《ジェレム・ジェレム便りNo.67》ポーランド・ロマ 祖母と孫の対話「今まで誰も聞かなかった」(下)シモン・グオヴァツキー

「うちは大きな家族だった。兄弟、いとこがたくさんいてね。野営地には50を超える幌馬車が停まっていたよ。春から秋にかけてはポーランドじゅうを転々として、冬場はポーランド人から家を借りるのさ。暖かくなりはじめるとすぐにまた移動を始めて。戦前、(私の)お父さんは有名な馬商人で、皆に尊敬されていた。うちの幌馬車はすばらしかったよ。全体に花の絵が描かれ、龍の彫り物がついていてね。これは一種の魔除け。女たちは家族の面倒を見ていた。食事の支度をし、川で洗濯をした。女は大概占いをやったものさ。ポーランド人に占いを聞かせては、お金じゃなくて食べ物をもらっていたね。夜が一番きれいだった。焚き火を囲んでみんなで歌って踊るのさ。老人たちはお化けの話や古いお伽話を聞かせてくれて、私たち子どもは輪になって座って一つの大きなお皿から食べ物をつまみながら話を聞いたものだよ。でも、全ては変わってしまった。」

おばあちゃんはしばらく黙り込んだ。

「家族が全員森の中で捕まったのさ。その一日で全てが変わってしまった。私はまだ小さかったから何が起きたのかよく飲み込めなかったが、何か悪いことが進んでいることだけはわかったね。そこは暗くて、空気が淀んでいた。狭い貨車の中に大勢が何日も押し込められたようだった。汗と糞尿の悪臭と恐怖。空気は薄く、人々は死んでいった。怖かったよ。これからロシアのシベリアに送られるという。何を意味するのかわからなかったが、それはすぐにわかったさ。

そんな時最初に頭に浮かぶのは空腹。飢えと寒さ。そこにどれだけいたのかも覚えていないが、一週間が過ぎ、ひと月が過ぎ、おそらく何年かが過ぎたんだろう。毎日が同じで、ただ過ぎていくだけ。親戚たちは死ぬか殺されるかした。こんなことに慣れる人はいないよ。こっぴどく働かされたけど、お金はもらえなかった。あの時の稼ぎはまだ生きてるかね?男たちは森の中できつい肉体労働。食べ物にありつけることもあったけけど、毎日じゃない。女たちも同じように働かされた。母さんは靴を持っていなかったので、足が凍傷になって、切断しなければならなかった。見張りがゆるかったので、私は収容所を抜け出して近くの村でパンを恵んでもらったりした。私たちが覚えた新しい言葉といえば、結核、赤痢、発疹チフス。」

おばあちゃんは疲れたようだった。話したくないこともあるに違いない。立ち上がると衣装タンスのところへ行って、しばらくして戻ってきた。手には白いキッチンタオルに包まれた小さなバッグを持っていた。

「生き残った者は何とかポーランドに戻って来られた。まだ戦争は終わっていなかったから森の中に隠れて生活したのさ。人目を避けるために幌馬車を色で飾るのもやめてね。50もあった幌馬車が数えるほどになって。寂しかったよ。お前のおじいちゃんルードヴィークの部族は今でも移動生活を続けているよ。60人くらいのとても大きな野営地でね。ちょうど新しい場所に移ったところだよ。そのお父さんは当時アウシュヴィッツにいた。ルードヴィックは母親から隣の村まで様子を見に行くように言いつけられた。村から戻ろうとした時、ポーランド人に止められた。向こうに行ってはダメだと。ナチスが幌馬車の野営地を襲撃しているからって。逃げようとしたが、ポーランド人たちは彼を行かせなかった。ついに戻った時には皆殺されていた。母親、兄弟、みんな。ナチスの仕業だった。ポーランド人が彼らを埋めてくれた。あたりには死臭が漂っていた。

何年か経ったあと、おじいちゃんのお父さんは哀悼を捧げようと再びその場所に戻ろうとした。しかし、途中で立ち止まると言った。「やっぱり行けない。」それ以来その場所には行かなかった。家族は隠れ続けたが、最後には再び捕まった。」

おばあちゃんはさきほど衣装タンスから持ってきた白いキッチンタオルに包まれた小さなバッグを開け始めた。中身は古びた身分証明書だった。

「これは私がいたゲットー(ユダヤ人やロマの居住区)の身分証明書。どんな場所だったか、とても一言では言えないよ。ここでも飢えと腐臭。人々はそこらじゅうで死んでいった。希望を失くし、多くの人が脱出を試みた。うまくいった者もいたが、捕まった者は処刑された。私の姉妹のうち二人がゲットーで亡くなった。他の家族の多くも同じように強制収容所でも亡くなった。そして、何人かが生き延びたのさ。」

ニュールンベルク裁判ではロマの証言者は一人もいなかった。1979年になってようやく西ドイツの連邦議会がナチスによるロマの迫害を民族差別と認め、ナチス政権時代の苦痛と損失に対する補償金請求の権利をロマに認めた。しかし、この時には権利を得ることができた者の多くがすでに亡くなっていた。

「今までこんな話をしたことある、おばあちゃん?」

「今まで誰も聞かなかったさ。」

(訳者あとがき)

この記事はロマの迫害の歴史を広く世に知らしめることを意図して、筆者が従事する肌の色や宗教による差別をなくすための活動の一環として書かれたものである。しかし、そうした意図とは別に、この聞き書きには当事者にしか語ることのできない貴重な証言が含まれている。それは、幌馬車で移動生活を送るロマとポーランドの地元民との関係に触れた部分だ。地元民はロマの女性に占いを頼み、ロマは謝礼として食べ物を受け取っていた。また、地元民の大人はロマの子供の命を守ろうとして行く手を遮った。そこにあるのは生活者同士の相互依存の関係であり、人間としての真心である。民族や国家という集団の論理を離れて一人一人の人間に立ち返れば、そこにあるのは平凡な日常だ。

そして、もちろんこれは過去に限った話ではない。われわれは今、個人の日常よりも集団の論理が優先される現実に直面し、行き場を失っている。

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