「浪花節で生きてみる!」〜玉川奈々福

一時は滅びかけ感が強かった浪曲・浪花節に光を当て、新たな命を与えながら、自らも浪曲師として精進してきた道程を綴った一種の日本芸能論であり、浪花節論であり、芸道修業話でもある。専門的な楽屋話にならないで、伸びやかな筆致も鮮やかに、日本の浪曲界を照射しながら芸能の本質に迫る視座の深さも備えている。

出版社の編集部につとめる奈々福が一生の習い事として始めた浪曲の三味線弾き・曲師から修業時代を経ながら様々な師たちとの出会いを通して浪曲師になるまでの悪戦苦闘ぶり,例えば師匠との三味線の稽古や浪曲師の声のあり方への模索など、難行苦行の様々な修業は本人の実体験からの実感であり説得力に富んでいる。

芸人を志望してその道に飛び込むのとは、決定的に違い、浪花節のなんたるかも知らず、習い事としての浪花節への意識から、次第に浪曲師として生きていく覚悟を醸成していく心模様の変貌の過程を辿れることができるのが、本著の最大の魅力である。

読みながら当人になったような気分にもなり、のたうち回るような芸道の厳しさ・理不尽さに絡め取られながらも、浪花節が日本芸能史に中で賎視を受け続け、大道の芸能者であった歴史を逆にバネとして、強みとする背筋の通った姿勢にエールを送りたい。

小沢昭一さんが亡くなった後、小沢さんが残した夥しい写真を構成して「芸人の肖像」(ちくま新書)という本を出す作業の中で、編集者としての奈々福さんに初めて出会った。当然、当時は本名で仕事をしていたが、編集者としての雰囲気を持ちながらも、なんとも言い難い容量の大きさが感じられ、後に浪花節家でもあると知り、納得した覚えがある。

この本に漂う浪花節の匂いが素晴らしい。曲師の沢村豊子の三味線の音を「ひゅんっと、心狂わせるような、ダイヤモンドの粒のような、超美しい音色」と表し、師匠、2代目玉川福太郎への憧れと尊敬、名人で偏屈な国友忠からの稽古ぶり、そして国本武春への憧れと別れなどなど、東京の浪曲界の雰囲気が偲ばれる。

昭和40年代半ばから小沢さんと取材で大阪を幾度となく訪れたが、中でも小沢さんが生き生きとしていたのは関西の浪花節界の大物たちを訪ねているときだった。初代広沢虎吉、広沢瓢右衛門、筑波武蔵、梅中軒鶯童などなどが、それぞれ体現していた独特の風格・匂いが、日本社会から受けて来たものと、語り芸の中でも落語・講談よりも下に見られて来たという二重の賎視の歴史を跳ね返して来たエネルギーから生じるものだった。奈々福さんの描写する世界にも同じような匂いがしている。

さらに玉川奈々福のプロデュース公演能力にも注目だ。「玉川奈々福がたずねる語り芸パースペクティブ」は節談説教、瞽女唄、義太夫、講談などを辿りつつ、浪曲への流れを検証する試みで各界の研究者などから多くの知見を交差させた。韓国のパンソリとの共演による語り芸の系譜への考察などなど。これらには浪花節、浪曲を地球上の芸能の水脈に繋がっている日本の芸能として捉え直そうという意思を感じる。

実演者でありながら芸能の本質を見極めようとする志向は小沢昭一さんに通じるものがある。

透徹した視線と熱い心情そして程よい滑稽味。

そして何よりも彼女の一番輝くのは舞台であり、登場してくる立ち姿にはあたりを払う華がある。これぞ舞台人・芸能者のみが獲得できる栄光である。(さくら舎)

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