《ジェレム・ジェレム便り30》~ロマ、スィンティ、カロン:ブラジルの現実

移民問題を専門とするドイツのオンライン雑誌が、ブラジルのロマ社会を代表する二人にインタビューをおこなった。一人はジプシー文化支援研究センターの代表マルシア・ヤスカラ・ゲルパ氏、もう一人はNPO団体ブラジル・ジプシー大使館<フラリペン・ロマニ>の代表ニコラス・ラマヌーシュである。
(編集部)ブラジルにあるロマの三つのコミュニティ、すなわちロム(旧ユーゴスラビア、セルビア及び東欧諸国出身)、カロン(スペイン、ポルトガル出身)、スィンティ(ドイツ、イタリア、フランス出身)について、共通点、相違点は何ですか。
(ゲルパ)ロマ社会の構成員は同質ではなく、言語、生業、文化、社会の面で違いがあります。インターネット上にはロマに関する情報が数え切れないほど上がっていますが、すべてが真実ではありません。多くは様々に説明しようと試みているのですが、根拠に乏しく、ロマに関するイメージは15世紀以降ステレオタイプや民間伝承の形で定着しました。あるときは情緒的な、あるときは注意を喚起するような語り口で、現実と空想が入り混じっています。
(ラマヌーシュ)ロム、カロン、スンティは一様に<ロマ>を自称します。一方で、これらのコミュニティに属する個人は、それぞれ自分たちこそが本当のロマだと言います。他のコミュニティがロマであることを認めないのです。このことはロムであっても、カロンであっても、スィンティであっても、個人レベルではコミュニティの中でロマとしての意識を持っていることを物語っています。違いは様々で、ロマニ語の方言の違い、インドを出たあとに住みついた場所で後から身につけた文化的価値観の違い、インドを出る以前から有していたそれぞれのコミュニティの文化的特性の違いなどです。それではこれらの違いをひとつずつ見てみましょう。
・ 方言の違いが大きくロマニ語はいまだ標準化されていません。(ただし、1978年の国際会議でその必要性が議決されて以来、標準化の作業が続けられています。)
・ 定住地で獲得された文化的価値観は大きな違いを生みました。宗教を例にとれば、トルコのロマは多くがイスラム教に改宗しました。ギリシアに住みついた人々はカトリックやギリシア正教に、そしてアメリカ大陸に到達した人々はプロテスタントに、という具合です。ユダヤ人ならユダヤ教を信仰するというのとは異なり、コミュニティ毎に信仰する宗教が決まっているわけではありません。
・ インド時代に元来有していたコミュニティ独自の文化要素は、インド社会を身分階層に分けるカースト制から発しています。たとえば、結婚や葬送、寡婦の儀礼があります。主にカロンのコミュニティでは千年前のインドのカースト内でおこなわれていたものとほぼ同じ習慣がみられます。結婚は相互の両親の間で契約として取り交わされる、葬儀では故人の持ち物はすべて燃やされる、寡婦は生涯喪に服さなければならない、などです。
(編集部)ブラジルに住むようになって以来、ロマの人々は彼らのコミュニティ間においてさえ差別されてきました。言葉も差別の要素のひとつです。ロマとスィンティはロマニ語を話す一方で、カロンはシブ・カレというロマニ語にスペイン語とポルトガル語が混ざった言葉を話しているといわれますが。
(ゲルパ)ロマニ語はロマのオリジナルな言語ですが、インド起源の言語であると同時にペルシア語、トルコ語、ギリシア語、アルメニア語、クルド語などロマが通過した国の語彙がたくさんロマニ語に加えられていることを知る必要があります。その証拠に、ヨーロッパだけでもおよそ60の方言が話されていると言われています。私は、ブラジルでは、ロム・コミュニティのロマだけがいわゆるロマニ語を話しているとみています。その他のコミュニティの多くはカロを話しています。イベリア半島で話されている方言です。しかし、北部や北東部のカロは、ブラジルの南部や東南部で話されているものとは大きく異なります。ブラジルではロマニ語の語彙は保たれているが、会話ベースでは様々な変化が見られるということです。言語が失われつつあるということは残念なことです。
(ラマヌーシュ)言語に違いがあり偏見が生まれるということは自然なことで、人間が本来持っているものと言っていいでしょう。たとえば、その人口が2億に達するブラジルのような国では、方言の違い(北東方言と南部方言)が偏見を生み出します。南部で話されるポルトガル語は北東部で話されているより正確なポルトガル語である、というような言い方がそれです。実際の会話は文法で評価することはできないのですが、その事実を知らないことが人々を偏見へと向かわせるのです。
私の父親はフランス南部のサント・マリー・ド・ラ・メールで生まれました。父は第一次世界大戦の際の難民としてブラジルにやってきました。教養のある人でしたが、読み書きができませんでした。実際は四つの言語を話すことができたのですが、自分の名前のサインの仕方だけしか知りませんでした。しかし、私は父のことを教養のある人だと思っています。なぜなら、読み書きはできませんでしたが、自分の属するヴァルシュティケというスィンティの習慣や価値観を私に伝える術を知っていたからです。父にとっては伝統を伝えることこそが大事なことでした。
ゆりかごのなかで身につけた伝統が、<ジプシー大使館>を設立する動機となりました。団体の定款で最大の目的はわれわれの伝統的価値観の支援、維持、普及であることを謳っています。そして、ブラジル政府のサポートがなくとも、社会の底辺に生き、なかなか差別から抜け出せないカロンのコミュニティに対する社会福祉サービスを提供してきました。※次号へつづく。
(市橋雄二/2012.4.22)