《ジェレム・ジェレム便りNo.58》真の王者になったヘビー級ボクサー“キング・オブ・ジプシー”ことタイソン・フューリー

チェコ共和国を拠点に世界のロマに関する情報を専門に配信するRomea.czというニュースサイトがある。普段はロマの人権をめぐる社会問題を中心に硬いニュースが多いが、この日はボクシングの話題がトップを飾った。

2月22日(日本時間23日)アメリカ、ラスベガスのMGMグランドガーデンアリーナで行われたボクシングのヘビー級タイトルマッチで、挑戦者で元統一王者のタイソン・フューリー(英)がWBCヘビー級チャンピオンのデオンテイ・ワイルダー (米)を第7ラウンドTKO(テクニカルノックアウト)で下し、新王者の座についた。日本では有料衛星放送で生中継され、試合の模様はスポーツ紙などで報道されている通りだが、引き分けに終わった2018年12月以来の“世紀の再戦”として話題を呼んだこの闘いは第1ラウンドからプレッシャーをかけ続けたフューリーが第3、第5ラウンドでダウンを奪い、ワイルダー優位の前評判を覆して一方的な試合展開で決着がついた。

フューリーは1988年、イギリスのマンチェスターで「アイリッシュ・トラベラー」の家族に生まれた。Romea.czによれば、トラベラーとは16世紀初頭に最初のロマが到着する前にイギリスに存在していた非定住の人々のことで、ロマとは区別されるが、同じように移動生活をして暮らしていたことから、2つの集団間の婚姻が進み相互のつながりが生まれたという。最近では一般的に同種の民族集団であると認識されるようになっている。イギリスでは2008年以降、6月を「ジプシー、ロマ、トラベラーの歴史月間(GRTHM)」と定め、それぞれのコミュニティがイギリスとの関わりを祝い、そして今日に至るまでイギリス社会に対して行ってきたさまざまな貢献を称える活動をおこなっている。

フューリーがキング・オブ・ジプシーを名乗っているのはこうした自身の出自から来るもので、日頃から「自分が誰であるかに誇りを持っている」と語っている。「トラベラーであることを自覚することによって、限界に挑戦する決意と勝利への強い気持ちが湧いてくる。トラベラーとして何も後悔はない。」また、彼の父はフューリーが生まれた当時ヘビー級世界チャンピオンとして名を馳せていたマイク・タイソンにちなんでタイソンと名付けたという。

ボクシングとロマの関わりについては20世紀の初めに活躍したドイツのボクサーのこんな話が伝えられている。

そのボクサーの名はヨハン・ヴィルヘルム・トロールマン(本名デア・ルッケレ)。「1906年生まれ。1933年6月9日、ドイツ人アドルフ・ヴィルトとのタイトルマッチ戦に勝利し、ライトヘビー級チャンピオンとなった。しかし、ナチスはドイツ人がロマに負けたことを許さず、トロールマンは「ジプシーのトリック」を使って勝ったと言いがかりをつけた。6月17日に再試合がおこなわれたが、この時トロールマンは髪をブロンドに染めて登場し、ヴィルトが打ちのめすまで、無抵抗で立ったままだったという。その後1942年、ノイエンガンメの強制収容所に送られ、翌年銃殺された。」(We are the Romani People, Ian Hancock, 2002, p.137)

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