《ジェレム・ジェレム便りNo.40》ジプシーと共に暮らす:ヤン・ヨールスによる戦前の写真展

ニューヨークのアンネ・フランクセンターUSAは2014年1月3日から、「ジプシーと共に暮らす:ヤン・ヨールスによる戦前の写真展」を同センターにて開催する。この写真展ではヤン・ヨールスの体験と戦前のロマ(ジプシー)の歴史、文化、習俗の記録が展示される。ヨールスがロマの家族との生活の中で撮影した写真は、ロマの人々のありのままの暮らしを伝えている。今回の展覧会は34枚の白黒写真により、失われた世界の映像記録を広く公開するものである。

ヤン・ヨールス(1922−77)はベルギーに生まれた。12歳のときにアントワープの郊外で出会ったロマの一団に入るため、中流階級の家庭を飛び出した。一団はヤンを迎え入れ、6年にわたって暮らしを共にした。冬場は自分の家族のもとに帰り、春になるとロマの家族との旅に戻るという具合だった。第二次世界大戦が勃発すると、ヨールスは英国軍に参加するためイギリスに向かった。占領下のパリでのこと。女子修道院で通行証の発行を待っていると英国の情報部員が接触してきて、連合国を支援するためロマを雇ってほしいと持ちかけられた。ヨールスはこれに同意し、ロマの仲間とともに隠密裏にレジスタンスに武器を届けるなどした。1943年、ゲシュタポにより逮捕され、パリのサンテ刑務所の独房に収容された。死刑を宣告されたが、6ヶ月間断続的に拷問を受けたあと1年間の拘置に減刑された。

アンネ・フランクセンターUSAの名誉理事でオランダの駐ニューヨーク総領事ロブ・デ・ヴォス氏によると、ヨールスの釈放後、連合国は連合国捕虜の列車による移送の許可証を持つナチス親衛隊員になりすますよう手助けしてヨールスを逃がしたのだという。墜落したパイロットや情報部員、敵から逃れてきた兵士たちの面倒を見ながら移動していたところ、20歳になったヨールスは再び捕らえられた。1945年、悪名高きフランコのミランダ強制収容所から釈放されたときには、ヨールスが共に過ごしたロマの家族はほぼすべてアウシュヴィッツで亡くなっていた。戦後、ヨールスは世界を旅しながら出会ったロマの写真を撮り続けた。

1977年11月、ヤン・ヨールスは55歳で心臓病のため亡くなった。ヨールスは主に東欧のジプシーに関する文章と映像による記録とともに多くの芸術作品を残した。この展覧会はニューヨーク市文化課の主催、アンネ・フランクセンターの公式エアラインであるKLMオランダ航空の協力により開催される。アンネ・フランクセンターはどの宗教にも属さない非営利の教育機関で、1977年アンネの父親オットー・フランクにより設立された。
(市橋雄二/2013.9.16)