乱舞の足音を追う〜「乱舞の中世ー白拍子・乱拍子・猿楽」(沖本幸子著)

  • 中世というと思い浮かべるイメージは武士の時代、能・狂言や茶の湯など伝統芸能が生まれた時代であり、禅・仏教やわび・さびなども思い浮かべる。著者はこうした概念に加えて「乱れる中世」という視点を提案する。そのことを体現するものが、戦乱の時代の大流行した「乱舞」(らんぶ・みだれまい)である。
    それは、白拍子・乱拍子と呼ばれるリズミカルな芸能の登場であった。伴奏楽器は鼓が中心で、鼓がない場合は笏(しゃく)や手ではやしたらしい。
     白拍子とは静御前などの女性芸能者の芸能として完成されていき、稚児などにもその芸を継承させながら、プロの芸能として愛好されるようになる。
    一方の乱拍子は乱舞の代名詞ともなり、即興性と勇壮な足拍子を特徴としながら、僧兵のような下級僧侶たちの延年の芸能として花開いていく。
    本著は、現代ではもはや滅びた芸能である白拍子・乱拍子という芸能が、能の根源とも言える<翁>の成立に深く関わっていたとの思いから、白拍子・乱拍子の身体性、乱舞の身体性がいかにして能の身体性として内在化され、昇華されていったかを芸能史的に解明している。
     観阿弥・世阿弥父子によって能が大成される遥か200年前から、<翁>という猿楽のルーツとでもいうべき芸能は猿楽の看板芸だった。平安後期11世紀半ばの、宮廷芸能の中心は雅楽( オーケストラ)だったが、これに対してその他の芸能一般は猿楽・散楽と呼ばれていた。
    猿楽には大陸由来の曲芸や幻術、各種滑稽芸が含まれ、弾き語り・祝福芸・ものまね・寸劇・人形劇などが活況を呈していた。その後、歌う帝王、後白河院時代の今様(宮廷歌謡歌詞集「梁塵秘抄」が有名)の流行をへて、あらゆる階層の人々が乱舞に興じるようになる。中でも衆徒と呼ばれる下層僧侶の得意芸として乱舞は多様な芸へと展開していった。
     日本芸能史の中で能という芸能の占める位置は独自・独特のものがある。
    現在は幽玄・わび・さびというベールに包まれた高尚な芸能になっている能のルーツが中世時代から列島の芸能熱・あらゆる貴賎の人々の身体を乱舞させるように、流行していた白拍子・乱拍子に深く根ざしているという本著の指摘には、能が持つ芸能としての懐の深さを感じさせるものがある。能には揺るぎない身体性(身体表現の奥義)が連綿と内在化されてきた歴史があるようだ。
     宮廷の場で様々に行われる諸芸能の数々は昭和時代にまでその痕跡をうかがわせるものが多々あった。放浪諸芸を訪ねてきた身には本筋から外れて記述されている、細々とした雑芸(話芸・寸劇・なになにつくし・しりとり芸など )にも興味が湧く。宮廷の場を離れて、放浪諸芸の漂泊人、流芸の輩になり、列島各地を闊歩した姿が眼前に浮かぶ。彼らの流した汗と涙と血は、芸能の水脈となり、列島に染み込み、後に続く芸能者への道しるべともなっていったのだ。
    著者の研究の深さを十分伺える労作であろう。(吉川弘文館)