フランスのジャンゴ・ラインハルト生誕100周年~ジェレム・ジェレム便り⑩

 100年前に生まれたジプシー・スイングの創始者ジャンゴ・ラインハルトは今でも最高のギタリストと評される。フランスでは、この偉大なるミュージシャンの生誕100年にちなんでCDの特別記念盤が発売され、テレビの特集番組が組まれている。

 ベルギーやフランスを放浪するジプシー(マヌーシュ)の野営地に生まれ、パリ郊外で育ったジャンゴは、小さい頃からバンジョーやギター、バイオリンを弾いていたが、18才のときに幌馬車の火事で右足に麻痺が残るほどの重傷を負い、左手の薬指と小指が自由に動かせなくなった。しかし、リハビリを経て奇跡的に杖の助けを借りて歩けるようになった。周囲からはもうギターの演奏などできないと言われたが、左手のハンディキャップが全く新しい音楽テクニックを生み出すこととなった。 彼は、ソロを演奏する際には無傷の2本の指と親指を使い、コードを刻むときだけ負傷した2本の指を添えた。

ジャンゴの独自性は1920年代のニューオリンズ・ジャズとフレンチ・ワルツ(アコーディオン伴奏による3拍子のダンス音楽)そしてジプシー音楽の融合にあった。そして、それはやがて「ジプシー・スイング」と呼ばれるようになった。1934年、パリのバイオリン奏者ステファン・グラッペリらとフランス・ホット・クラブ・クインテットを結成。この弦楽器のみによるユニークなジャズ・アンサンブルによってヨーロッパが一躍ジャズの一拠点に躍り出ることになった。そして、コールマン・ホーキンス、ルイ・アームストロング、ディジー・ガレスピーらと共演し、多くのミュージシャンがジャンゴから大きな影響を受けたことを明らかにしている。

 ロマ・スィンティ(ドイツのジプシー)の多くがナチの迫害に遭っていたとき、ジャンゴはパリにいて第二次世界大戦を生き延びた。伝えられるところによると、彼の音楽の才能を買っていたドイツ空軍の将校に庇護されていたという。

 生誕から100年、43才の若さで死去してから50年以上が経つ今日でも、ジャンゴの音楽は生き続けている。フランスで人気ジャズ奏者のリストには必ずクリスチャン・エスクードやビレリ・ラグレーンのようなジャンゴの流れをくむマヌーシュのギタリストの名前が入る。ジプシー・ジャズは常にフランスのラジオから流れているし、マヌーシュ・ジャズを聴かせるクラブはパリ中のいたるところにある。

 ジャンゴの名は日本においてもジャズファンには馴染み深い。今回の記事に触れてネットで調べてみると、誕生月の1月には東京で生誕100年の記念ライブイベントが開かれ、NHK-FMのジャズ番組で特集が組まれていた。さらに、日本ジャンゴ・ラインハルト研究会という団体もあって、かなり熱心なフォロワーがいる。ジャズもポピュラー音楽の発展の一つの原動力だとするならば、その貢献はビートルズやマイケル・ジャクソンに比肩しうると言っても過言ではない。(市橋雄二)

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