BONE MUSIC 〜自由を求めて作られたソビエト時代の「手焼き」のレコード

デジタルの時代になって使われなくなったが、かつて写真をプリントすることを「焼く」と言った。そのアナロジーからか今日でも音楽や画像ファイルをメディアにコピーする際に、たとえば「ROMに焼く」などと言ったりする。そして、身近な機器を使った少量複製のことを「手焼き」という。先日、「BONE MUSIC展」なる展覧会で、まさに手焼きのレコードを間近に見る機会を得た。

BONE MUSICとは、使用済みの、つまり人間の骨が映ったレントゲンフィルムを丸くくり抜いて、自作のカッティングマシーンで音を刻んだレコードのことだ。西側の文化や情報が極度に統制されていた冷戦時代のソビエトで、「セントルイス・ブルース」などのジャズや「ハートブレイクホテル」(エルビス・プレスリー)などのロックンロールといった発売禁止楽曲がレントゲンフィルムに違法にコピーされ、路上で密売されていたのだ。片面のみの78回転で録音時間は約3分。一枚一枚カッティングされたため音質もそれぞれ異なっていた。発売禁止とされた音楽にはジプシーの歌も含まれていたという。
驚きなのは、メディアがパーソナル化するはるか以前に、大量生産(プレス)を前提にした工業製品であるはずのレコードが手焼きされていた事実だ。禁制下、摘発される危険と背中合わせになりながら自由を求めて地下にもぐって機器を操るマニアックな愛好家の姿が目に浮かぶ。その姿は妨害電波のフェージング(電波は電離層などの気象条件などによって強まったり弱まったりする)の谷間からVoice of Americaなど西側の放送を聞こうと根気よくラジオに耳を当てていた旧共産圏のラジオリスナー(今も一部に残るのが現実だが)たちとも二重写しになる。

展覧会では、手のひらや頭蓋骨の映ったレコードや手焼きに使われたカッティングマシーンのほか、手焼きの方法を解説した当時のアマチュアラジオ雑誌などが展示され、そのほか作り手たちのシャック(工房)を再現したコーナーや当事者のインタビュー映像の上映などもあって、当時の状況を生々しく伝えていた。シャックの中に反体制の詩人・俳優・シンガーソングライターにしてソビエト時代の国民的ヒーロー、ヴラジーミル・ヴィソツキーの小さな写真が立てかけられていたのが印象的だった。

実は、このBONE MUSICについては「肋骨レコード」という名称ですでに何年も前に日本に紹介されていて、北海道新冠町のレコード博物館レ・コード館には一部が収蔵されているという。今回の展覧会は二人のイギリス人が収集したコレクションをベースに世界各地を巡回しているもので、日本での公開は終了しているが、このプロジェクトの全体像は公式サイトX-RAY AUDIO.COMで詳しく紹介されている。いくつかのレコードについては、実際の再生音も聴くことができるのだが、エラ・フィッツジェラルドの「バードランドの子守唄」をこういう音で楽しんでいた人たちがいたということに衝撃を受ける。
(2019.5.19/市橋雄二)