粟国島に住む新城家が舞台で、長男(筒井道隆)は、母(筒井真理子)の仙骨のために4年ぶりに戻ってきた。実家には父(奥田瑛二)が一人で住んでいる。そこへ長女(水崎綾女)が帰ってくるが、その姿から家族の動揺と絆を巡っての物語が展開する。
沖縄を舞台にした映画というと今村昌平監督の「神々の深き欲望」(1968年公開)というとんでもない重量級の作品があるが、50年という時を経て、沖縄出身の監督、照屋年之(ガレッジセール・ゴリ)によって撮られたということは興味深く、”沖縄”の意味する概念の歴史的変容を思うのである。
何よりも粟国島の自然の描写が心和む。特に意識的に自然・風景を美学的に描写することなく、土地の人間たちが普通に日常を生きている世界として捉えているのがいい。俳優たちも皆、存在感があり、生き生きしているが、奥田瑛二が抑制の効いた演技が好ましく、大島蓉子の怪演ぶりもいい。
“お笑い”のブリッジでモンタージュしながら、終盤のクライマックスへと進むのだが、洗骨という始原的な行為の持つ、野性と荘厳さに圧倒されるとともに、東南アジアから連なる琉球弧の民が伝えてきた死生観と死者との絆の深さに思い至るのである。