招聘した。同委員会にはロマの生活水準の改善について提言をまとめることが求められた。
しかし、4年後に50人のEU市民であるロマが突然国外退去にされると、スウェーデン当局は厳しい批判にさらされた。欧州評議会の人権委員を務めるスウェーデン出身のトマス・ハマーベリ氏は、自分の国の人間はロマの差別に力を貸しているとして次のように述べている。「ロマの人々は政治家にとっては社会に対する脅威だと映っているのです。逮捕や集団退去の危険にさらされています。」
そういう意味では、カタリナの妹のローサがユネスコの刊行物に、大人の心から偏見をなくすことは難しいと書いた1980年代から、事態はあまり変わっていないのかも知れない。カタリナはそれをわかっていて、カティツィの物語を書いて子供たちに少数民族のことをもっと知ってほしいと願ったのだ。
 ローサは20世紀を生きたロマとしてその経験を語り続けている。そして、何よりもロマの教育には特に関心を寄せている。彼女は言う。「私はスウェーデンで生まれたスウェーデン国民でありながら、33歳になるまで学校に行ったことがなかったのです。」1982年カタリナは心臓病を患い寝たきりになった。それ以来起き上がることなく、1995年63歳で亡くなった。しかし、スウェーデンにおけるロマの子供の教育に対する思いはヨーロッパのすべての年代のロマの間に響き渡っている。(市橋雄二/2012.3.18)