ローカルを突き詰める〜映画「苦い銭」の清々しい後味

 

  •  中国の監督ワン・ビン(王兵)の映画は”カメラを消して”対象を追うドキュメンタリー手法で知られ、本サイトの映画評でも「三姉妹〜雲南の子」(2012年)を取り上げたことがある。新作「苦い銭」は農村から都会の工場に出て働く出稼ぎ労働者、いわゆる農民工たちを描いているが、対象にぎりぎりまで接近し、まったく明かりのない場所でも照明を使用しないなど、今回もカメラの存在を感じさせず、観客はあたかも当事者の一人としてその場にいるかのようにカメラの主観映像に没入することになる。
     映画は雲南省昭通市巧家県(中国の市は日本の県、県は市に相当する)に暮らす少女が、家族に別れを告げてバスと列車を乗り継いで浙江省湖州の縫製工場に向かうところから始まる。ベトナム、タイ、ミャンマーなど経済発展の著しいメコン川流域諸国との国境に位置し、これらの国々との通商貿易を通じて繁栄する雲南省にあって、昭通市地域は国境線から遠く、住民の多くは農業で生活しているため、現金収入を増やすには農民工になるほかない。
    しかし、映画では字幕もナレーションもなくそのようなことは一切説明されない。湖州の工場(と言ってもアパートの一室にミシンを数台並べただけの小さなもの)にはすでに何人もが他の地域から出稼ぎに来ているが、唯一名前と出身地がテロップで表示され、安徽省や河南省の人だとわかる以外、これらの人物の背景はわからない。こうした人々のそれぞれの日常が淡々と映し出されるのだが、他人の会話を途中から聞くのに似て、観客は会話の断片から状況を想像するしかない。しかし、長回しの映像を見ているうちに、遠い異国の人々が交わす会話にも関わらず、字幕を追いながらとてもリアルに事情が飲み込めてくるから不思議なものだ。
     仕事になじめず早々に帰郷する若者、ささいなことで口汚く罵り合う夫婦、酒に金をつぎ込み携帯電話の通話料すら賄えない男など農民工たちの様々な日常のシチュエーションが映し出される。そうしていつの間にか彼らの暮らしにどっぷりつかって見ているうちに突然シーンの途中で映画は終わる。滔々と流れる時間のA点からB点をたまたま切り取ったにすぎないといわんばかりの終わり方だ。映画を観終わってみると、2時間半付き合って来た登場人物たちがどこの国のどういう背景の人であるかはもはや関係なく、人間そのものの生きる姿を見せられて来たことに気づかされる。
     文字通り「苦い銭」を汗して稼ぐ農民工を題材に悲哀の物語で終わらせないのはワン・ビン監督の本領発揮といったところだが、観る者を人間賛歌の肯定感とともに清々しい気持ちにまでさせる腕力にはただただ脱帽するばかりだ。ローカルを突き詰めることによってグローバルに到達する見事な事例と言えるだろう。
    (2018.3.26/市橋雄二)