映画「きみはいい子」〜切実感に満ちる

  • 「そこのみにて光輝く」で鮮烈な印象を残した呉美保監督の新作であり、現在最も次回作が見たい映画監督の一人でもある。そしてその作品は、十分期待に応えるものであり、充実感に満ち、問題意識に溢れた作品に仕上がっている。
    現代日本社会に巣食う病巣の数々ー幼児虐待、認知症、いじめ、学級崩壊ーそのどれ一つを取り上げても難問が横たわり、解決困難で深刻なテーマであるが、呉美保監督はこれらを包含した群像劇に仕立て上げるという荒技を駆使しながら見事な人間復活ドラマになっている。
    好人物らしいが、担任のクラスを引率するのに四苦八苦している小学校教師(高良健吾)、我が子に暴力を振るってしまい、悩む母親(尾野真千子)、認知症の兆しを見せる一人暮らしの老婆(喜多道枝)などが同じ町に暮らしながら、それぞれの悩みを抱えながら生きる様を描く。それぞれの様相を的確な演出で掘り下げながら、丹念に悩む人のこころに寄り添うようなカメラが秀逸だ。
    明快な解決法など何もあるはずが無いのは、見る側も分かっているにもかかわらず、思わず
    見入ってしまい、一緒になって悩んでしまう気分にさせられるのは物事の本質に視点がフォーカスしているからだろう。抑制の利いたカメラワークが、シーンの緊迫感を生み出し、劇的であり、余韻を生み出す。クローズアップは意識的に使わず、或る一定の距離感を保つという呉美保監督の演出意図が明確である。そして音楽の使い方も上手い。
    秀逸な場面が幾つかあるが、孤独な老婆と障害を抱えた少年との交流は、胸が熱くなるものがあり、少年の奇矯な振る舞いが心地よいものに変貌するかのような気持ちにさせられ、はっとするのである。自閉症役の少年の演技が迫真に満ちている。
    出口が見えないような状況ながら、そのなかから少しずつ希望めいた芽がうごめきだす予兆のようなものを暗示して映画は終わる。「そこのみにて光輝く」のラストシーンは忘れがたいほど美しいものだったが、この映画のラストも唐突ながら余韻が残り印象的だ。
    呉美保監督が素晴らしいのは日本の現代社会を見つめる眼の確かさにある。低い視座から、ひたすら現実を捉え、やたら性急な解決策を提示するという安易さに満ちた作品群とは一線を画しつつ、苦悩し続ける人々に寄り添いながら、浮かび上がってくる希望のようなものを見逃さないで映像化する力がある。そしてその映像は切実感に満ちている。呉美保という監督の存在はますます大きなものになってきた。