《ジェレム・ジェレム便り39 》〜 ポーランドのロマ詩人<パプーシャ>に今、光を当てた映画

  • 第48回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭*(2013.6.28-7.6)のコンペティション部門に正式出品された映画『パプーシャ(原題:Papusza)』**の監督とのインタビューから。
     パプーシャ(「人形」の意)の名で知られるブロニスワヴァ・ヴァイス***は、ポーランドのジプシー(ロマ)社会で詩人として名をなした最初の女性である。しかし、外部者に秘密を漏らさないことを掟とするロマ社会において、パプーシャの名声はさまざまな波紋を呼んだ。クシシュトフ・クラウゼとその妻ヨアンナ・コス=クラウゼの共同監督によるポーランド映画「パプーシャ」はこの詩人の生涯を描きながら第二次世界大戦の前後にロマ社会が直面した迫害の様子も伝えている。
     「高校時代とてもいい先生がいて、それで私はパプーシャという詩人のことを知ることができたのです。」とコス=クラウゼは語った。「ポーランドではパプーシャのことを知る人はほとんどおらず、その生涯は神話や伝説に包まれています。それで、この10年映画を作ろうにも、鍵となるものが見つけられませんでした。いかに詩を見せるかということです。6年前友人に訊かれたことがありました。パプーシャのハープというオペラがあるのを知っているかと。その後、パプーシャの詩をロマの言葉でオペラにした作曲家を見つけることができました。これでようやく鍵が見つかって、どのように物語を見せるかのインスピレーションを得たのです。」
     「映画は長くゆっくりしていて、大勢のキャストを使って白黒で撮られていますが、これは単に詩人の生涯だけでなく敢えてロマ社会全体を描こうとしたためですか。」
     「制作過程自体が映画になりそうです。」コス=クラウゼは苦笑した。「とにかく大きなチャレレンジでした。すべてを作る必要がありましたから。たとえば、ロマの幌馬車は博物館に2台しかありませんでした。それから、年老いていくパプーシャのメイクにも苦労しました。結局ハリウッドのメイクアップスタッフを使うことにしました。白黒で撮ったのは主に経済的な理由からです。コンピューターグラフィックスもたくさん使いました。多くの場面で予算が不足したので、ポストプロダクション(撮影後の編集)で加工せざるを得なかったのです。」
     「ロマの方言にも気を配りました。」コス=クラウゼは続けた。「すばらしい役者さんたちでしたが、難題はポーランドのロマ語方言を覚えることでした。ポーランド語とは全く異なります。プロの俳優は二人だけでしたが、彼らはロマの言葉を覚えるためだけに一年を費やしました。私たちがこだわったのは、ただ台詞を覚えるのではなく、言葉として話すということでした。最初はそこまでこだわっていなかったのですが、友人が言ったのです。いや、ロマの言葉で作るべきだと。そうでないと意味がない。アウシュビッツやゲットーで皆英語を話しているという映画は山ほどあるが、今回はそれではダメだと。」
     この映画では時間軸が一定ではありません。「最初に決めたことは時間の経過通りには物語を描かないということでした。最初から長編叙事詩になることがわかっていました。なにしろパプーシャと80年のロマの生活を描くわけですから。それを情感豊かに描きたかったのです。そうするに値する内容だったからです。ポーランドでのジプシーや現在ロマの置かれている状況を多くの人に知ってもらえることを願っています。ポーランドでの公開に合わせて詩集が出版されることになっています。」
     コス=クラウゼと夫のクシシュトフにとって、この映画はカルロヴィ・ヴァリ映画祭との長い関係の新しい一章となるものだ。2005年夫妻は『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』でグランプリを受賞している。「9年前映画祭は私たちの映画を選んでくれました。それによって大きく生活が変わりました。」とコス=クラウゼは言う。「私たちの映画作家としての生活。そして、私生活も。この映画祭は『パプーシャ』にとっていい場所だと思います。カンヌでもなく、ヴェネチアでもない。ヨーロッパのこの地域のための最も重要な映画祭です。」
     次の作品は。「11月に撮影を始めます。ポーランドのある鳥類学者の物語です。1994年のルワンダで友人の娘を助けヨーロッパに連れて帰る、という話です。」
    (市橋雄二/2013.8.4)
    *) チェコ共和国西部の都市カルロヴィ・ヴァリで毎年行われ、国際的にも権威のある映画祭。
    **) 結果はスペシャル・メンション賞を受賞。日本での公開は未定。
    ***) パプーシャ(本名:ブロニスワヴァ・ヴァイスBronislawa Wajs (1908-1987)については、イザベル・フォンセーカ『立ったまま埋めてくれ』(青土社、1998年)のプロローグの中で詳しく取り上げられている。