「パゾリーニ詩集」~永遠の革新性

ピエル・パオロ・パゾリーニという名前ほど強烈なインパクトを与え続ける映画監督はいない。不可解な死後、35年が経つのに映画史を彩る「奇跡の丘」「アポロンの地獄」「王女メディア」などの幾つかのシーンが折にふれて鮮明に蘇る。
それは最近では「ヘブンズストーリー」「アンチクライスト」などを見ている時にパゾリーニのことを想起してしまうという具合である。人間の根源的諸問題をを突き詰めていくと、パゾリーニ的世界に突き当たる。永遠の革新性とでもいうべきか。
そこにはキリストの十字架への磔を戦慄すべきリアルさで描いた「奇跡の丘」、父殺しなどギリシャ神話を思わせる「アポロンの地獄」、プリマ、マリア・カラスを起用し、日本の地唄などを使った「王女メディア」の様式美などでの映画体験が風化しないで持続している不思議さがある。パゾリーニ体験の強烈さがある。
 そのパゾリーニの詩集(「パゾリーニ詩集」四方田犬彦訳 みすず書房)がでた。四方田犬彦翻訳による日本だけで刊行された詩集のようだ。パゾリーニの過去の膨大な作品群から、四方田が独自の視点で編纂したアンソロジーともいえる。
四方田犬彦のまえがきによれば、「畏友中上健次の死に始まった意気消沈から逃れるため、1993年にパゾリーニ詩集の翻訳を思い立った。」そのためボローニャ大学で研究生活を続け、ようやく刊行に至ったという。
 パゾリーニの詩人としての評価は以下のようである。少々、長いが同じくまえがきから引用する。
「20世紀を代表するイタリア詩人はだれであったか?この問いがそれ以前の時代であるなら、中世はダンテ、ルネッサンスはアリオスト、ロマン主義時代はレオバルディ、と答えは決まっているのだが、この百年ではとなると諸家の間では意見が分かれるだろう。(中略)だがイタリアの民衆に一番近いところにあって、日常生活の卑小な悲しみから天下国家の行く末までのいっさいを射程に入れ、この国の言語的多元性、多層性を肯定的に取り上げるばかりか、ときに過激な実験に訴えつつも伝統的な韻律に忠実であった詩人は誰かといえば、それがピエル・パオロ・パゾリーニであることを否定する人はいないだろう。」
 日本においてはパゾリーニはゴダールなどと並んで、1960年代から70年代にかけて一世を風靡した映画監督としての印象が圧倒的に強いが、彼の実像は詩人にして小説家、戯曲家、批評家、理論家であり常に現実社会にたいして挑戦的な論争を仕掛ける知識人だった。
彼の生涯において詩作が中心的所業であり、混沌、矛盾に満ちた現実世界を把握する方法のひとつが表現行為としての映画だったのだろう。彼が抱えていたであろう問題意識は余りにも多様で、複雑であり、のた打ち回るような懊悩に身もだえしながらの一生ではなかったか。
異端、貧困、抑圧、醜聞、自由、芸術・・様々なテーマにわたるパゾリーニの真剣な思索の過程が明らかにされ、彼の映画つくりと照らし合わせ、その背景などを探る上で重要な資料でもある。
翻訳詩集を読むということは、言葉の厳密なニュアンスを探る上で、翻訳者の力量にほとんど帰依しなければならない。その意味では四方田犬彦の立派な仕事に感謝しなければならないだろう。最後に好きになった詩をあげる。
「ローマ1950」より
・・・・・・
この十月に聖ルカの丘は
 
どれほど涼しげなことか、
円形競技場を上から覆う海の、その上で。
あるいはトリエステの九月二十日通りで
涼気を含んだ草花とか
白く悲しげな橋桁とともに。
ラジオから微かにタンゴが流れてくる、
なにかの伴奏のように、絶望しきって
蚊のなくような音で。ローマの
祭りの輝きは忘れられた、ぼくの憂鬱は
眠たげな眩暈の前に負ける・・・・