中国人ノーベル文学賞作家の魂の彷徨:『霊山』

2000年に中国人作家としてはじめてノーベル文学賞を受賞したフランス国籍の作家、高行健(ガオ・シンヂェン)の代表作である。1940年江西省に生まれ、1970年から小説を発表しその才能を注目される。
『霊山』の執筆を開始したのは1982年。翌年、北京人民芸術劇院が上演した彼の劇作『バス停』が当局の「精神汚染排除キャンペーン」によりモダニズムに汚染されているとして激しく批判される。これによって作品発表の場と自由を失った高行健は発表の当てのないままに、長江流域への取材旅行に出かける。北京人民芸術院の劇作家としての仕事を捨て、家族と離れザック背負っての一人旅だった。1983年から84年にかけて3回、おそらく2万キロを越える旅程だった。
完成したのは1989年、出国後のパリにおいてであった。ノーベル文学賞は『霊山』を中心とする文学活動にたいして与えられた。
『霊山』は小説ではあるが、きわめて破格の形式を取った異色の書である。まず作者の分身である「私」と「おまえ」という人称が章ごとに入れ替わる手法に面食らうが、かまわず読み進めるうちに自然に高行健の世界に引き入れられていく。都会の作家生活に疲れ果て、肺癌宣告と誤診の経験で死を身近に感じ、自己探求の一人旅に出かける。中国西南部のチャン族、イ族、ミャオ族などの少数民族の居住する辺境の奥地や長江流域を中心に、そこで遭遇する人びとの話や耳にする伝承などを求めてあてのない彷徨の旅を続けていく。
全編が独白、対話、回想で叙述され、前後のストーリー性への脈絡はあまりない。
伝わる風俗習慣、民謡への興味、ダム建設などへの強い抗議、神話伝説への愛着、死後の世界への関心、仏教への関心、道教をめぐる関心、少数民族のシャーマニズム信仰などなどが織り交ぜられながら一人旅が続く。
  「究極の独白形式による徹底的な自己解剖の書」(本著翻訳者 飯塚 容の解説より)であり、高行健(ガオ・シンヂェン)の「独りごとは文学の原点」との信念が色濃く反映された作品である。
多様性がこの小説の魅力であり、現実と空想を行き来する奔放さ、自由な飛躍そして死者の世界へ広がるシュールな展開がおもしろい。叙事詩的な文体から自由闊達な男女の会話など文体の多様性が意識的に組み合わされている。
常識的なスタイルの小説とは大きくかけ離れる形式を意識してか、作品中で批評家を登場させ、「東洋にこんなでたらめなものはない。旅行記、伝聞、感想、筆記、小品、理論は言いがたい議論、寓言らしくない寓言、民謡の再録、それに神話とは程遠い粗雑な作り話が入り乱れている。これでも小説なのか」と自作をこき下ろしてみせる。
高行健は複眼的で抑制を効かせた視座にこだわり続ける。
 中国独特の深刻な政治をめぐる事件や因習にまつわる因縁話などが多いが、洗練された文体の故か、全体に乾いた印象を受ける読後感であった。
個人的には四川省の山奥、長江支流の岷江流域に居住するチャン族の神話語りの古老、貴州省のイ族のシャーマン、ピモの儀式、ミャオ族の芦生舞などが、その風土とともに懐かしく思い出され、漢民族である高行健が彼らの神話性を帯びた習俗に魅了され、文学的衝動に駆られたことが、よく理解できた。
1989年6月4日、出国後の中国で起こった「天安門事件」を契機に中国との決別を宣言。帰国の道は閉ざされている。1997年フランス国籍取得。