「心淋し川(うらさびしがわ)」西條奈加〜 江戸、市井の人の息吹と哀感

読み終わった直後よりも、日にちが経つほどに各篇の登場人物の面影や佇まいの様が浮き上がり、江戸庶民の哀感に思いを馳せてしまう深い味わいを湛えた連作短編集だ。

江戸時代、千駄木町の一角にある心町(うらまち)の古びた長屋にすむ住民たちに焦点を当てる。そばを心淋し川(うらさびしがわ)と呼ばれる淀んだ川が流れている。塵芥で流れることがなく、夏を迎えると悪臭を放つような川。

○鯖売りだったが、今は酒浸りの父と、愚痴だらけの母。19歳の娘、ちほは針仕事をしながら家計を助ける日々。1日でも早く長屋からの脱出を願っている。そして色街の仕立て屋の絵師職人との逢瀬。(「心淋し川」)

○4名の妾を囲う男とその一人のりきという女。小刀で仏像彫りが趣味だ。(「閨佛」)

○腕がいいのに不器用な性格が災いして裏長屋で飯屋を営む男と、偶然知り合った少女とのふれあい。(「はじめましょのあらすじ」)

○足の不自由な息子と、その息子への愛情に異常な執着を示す母親。(「冬虫夏草」)

○同じ遊郭に身を置いた二人の女性、ようと明里の運命の分岐。(「明けぬ里」)

○各篇に登場していた差配の茂十と物乞いの老人の宿命的な縁。(「灰の男」)

ここに登場する人々はいずれも貧しさや過酷な体験などで辛く、思うようにならない日々をなんとか過ごしている江戸の庶民像である。社会の底辺でうごめくように生き抜いている人の発する息使いや匂いが伝わってくる。当時の江戸の社会が抱えていた問題をあぶり出すというような視点ではなく、いつの時代にも共通する人の感情、感性に寄り添う姿勢が通底しており、絶望スレスレながら、ひそやかな救済も暗示している。

鯖売り、針仕事、絵師職人、仏像彫り、飯屋、遊郭、差配などの仕事に携わる人々を描くことが、結果的に江戸の町が内包する多彩・豊穣さを浮き彫りにするという重層的な仕掛けが巧みだ。

そこには著者のこの時代への限りない憧れのような思いがうかがわれ、時代を超えた価値観や感性を持っていた江戸の庶民への思いが心地よい。

この作品から伝わってくるぬくもりやイメージは、黒澤明の映画「赤ひげ」(1965年)が描いた、小石川寮生所に集まる貧しい庶民像に重なるものがある。原作は山本周五郎(「赤ひげ診療譚」)だが、黒澤の映像がとらえた江戸市井の人々のイメージの迫真性は「心淋し川」から感得するイメージに重なってくるのである。

ここである種の思いが浮かぶのだ。この連作短編集は映画化とかテレビ化に向いている好編だが、浪曲師、玉川奈々福に浪曲化してもらい、連続語り物として舞台化してもらいたいと考えるのは見当違いか?彼女の感性や才能からすれば、十分いけると思うのだが。第164回直木賞受賞作。(集英社)

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