お笑い芸人のかたわら作家や映画監督としてもその才能を発揮する劇団ひとりの4作目となる小説である。大正時代に浅草六区で花開いた和洋折衷の大衆芸能〈浅草オペラ〉を題材に当地で時代を生き抜く人々の人間模様が描かれる。〈浅草オペラ〉は今から思えば日本の芸能史上における一大ニューウェーブであり、それまで日本人が知らなかった新しい娯楽形態を提供した。オペラとは称されるものの、オペラやオペレッタ以外にミュージカル、ダンス、演劇、コント、シャンソン、ジャズ、流行歌などさまざまな要素に満ち、今日のポップ カルチャーの源流を見てとることができる。実際、のちに昭和の時代に入り、ラジオ、レコード、映画が日本で本格的に立ち上がる際に、〈浅草オペラ〉出身の歌手、役者、作家、プロデューサーらが人材として重用された。
描かれるのは政府公認の遊郭吉原から溢れた非合法な売春宿の女郎たちの日常であり、交わされる言葉の主語は常に小さい。自らの境遇を嘆くわけでもなく逞しく愉快に生きる人々の生活の細部を等身大の目線で追いながら、まるでその時代を生きたかのような時代の匂いや明暗を感じさせる語り口が印象に残る。そして、〈浅草オペラ〉はその背景として、小さな穴から覗き見した華やかな舞台、あこがれの舞台として描かれるのだが、いつしか、そうした文体に導かれて、読者は人が動く舞台の映像を想像しながら、劇中劇を楽しむことになる。
そう、確かにこの小説は文末に「〜ている」を用いた情景描写とせりふからなる映画台本のようでもある。地の文には登場人物の視点から語り手が語る自由間接話法と呼ばれる心理描写が多用されていて、これを役者への演技指導と捉えれば、この一冊から容易に一編の映画が作れてしまうだろう。
著者が監督した映画『浅草キッド』がそうであったように、自らの芸人としてのキャリアの原点、ルーツを追い求めているようにも感じられる本作の映画化が待ち望まれるところである。著者が映画の中で再現する〈浅草オペラ〉の舞台をぜひ見てみたいと思う。