■ギャラリー(インド2009篇):どっこい生きていた/ジャイサルメールへの旅

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button126.gifどっこい生きていた!8年ぶりに再会したジャイサルメールの楽士たち(2009年2月インド、ラージャスターン州ジャイサルメール)

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8年ぶりのジャイサルメールでは再会した楽士たちが多かった。2001年当時15歳のクトゥレ・カーンは自分たちの芸を売り込みに父親たちと一緒にやってきた。(右の写真中央)カルタール(一種のカスタネット)のきざむリズム感は切れ味がよく、すでに一級の腕だったので、レコーディングにも参加してもらった。今回、芸人村カラコール・コロニーの彼の住居を突然たずねたが、私を覚えていてくれて父親も入って一家そろって歓迎してくれた。結婚し、子にもめぐまれたクトゥレは貫禄すら漂わせる23歳のミュージシャンになっていた。、アメリカやヨーロッパ公演にも度々でかけているという。質素だった家も立派なコンクリートの洋館風になっていた。早速、家の屋上テラスで数曲聞かせてくれた。クトゥレはカルタール、モールチャング(口琴)、一弦楽器バパングそして歌を次々と披露してくれたが、いずれも自信にあふれ、楽器を操るテクニックは超絶的なものだった。

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なつかしのガディサール湖に出かけると偶然なつかしい顔にあえた。カマーイチャー奏者バサヤ・カーンさん。この弓奏楽器には弦のほかに共鳴弦がついており、独特の味わい、余韻のある音を出す。バサヤ・カーンさん(当時55歳)の鍛え抜かれた声とカマーイチャーの音は鮮烈だった。近年は歌の伴奏にハルモニアムという手こぎ式のオルガンが使われるようになり、この楽器を演奏できる人が少なくなっている。8年ぶりの再会だったが、63歳のカーンさんの歌には年輪を感じさせる味がにじみだしていた。(左写真2009年、右写真2001年)

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観光客でにぎわう道端で出会ったもう1人の流しの楽士、カマーイチャー奏者はダプジ・ミラースィーさん。年を聞いたら、47歳というが、信じられないほどふけて見える。そうすると8年前は39歳ということか。とても信じられない。それほど彼の漂泊人生はタール砂漠の熱風にさらされ続けた苛酷なものだったということか。彼らはマンガニヤールという音楽芸人のコミューニティに属するが、その敬称がミラースィーということばだ。とにかく流しの音楽芸人マンガニヤールはしぶとく時代の波を越えながらエネルギッシュに生きている。日本列島からは放浪の諸芸人たちは消えて行ってしまったが、インドではまだまだかれらはたくましく闊歩している。インドはふところが深いところだ。(左写真2009年、右写真2001年)

button126.gif2009年2月インド、ラージャスターン州ジャイサルメールへの旅

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8年ぶりのインド。インド北西部のタール沙漠の西端の町ジャイサルメールを目指す。この間に大道芸人や門付けの芸人たちにどのような変貌が起こっているかを知りたい。一種の定点観測みたいなもの。デリーから空路でジョドプールへ。ジョドプールはインドの空軍基地があり、折からムンバイテロ事件以降、パキスタンとの間で緊張関係にあるので、空港にも銃で武装した軍人の姿が目立った。そこからは車でジャイサルメールに向かう。途中、4時ころ遅い昼食に道路沿いのカレー屋に入る。旅行者は立ち寄りそうもない店で食事したほうが、実は土地のホンモノの味が分かる。

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野菜カレーとチャパティ。

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ジャイサルメールにそろそろ着くかというときに落日。ジャイサルメールまでつながる電線が沙漠を走っている。

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宿泊したナラヤン・ニワス・パレス。8年前にも泊まったが、その後豪華なホテルが多く建てられ、やや時代から取り残された感がある。マハラジャが経営するとかで、設備やサービス、食事では相当問題ありである。フランスやスペインなどヨーロッパからの客が多い。ただ過剰サービスが嫌いな人には自由に、気ままに過ごせる安堵感は心地よい。

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毎年2月にデザート・フェスティバル(沙漠祭り)が開催され、ラージャスターン州やグジャラート州などの各地から多数の歌や踊りのグループが出演する。それを目当てにヨーロッパから多くの観光客が集まってくる。ステージに上る歌や踊りのグループ以外にも、観光客を目当てに近郊から多くの大道芸人・旅芸人なども稼ぎ時とばかりジャイサルメールに集まる。今回はそうしたひとびとに会うことも目的のひとつだった。今年は2月7日から3日間行われたが、初日には出演者たちによるパレードが盛大に行われた。

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パレード。

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ジャイサルメールの象徴である城砦を背景に祭り会場広場。

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会場のはずれでナット(NAT)と呼ばれている軽業・綱渡り一家が営業していた。これは珍しい。マディヤ・プラデーシュ州(エムピー州)のチャッティスガール町から来ているという。3月いっぱいジャイサルメールに留まり、4月に一旦故郷に帰り,5月中旬ころから北の避暑地マナリーに移動するという。ほとんど一年中旅の暮らしだ。軽業・アクロバットをする娘は8歳、父は35歳、母は49歳。

