■2008.3.01 ビョークからコソボとマケドニアのロマを思う>
○昨日の朝日新聞(夕)のステージ評にビョークのコンサートの批評が載っていた。見出しは「最後に異様な高揚感」。エンディングに歌われた「ディクレア・インディペンデンス」は強烈なパフォーマンスだったという。「独立を宣言せよ」とシュプレヒコールを繰り返し、「コソボ、コソボ」と連呼したという。評者の高橋健太郎氏は忘れ得ぬ体験だったと記している。
ビョークの際立つ才能、特異な存在感は映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見てから肝に銘じていた。私には、変幻自在、万華鏡のような彼女の音楽を評する能力はないが、その強烈な訴求力からしてただならぬ音楽家・アーチストであることは分かる。「ディクレア・インディペンデンス」をメッセージソングとくくっていいのかはわからない。優れたメッセージソングとはなにも政治社会状況を取り上げて告発するだけでなく、花鳥風月をテーマにしても切り込み方や表現次第で十分物事の本質をつかみとる力をもつものだ。テーマではなく、何をどのように深く、表現し得たかということだろう。
しかしながらビョークのうたにはそうした問いを無意味にしてしまうほどの切迫感・緊迫感が漂う。彼女の奥深い内部からほとばしり出てくる気配が濃厚だ。ビョークがコソボにそれほどの関心を示したことには関心はあるが、事情に疎い私には分からない。コンサートで圧倒的比率を構成した日本の若者がコソボのことをどれほど認識していたかは分からないが、おそらくは非常にあやふやなものだろう。それが今の日本の鏡そのものだから。
1991年のユーゴスラビア解体からボスニア・ヘウツェゴビナやコソボなどに深刻な民族間の抗争が起きて現在にいたるまで火種は消えていない。セルビアの一部ながらも大多数のアルバニア人が住むコソボ自治州の独立をめぐり、紛争が続いていたが、2月18日に一方的に独立を宣言した。EUにとってはバルカン半島は無視しえぬ近隣地域であり、ロシアも含めて利害が複雑に絡み合う。コソボの人口の約9割はアルバニア人だが、セルビア人にとってコソボはセルビア王国の発祥の地であり、コソボの分離独立は許しがたい。背後のロシアもチェチェンやオセチアなどに自国の民族問題を抱えており、なにより影響・波及を恐れている。中国(ウィグル、チベット)、スペイン(バスク)然り。コソボの問題はイスラエルとパレスチナの関係を思わせるものがある。これは解けない難問だ。
2006年夏にマケドニアのスコピエにある世界最大のロマ集落地シュト・オリザリを訪ねた際にも隣国セルビアの自治州コソボからの難民の流入は続いていた。2001年のコソボ紛争の際にはシュト・オリザリのロマもマケドニア軍に徴用されて、従軍している。この後、ようやくロマはマケドニアで正式に民族として認められたのである。
コソボ危機を通じてコソボから1万人を越えるロマがシュト・オリザリに流入しているという。もちろんアルバニア人も流入している。ちなみにシュト・オリザリの人口4万2千人の80%がロマで、アルバニア人は12%程度だが、民族間の関係は微妙なバランスにたっている。シュト・オリザリのロマの人びとにとってはマケドニア人は行政上の支配民族であり、アルバニア人はマケドニアでは少数民族に属している。しかしシュト・オリザリのメインストリートの多くの商店の雇用主はアルバニア人であり、ロマは雇用される立場だ。どちらも支配的な立場にたつが、ロマはマケドニア人よりもアルバニア人に対して親和的だという。アルバニア人の経営者は保険や年金などの支払いがマケドニア人よりもきちんとしているというのだ。いずれにしてもロマはセルビア、マケドニアにおいて重層的に支配される側の存在である。
民族紛争を見つめる視点の定め方に応じて様々な主張が起きる。その対立はいつ果てるとも尽きない。こうした民族が抱える宗教・歴史に絡むアイデンティティの対立は底なし沼に入りがちである。こうしたときにはロマの人びとの自由さを思うと気が楽になる。あえて定着する土地に固執せず、宗教にも固執せず、コーランや聖書のような歴史的大叙述などは編纂しない。せいぜい地域に伝わるささやかな伝承くらい。彼らの非定着・不定形な生き方から見えてくるもののなんと貴重なことか。