韓国映画「息もできない」:ヴァイオレンスから魂の浄化へ

韓国からまた素晴らしい才能が噴出した。エリートコース出身の映画青年では表現できない八方破れのエネルギーに満ちた映画作家、ヤン・イクチュンの鮮烈な出現である。
『息もできない』の主人公サンフン(ヤン・イクチュン)は借金の取り立て屋。
幼い頃、父親のDVが原因で妹と母親を失っているサンフンにとっては、気に触るものがあれば殴り、聞くに堪えない罵声を浴びせ、つばを吐き始終タバコをすい続ける。めっぽう喧嘩が強く、どこから見ても最悪のワルである。刑務所から出所してきた父親を毎晩、殴り、蹴飛ばすのが日常化しているようだ。
一方、サンフンから通りすがりにつばを吐きかけられた縁で彼と付き合い始めた女子高生ヨニ(キム・コッピ)も家庭崩壊の真っ只中にいる。
彼女の父親はベトナム戦争(65~75年)に従軍し、その苛酷な体験からか記憶障害で廃人同様になり家にこもる。死んでいる妻のことをまだ生きていると思いこみ、口癖のように娘に無理難題を吐き出す。
ベトナム戦争後、ソウル五輪(88年)を経て、表面的にはこぎれいな町に変貌した”タルトンネ(月の街)”と呼ばれるソウルの丘陵地帯に広がる元貧民街の住民たちの家庭が抱える家庭崩壊の現実を背景にバイオレンスに満ちた物語はいつしか青春映画の抒情性をおび始めるのだ。
サンフンは自殺を図った父親を病院に運び、自分の血を全部輸血してでも、生きさせると叫ぶ。自分の感情の噴出に戸惑いながらも、必死の出口を求め、その晩にヨニを漢江に呼び出し、ビールを飲む。ヨニに膝枕しながら、いつしか嗚咽がサンフンから漏れ出し、ヨニもその切なさにしのび泣く。抑制された抒情が端然と湧き上がる。韓国映画史上に残る一種のラブシーンになるだろう。
映画は最後に救いのない結末を用意しているが、暗然とした表情のなかにもきりりとしたヨニのまなざしから希望を感じ取れないこともない。
手持ちカメラを駆使しながら、極力、リハーサルなし、リテイクなしの撮影がぎりぎりの緊迫感を生み、暗い現実に向き合いながらも魂を浄化してくれる傑作である。
監督・脚本・製作:ヤン・イクチュン  編集:イ・ヨンジュン、ヤン・イクチュン  撮影:ユン・チョンホ  美術:ホン・ジ 録音:ヤン・ヒョンチョル 音楽:インビジブル・フィッシュ
出演:ヤン・イクチュン、キム・コッピ、イ・ファン
第10回東京フィルメックス 最優秀作品賞&観客賞ダブル受賞。