在日朝鮮人2世で日本語教師をしているリエ、朝鮮総連幹部の父、そして母の3人家族のもとに、25年ぶりに兄ソンホが北朝鮮から戻ってきた。脳腫瘍の治療のため3ヶ月の許可をもらっての帰国である。北からの監視員が常に身の回りに張り付く。
映画の視点は妹リエの兄への憧憬をたたえたまなざしが中心的であり、リエの存在が安藤サクラの実存感あふれる演技で、閉塞感漂う物語に伸びやかさを与えている。
多くを語らないソンホにそれぞれの思いといたわりを抱く家族、友人たちとのぎこちない会話や「白いブランコ」を歌うときに染み出す懐旧の情などを通じて浮かび上がってくるのはソンホを覆う見えない壁の不条理であろう。ソンホはまた「その不条理が支配する」あの国へ戻るのである。
北を理想の祖国と考え、在日コリアンの北への「帰国事業」が始まったのは1959年(1984年まで続く)。 北は「地上の楽園」と思われていたし、日本での在日への差別はいま以上に強かったから「帰国」を選ぶ者は多かった。父親が帰国事業を推進する総連の幹部だけに自分の息子を北に行かせない選択肢はなかったのだろう。私も中学、高校時代にクラスから数名の友人たちが帰国するのを経験している。
病院で脳腫瘍の治療をすることもかなわず、急に本国からの指令で帰国することになり、さまざまな人々の思いは以前複雑なまま時間は過ぎていく。
不条理な国家間の軋轢や歴史的問題に翻弄される人々を描くことはどうしてもある種のパターン化された描写になりがちだ。たとえば、監督は北朝鮮を描くとき「自由のない不条理の国」「食うにも困る不幸な国民たち」という固定観念から離れられない多くの日本人の観客層を相手に制作するという難しさに直面する。
しかし、監視員役にヤン・イクチュンを起用したことが、監督も予想できないほどの衝撃を日本人観客に与えたのは間違いない。
この映画の最大にして、稀有の成功は監視員役の設定である。ヤン同士を演じるヤン・イクチュンの全身から漂う不可思議な雰囲気とふと垣間見せる人懐こさと戸惑いは北からの監視員という既成の概念を打破する。セリフも短いものが多く、少ない。ただ「自分は北で死ぬまで生きていく」という意味のセリフは、抑制が効き、万感がこもっているように聞こえた。あの国に生きる人々の呼吸までヴィヴィッドに伝え、「不幸な国民」という固定観念で思考停止する我々の貧しい想像力に、監視員のまなざしが突き刺さるのだ。
ヤン・イクチュン監督・主演の「息もできない」では、瞬発力と爆発的な表現力に脱帽したが、今回はほとんど演技と言えないほど抑制され、動きが少なく、かすかな表情の変化や微妙なまなざしだけで観客の視線を集中させてしまうのだ。とにかく実在感が凄い。
国家間の不条理の地平を切り開くのは人間の日々の営為でしかないという手ごたえを日本人の観客が感じたとすればこの監視員の人物像の造型が寄与したことは間違いない。ヤン・ヨンヒ監督の光栄ある代表作になるだろう。