ちょっといい話・・・ギター門付けとある作曲家

■2007.9.15  ちょっといい話・・・ギター門付けとある作曲家
○先日、ある集まりがあり、久しぶりに先輩S氏に会った時のことである。以前、彼から聞き、それ以来、長年、気になっていたあるエピソードのことを再度確認した。その後S氏がご母堂に改めて確認して知らせてくれた内容は以下のようなものだった。
昭和32年(1957年)の春。S氏が育った山形県藤島町(一昨年鶴岡市に併合)は人家の少ない田畑しかないところだったが、ある日、小さな女の子を連れた30代の男の門付け芸人が訪れてきた。彼らは門に立ち、ギターを巧みに弾いて歌ったという。何の曲だったかは憶えていないが、ギターも歌もそれまで聴いたことがないほど抜群の出来だった。彼はギターと歌の修行をしているようでオーラを感じるほどだったという。S氏の家も貧乏していたので多くは上げることは出来なかったので、ご母堂が取敢えず温かいおにぎりを与えると美味しいといって食べた。その後、その子にとS氏のお下がりのオーバーを勧めたが、それは辞退したという。
その後、数年してからテレビを観ているある日、ご母堂が歌番組(NHKだと思われる)で作曲家の遠藤氏を見つけて、あの門付けに来た人だと言ったという。S氏の家は戦後農地解放で田畑を失って苦労したが、米作地帯なので、母方や父方の実家から米をもらって食べることが出来たとのこと。庄内では禅僧の寒修行の托鉢、羽黒山山伏の勧進、門付け芸人に対して鷹揚なところがあったように思うとS氏はいう。
以上がS氏が再確認してくれた内容である。この話は芸能の本質を考える上で示唆に富んでいる。東北地方は、秋田万歳、会津万歳をはじめ多くの門付け芸能が盛んだった。江戸時代に東北地方をくまなく旅した菅江真澄の著作にも門付け芸人に遭遇した記述は多い。高橋竹山が津軽三味線修行時代には津軽などを門付けしていたことは有名である。
芸能の原点・根本はお金に換える芸能であり、中世以来、日本列島に跋扈してきた幾多の門付け芸能者が現在のもろもろの芸能の先駆者であることは間違いない。生きるための生業としてのうたや踊りなどの芸能が人々の心に響くことはジプシーの芸能を考えるまでもなく、日本の唄の世界でも全く同様である。
私は歌謡曲の中の演歌というものを、演歌だから特に好んで聞くということはない。美空ひばりやちあきなおみは歌手・表現者として稀代の存在だと思うが、うたにはジャンルに関係なく<いいうた>と<つまらないうた>があるだけだと思っている。S氏の話を聞いて、私が以前から気になっていたことが分かったような気がした。
遠藤実の作品「星影のワルツ」や「北国の春」などのメロディラインには、通俗性を突きつめた普遍性を獲得しているような気がしていたが、その理由の一端が遠藤実の門付けにあったのだ。これらの曲には庶民の基層の感情を掬い取る力があり、そこが凡百の演歌を超えている。(「北国の春」は中国でも愛唱歌になっている。)過酷ながらも時には人情の機微に触れてきた門付け芸能者としての体験がそうした力を作曲家・遠藤実に付与したことは間違いない。

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