土浦の花火大会を見ての感想・連想

■2007.10.11  土浦の花火大会を見ての感想・連想。  
 
hanabi2007.jpg ○日本三大花火大会といえば、新潟県の長岡、秋田県の大曲そして茨城県の土浦というのが定説だ。たまたま土浦で生まれた私は小さいときから毎年のように見てきたが、それほど有名なものとは知らずにいた。大学に入って東京に移ってからは花火見物とは遠ざかっていたが、たまに電車から両国の花火などを見ても、身びいきもあり土浦の花火に比べると大分見劣りするななどと勝手に思っていたのである。
最近、5-6年は友人などを案内しがてら土浦の花火を見る機会が多くなってきたが、やはり良いものは良い。
開催日は毎年、10月の第1土曜日という設定で、日本国中で一番遅い時期に開催されるが、各地から屈指の花火煙火業者 が集い、技を競うプロフェッショナルの晴れの舞台でもある。土浦花火の花形・呼び物はスターマインという速射・連射の部門だ。大小の花火をいくつも組み合わせて一度に連射して、そのなかで一つのテーマを描きあげる。最近では音楽にのせて打ち上げるものがほとんどになった。スターマインはふた昔までは、裏打ちと呼ばれ広告仕掛け花火の添え物で打たれていたものだという。それが昭和34年、土浦全国花火大会競技大会が初めて速射・連射の部門を設けたのがスターマインが表舞台に登場した契機らしい。
今年は10月6日に行われ、80万人を超す人出でにぎわった。スピード感、リズム感、豪華絢爛、変幻自在・・。色彩とドンという花火音そしてテーマ音楽の融合・炸裂の連鎖にしばし酔い堪能した。翌日の新聞によると、山梨の煙火業者が優勝だった。
○この花火大会は筑波山のほうから流れてきて霞ヶ浦に流れ込む桜川の畔で行われる。昔は川幅も狭く、戦前は水害に悩まされて、川幅を広げてからでも3-40年は経つだろう。まだ川幅も狭く、霞ヶ浦にもワカサギ漁の雄大な帆をかけた舟(帆引き舟)が何百艘も見られた。筑波山を背にした帆引き舟の光景は私の日常風景であり、桜川は泳いだり、フナを釣る遊び場だった。
華やかな花火を眺めながら、過ぎ去った少年時代の桜川を思い返していると、なぜか当時、川辺にいた何艘もの水上生活者・船上生活者たちの姿、光景が陽炎のように浮かんできた。彼らの存在はずいぶん長い間私の脳裏から消えていたのだが、漂泊・放浪の芸能者そしてジプシー(ロマ)について考えるようになってから、様々な折に触れて、船上生活者の姿がよみがえってくることが多くなった。漂泊と人生についてこだわり続けてきたからか。この花火見物の夜も同様だった。
彼らの中には長期間河岸に滞留するものもおり、こどもたちは土浦の小学校に通学していたものもいたくらいだ。彼らがどのように生計を立てていたのか、今では知る由もないが、船上に干されていた洗濯物、懸命に働く母親たちの姿は忘れられない。水上生活者・船上生活者を描いた映画などは多くはないが、何といっても小栗康平監督の「泥の河」(原作・宮本輝)が有名だろう。河辺に住む少年と水上生活の少年の交流、水上船の中で春を鬻ぐ母親(加賀まりこ)など、いろいろなシーンが浮かぶ。また、つげ義春の「義男の青春」にものっていた記憶がある。(雑誌が見つからず未確認だが)
とにかく皆当時は貧しかったのだ。そのなかでも水上生活者・船上生活者を見つめる周囲の目は冷たかったように思う。流れ者、さすらいもの、油断のならないものとして蔑視の対象だったのはこども心にも伝わってきた。しかしながらいつの間にか彼らの姿も消えていき、ワカサギ漁の帆引き舟も消えていった。折りしも日本列島は高度成長への道を邁進し始める直前だった。

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