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当日、一番人気があったのはカルベリアダンサー。カルベリアというコミュニティーは、伝統的には蛇つかいを生業としており、自分たちはジョーギーと同一であると主張している。蛇を捕まえ、蛇つかいをするが、ひったくり、窃盗、手相見、魔術そして踊りで稼ぐ生活を続けている。当然、土地は持たずに門付けをしながらの放浪の生活が中心である。が、一時的には、村から離れたところに留まる。カルベリアダンスは彼らの伝統的なダンスとして有名であり、近年日本でも人気が高い。
ジョーギー、カルベリアのコミュニティはヨーロッパなどに拡散しているジプシー(ロマ)の祖先である可能性が強いと思われる。彼らの清浄の観念や日常生活上の習俗、そして漂泊しながらうたや踊りそして乞食(こつじき)の門付け芸能生活者であることなどジプシー(ロマ)と基本的に共通する要素が多い。

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早朝といっても朝が遅い。7時半ころホテルから朝の散歩に出る。まだひとびとが動き出す前の静寂が支配する街の主役は牛たちだ。世界中で一番幸せな身分の牛たちである。

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紅茶(チャイ)が旨い。10ルピーぐらいで街中で飲める。ミルクと砂糖をふんだんに使ったチャイだが、インドに来るととても旨いのだ。日本にいるととても甘くてくどいくらいに感じるかもしれないが、ここでは太陽の日差しと乾燥した空気にさらされた体がメリハリのきいたチャイを要求するのか。

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以前日本でも良く見られたミルクホールのインド版。日が暮れて8時ころになると男たちが集まりホット牛乳を楽しむ即席社交場。直径1メートルもありそうな鉄鍋で常時沸かされている。日本の牛乳より相当濃厚である。鉄鍋の内縁にアーモンドを張り付けておき、1カップに6-7個入れる。砂糖もたっぷりと入れる。酒をあまりたしなまない彼らならではの楽しみだろう。やはりというか何故か女性客は絶無。デリーなどの大都会では女性の権利拡張は徐々に進んでいても、北西部のこの地は伝統的精神風土が強い。

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石に細密な彫刻をふんだんにほどこした伝統的邸宅が並ぶハヴェーリー(邸宅)通り。ラージャスターン州はラージプートの故郷でもある。ラージプートとは1000年以上も北インドを支配してきた王侯・部族の総称で、武力によって王族としての地位をヒンドゥー社会のなかに獲得したと考えられている。太陽と月と炎から生まれたという伝説をもつ。そうした権力者の財力があって、実現した建築物だろう。

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腕の立つ相当な石職人たちを多く擁していたことが想像される。

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ジャイサルメール城砦の偉容。ラージプートの王たちによって建設されたこの城砦は高さ80メートルのトリクータの丘に立っている。砂岩でできた城砦には宮殿、ジャイナ教寺院、幾多のハヴェーリーそしておびただしい土産物店、レストラン、ゲストハウスなどが集まっている。黄金都市ジャイサルメールの象徴である。宿泊中のホテルからの景色。この景色もホテル代に含まれていると思えば、サービスの悪さもあまり気にならなくなる。

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ライトアップされた城砦。

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カラフルな野菜。カレーにも野菜がどんどん使われており、奥が深い、ベジタリアン食文化を支えている。

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こんなに幼いときから執拗に芸を売り込んでくる。

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砂漠祭りの最終日の夕刻から舞台をサム砂漠に移してラクダレースなどを行う。砂漠に沈む夕日のなか、たたずむひとびと。サム砂漠はタール砂漠のなかのサム村の地域を指す言い方。

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今回の旅の最大の目的はやはりジョーギーに会うことだった。ジャイサルメールではなかなか情報がなかったので、1日を無駄にする覚悟で、砂漠周辺の村々を訪ねることにした。8年前にジョーギーに偶然出会った村に行き、消息をたずねると、数キロ先にいるという。近年、ヨーロッパなどからの観光客目当ての短期滞在型のリゾートテント村が流行で、ジョーギーもその周辺に滞在して”商売”をするのだ。10月から2月ころまでが商売繁盛らしい。

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うたや踊りを収録中にも楽しそうにしている子どもたち。この仮設テントの一家族の子供の数は平均10人だという。、

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周囲に何もないところに仮設小屋を作るのも、彼らなりの伝承されてきた生活の知恵から。へびなどが潜んでいる木立やブッシュのそばは危険だという。日差しをまともに浴びるのもきついと思うが、彼らは水などは冷たいまま飲まずに、水瓶を日なたにおいて、お湯になってから飲むという。そうした生活が体の抵抗力をつけてくれると信じているようだ。

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カメラを見るとすぐにポーズをとりはじめる。ほとんど条件反射的に習性化している。

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城砦のすぐ脇に菩提樹。菩提樹はその下で釈迦が悟りを開いたとされ、インドでは神聖視されている。2月でも日中は30度を越すこともある、日差しをさけて人々の憩いの空間になっている。茶を飲んだり、昼飯を食べたり、世間話をしたり、瞑想したりとゆったりとした気分が漂い、近くのレストランのテラスから眺めているだけでも飽きない。

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城砦入り口広場。

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入り口を入ると綱渡りの一家がここでも営業中。娘が私より先に気がついて、声をかけてきた。一度知り合うと、彼らはとても親愛の情を示してくれる。8歳の少女はいつころまで綱渡りやアクロバットができるのか、父親に聞くと、12歳ころまでだという。それ以降は体が成長してしまい、できなくなる。その後は、また幼い子を探すという。

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城砦の城壁から街を望む。タール砂漠のなかの街。荒涼とした原野に奇跡のようにある街。

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菩提樹と城砦。

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デリーへの帰路は、列車で。ホームで列車の到着を待つひとびと。夕刻5時ころデリーへの夜行寝台列車は出発した。この路線はエア・コン装備の車両もあり、旅の旅情を味わえ快適だ。

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寝台車でジャイサルメールからデリーまで20時間の旅。フランスの考古学者夫妻と同室。

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